
GWが始まりましたね。私は29日から5日までの7連休ではあるのですが、今年は他の家族それぞれ別々に用事があったり、普段できない宿題を在宅でやったりといった感じで今年は本当にどこにも行く予定がありません。。天気も今イチぱっとしないみたいですしね。。
そんなワケで今日もPCに向かっているワケですが、気分転換がてらAIに遊んでもらったりしています。ちょっと前まで画像生成も今イチな感じだったのに今では長足の進歩を遂げてかなりリアルな画像を生成するようになってきました。という訳で、昔々の私が子供のころに家にあったクルマを高画質化してみると、そうそうこんな感じだった!と色々思い出すことがあったので、昭和の我が家の車変遷を綴ってみます。
1代目…1966年型三菱コルト1100スポーティデラックス(A21)
父親が大学を卒業して就職したのが三菱の販売店だったそうで、入社2年目に父の実家での初マイカーとして購入したそうです。昭和41年の秋に買ったと言っていたので、1100版が登場してすぐに購入したようですね。
1966年はマイカー元年と言われていますが、4月登場のサニー1000に対して11月登場のカローラが急遽排気量を1100ccとし【プラス100ccの余裕】というキャッチコピーを採用して先発のサニーを圧倒したのは有名な話です。が、コルトセダンが1000ccから1100ccに排気量アップしたのはカローラ1100より2ヶ月早い1966年9月のことだったそうです。
また同じくカローラ1100で同クラス初採用として話題になった4速フロアシフトに関しても、実は先に発売されていたコルト1100スポーティデラックスで採用されていて、そればかりかタコメーター付き4連メーター、ヘッドレスト付きセパレートバケットシート、デュアルマフラー(祖父が猟銃みたいなマフラーが付いていると言ったとかw)、ブラックアウトグリルなどを装備していて、この時代のこのクラスのクルマとしては珍しいスポーティーグレードだったようです。
今見てみると平凡な4ドアセダンですが、
三菱カーデザインの歴史というサイトでデザインストーリーが解説されているのですが、このクルマ、当初はヘッドライトとフロントグリルがそれぞれ独立した1950年代のトレンドでデザインがされていたようです。欧米ではグリル内にヘッドライトを収めた、所謂『フラットデッキ』の主流になり始めていた時代。若手のデザイナーは現在進行形のコルトのデザインに危機感を覚えて上司に具申したものの、堅実なデザインを求める上司からは却下。不満を覚えた若手デザイナーとモデラーが1週間でデザインを纏め本部長承認会の直前にクレイモデルを作り替えてフラットデッキデザインを承認させたという型破りな武勇伝もあったらしいです。
リヤ周りのエンドパネルの造形やテールランプの配置、トランクリッド前端の給油口の位置までS50系二代目プリンススカイラインにそっくりですが、コルトセダンの登場が1963年7月、S50系スカイラインの発売が1963年9月と、2ヶ月しか差がないことを考えると、どちらかが真似をしてということではなく偶然に似てしまったということなんでしょうね。
ボディカラーは【パールホワイト】とありましたが、これは元々1964年の初代デボネア用に開発された色で、マイカの入ったパール塗装としては日本初のモノで、車体のデザインを監修したGM出身のドイツ系アメリカ人デザイナーのハンス・ブレッツナー氏が開発したカラーだったようです。こうしてみると意外にエポックメイキングな車だったんですね。
2代目…1972年型トヨタパブリカ1000デラックス(KP30-D)
私の記憶にあるのはこの車からです。1974年の春に我が家の初マイカーとしてトヨタの中古車センターで購入しました。納車が雨の日で父と二人で歩いて車を取りに行ったのを覚えています(ちなみに購入した店舗は今でも健在w)。
2年落ち、車検2年付で買ったと聞いていますが、リヤウインドにオレンジ色の【高速有鉛】のステッカーが貼ってあった事を覚えていますので1972年1月から3月までに生産された個体だったようです(1972年4月以降生産車は無鉛化対応されていた)。ボディカラーはメンフィス・アンバーという名の茶色。全長3,695mm×全幅1,450mmというサイズなので幅などは今の軽自動車よりも狭かったんですね。ホイールベースに至っては2,160mmという短さ。
ノッチバックタイプの前期型は当時のレースなどで活躍していましたね。このタイプのパブリカにもヤングシリーズなるSR/STというスポーツグレードなども存在したのですが、1973年4月には発展型であるKP47パブリカスターレットが登場したことでパブリカは廉価版との位置付けになってしまい後期型はイマイチ影が薄いんですよね。
ただ形はクーペっぽくて幼心にカッコよく見え、結構気に入っていました。このクルマでは父方の祖父と祖母も含む5名乗車で滋賀の親戚宅まで長距離ドライブに行ったりもしました。当時、東名~名神は全線開通してはいましたが、このボディもエンジンも小さなクルマで5名乗車で東京~滋賀というのはなかなか大変だったのではないでしょうか?
3代目マツダカペラハードトップ1800スーパーカスタム(E-CB2VS)
我が家の初代愛車のパブリカは引っ越しや転職などの生活環境の変化で2年程で売却。父の転職先の文具問屋の営業車であった会社の看板入り、KE26カローラバンやドラえもんみたいな顔をしたミニキャブワイド55バンが我が家の足となっていましたが、生活に多少余裕の出来た1980年2月、4年振りにマイカーを購入することになりました。
この時も色々な中古車センターに連れていかれたのを覚えています。見た車で記憶にあるのはT100系コロナハードトップ(所謂安全コロナというやつ)、S10型2代目シルビア、ケンメリスカイラインHTショートノーズetc。何故か2ドア車ばかり。そして当時BD型へのモデルチェンジを控え投げ売り中だったFA4US型4代目ファミリア3ドア1400XGの新車(FRファミリアにも後期にはXGというグレードがあった)と1年半落ちの中古のカペラとを比較した結果カペラを購入。
新車117万円の車が1年半落ちのディーラー中古で75万円。当時マツダの中古は安かったんですよね(ファミリアの値引きも相当だったらしいですが)。ボディカラーはハードトップには珍しいクリームアイボリー。買った時にはエアコンが装備されていなかったんですが、買って2年目の夏にエアコンを後付け。当時は自宅にもエアコンは無く、クルマにエアコンが備わる方が先でした。クルマにエアコンが後付けできるというのを知って感動したのを良く覚えています。
このカペラ、速度域の高いヨーロッパ向けの輸出を念頭に置き空気抵抗の少ないボディをデザインし、フォードのコルチナ、オペルレコルト辺りの所謂プレミアムではないヨーロッパファミリーカーをターゲットに元1ドライバーで当時モータージャーナリストをしていたポール・フレール氏のテクニカルアドバイスを受けるなどしてハンドリングのバランスを高め、新機構のないオーソドックスなレイアウトながら走りのバランスのよいFR車だったようです。
それにしても事前検討した車も購入した車も全て2ドア。当時は妹もいて4人家族だったのになぜ2ドア車を選んだのか?長年の謎だったんですが先日父に聞いたところ『2ドアがカッコよく見えたんだよw』と主にカッコだけで購入していたことが判明しました。でも当時は2ドアのファミリーカーって意外に普通でしたよね?(ウチだけかな?)。
ただ当時の国産車の悲しい所、いかんせん品質が悪かった。このカペラ1986年の10月に乗り換えるのですが、8年落ち5万キロの走行距離でこの通り。ソリッドのアイボリーは艶も色味も退けて白っぽくなり、所々には錆も浮かび。陳腐化も激しく当時の印象としては【ポンコツ】という言葉が相応しい感じでした。当然ながら下取り査定額は0円。
今の視点で見てみてば2018年式のアテンザの上級グレードみたいなもんなんですから、8年落ちでこの状態っていうのは今考えるとあり得ないですよね。でも当時のクルマって他のメーカーでもみんなこんな感じだったんですよ。
4代目マツダファミリアセダン1500グランドエクストラ(E-BF5P)
カッコ第一で選んだカペラ。流石に私も中学3年になりそれなりに成長してきて2枚ドアな上に車高が1355mmと低かったのカペラのリヤシートが窮屈になってきて4枚ドアをリクエスト。カペラの8年目の車検切れを切っ掛けに買い替えることになりました。今更違うディーラーに行くのも面倒と候補はBFファミリア一本。5ドアハッチバックかセダンで検討。
そこまでは良いのですが意見が違ったのがグレード選択。私はもう少しすると自分で運転するようになることも考え、セダン1500XGの5MT車、次点として5ドア1500XR推し(XRにはタコメーターがあったけどセダンXLにはタコメーターの設定がなかったのが嫌だった)を推したのですが、父の希望ではAT車とパワーステアリング装備はマスト。
XGはAT設定はあったもののEGI車のS-XE以外は全グレードパワステがオプションだったんですよね。そこで出てきたのがこの特別仕様車グランドエクストラ。セダンXLをベースにパワーステアリングとタコメーター、更にはセンターコンソールBOXとXEグレード用ピンストライプが標準装備されて値段がXLと同価格。XGのAT、パワステ装着車と比べると20万程安くお財布にも優しい。父息子の希望を一応はクリアする折衷案としてこのグレードに決定しました。今考えるととても堅実な選択ですよね。それでも当時はスポーティな内装に布張り成形ドアトリムのXGが羨ましかったw
2年後に免許を取って運転をするようになった私。やっぱりXGのスポーティ感が羨ましく、自分で乗るようになってからというものの、ドアサッシを缶スプレーの自家塗装でブラックアウトしてみたりタイヤをインチアップしてみたり変なステッカーを貼ってみたりとセンスの無いイジりに邁進。僅か3年の間に清楚でシンプルだったBF5Pもどんどんとヤサグレた状態になっていって最後には事故で潰して廃車にしてしまうことに。。今考えると親にはホント悪い事しました。。
でもこのBF5P。遅かったし装備も貧弱だったけど、初めて運転したクルマだけに楽しかった思い出ばかり蘇ってきます。当時の写真を高画質化したら思ったより当時の記憶に近い写真が出てきたので懐かしくなっちゃいました(笑)
と、私の免許取得以前~免許取得までの、昭和の我が家のクルマ史を振り返ってみました。やってみたら意外に面白かったので今度は免許取ってからのクルマも写真を高画質化して思い出振り返って遊んでみようかな(笑)