
最近巷で見掛けなくなった蕎麦屋の出前・・・。
片手で担ぎ自転車に乗る姿は実にサーカスそのものだった。
今じゃ担ぐ事をせずに荷台へ載せて出前が多くなった。
昭和の面影がドンドン消えていく中・・・出前だけは健在と思えたが全くの逆。
道路交通法が強化され交通事情が悪化し片手で操る自転車・原付50のカブも見なくなった。
(エ) ̄) フ・・・と思い出したのは当時の本田技研工業(HONDA)から出前用カブ・・・
左手で担いで操れる様に右側へ保安部品の操作を集中させた車両がラインナップから消えた。
あの独特の設計で片手でも乗れた車両が何故か身体障害者に合うのですよ。
左腕の片手が麻痺した人が若い時に乗ってたバイクを思い出しまた乗りたいと・・・
その方は大型車両を操ってた方ですが年齢と共に衰え引退したが病気を気にまた乗りたいけど乗れる車両が無い。
そんな相談を受けてσ( ̄(エ) ̄*) クマさんは昔の記憶を頼りにホンダカブで前仕様を探す事へ・・・・
探すと成ればそう簡単に見つからないです・・・
それもその筈・・・需要が無くなったので乗車する人も減る。
車両も潰し合いで消える・・・
エンジンや足周りは他の車両へ投入されてドンガラだけになる。
そのドンガラでもあれば何とか車両が組み立てられるけど肝心な消耗品がもうラインオフで無い。
( ̄(エ) ̄)ゞ コマッタナー ドンガラでさえ高価な価格で遥か遠いし現物確認も儘にならない。
エンジンは中華の120cc程で間に合うが部品の交叉で悩む事に・・・。
乗車する本人は孫が持ってたトミカのカブを見て・・・またバイクに乗りたいと再燃焼しちゃったとか?
これクマさんの専門外なんだが多少の時間が掛かってもバイクで走り回る楽しみをもう一度・・・
って普段MITO125に乗車してる(゜(エ)゜)へ相談してきたのが始まりなのね・・・・。
半分軽い気持ちで受けてしまった・・・・・・ウッ…( ̄(エ) ̄;)"
もう後には引けません・・・・肝心な個体が無いのだから1から探さなければ・・・・
(p(エ)・q) ・・・マジで困ったちゃんに成ってしまったよ。
十六枚重ねのせいろが盆の上に三塔並ぶ。計四十八枚。そばも含めて重さは三十キロを超える。これを右肩に担ぎ、雑居ビルの立ち並ぶ銀座一丁目の路地を自転車ですり抜けて行く。カーブでも、歩道の段差でも、バランスは崩れない。
運転するのは、一九三五(昭和十)年創業の老舗そば屋「銀座長寿庵(あん)」の店員小野寺英夫さん(44)。かいわいではちょっと知られた「出前名人」だ。
「カーブや段差はそう気になりません。一番怖いのは、止まるときです。少しでもつんのめると、せいろが前方に崩れますから」
その危険を防ぐ「極意」が盆の担ぎ方にある。重心のある中央部分でなく、前方部分を肩にのせる。おのずと盆は重さで後方に傾斜するが、前面をつかんだ手で支えてバランスをとる。後方に重さがいきやすい状態にしておくことで、前のめりになる危険を軽減できるというわけだ。
「先輩に教えられたり、失敗を繰り返したりでマスターしました」と笑う。
岩手県一関市の農家で育ち、中学卒業後、知り合いのつてで入店した。
「最初は水を入れた丼で出前の練習をしました。水をこぼさず運べるようになって、本番を任せてもらえました。それでも、大量の丼やせいろを落として、よくしかられたものです」
企業や店舗の密集する銀座では一カ所から大量の注文が入る。長寿庵では高度成長やバブル期に二十人もの出前店員がいたという。現在はコンビニ弁当などの普及で配達が減少し、出前店員も小野寺さんら三人を残すのみと様変わりした。ただ、昔から変わらないこともある。出前は自転車に限るということだ。
三代目店主の天野徳雄さん(42)は「一方通行の路地が多い銀座では自動車での出前だとかえって時間がかかるんです。そばがのびないよう速く届けるには自転車が一番」と強調する。
一度に四十枚以上のせいろを運ぶ出前は今、そう多くはない。それでも、年末の「御用納め」の時期になると、多くの職場から大量注文が入り、小野寺さんの達人芸が不可欠となる。
「出前の楽しみは?」と聞くと、こんな答えが返ってきた。「帰り道。そばを届け終え、ほっとして、自転車をこいでいるときの気分が好きです」。届けたそばがすすられているときでもある。
Posted at 2016/02/14 09:52:59 | |
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