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2017年11月15日 イイね!

F1 2017 ホンダのF1エンジニアが語る「アイルトン・セナとの思い出」愚痴です

F1 2017 ホンダのF1エンジニアが語る「アイルトン・セナとの思い出」愚痴ですなぜ、このタイミングでセナなんでしょうね

毎年ブラジルGPは有るのですが、わざわざセナを盛り立てては無かったのですが

邪推すると、アロンソに対する嫌がらせなのかもしれませんね

まぁあくまで邪推ですが

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ホンダのF1エンジニアが語る「アイルトン・セナとの思い出」

ホンダのF1エンジニア 岡田研が、アイルトン・セナとの思い出を語った。

過去に活躍した人物は、往々にして実際の働きよりも大きく評価される傾向にある。

それは、現代に生きる我々が、直にその活躍を見ることができない以上、
仕方のないことだと言えるだろう。

だが、アイルトン・セナの場合は違う。

ブラジル出身のアイルトン・セナは、
国内だけでなく、世界中のF1ファンから尊敬の対象となっている。

そんなセナが獲得した3度のタイトルは、
1980年代後半~90年代前半にF1界を席巻したマクラーレン・ホンダとともに手にしたものだった。

当時、彼と一緒に仕事をした人々は、セナから大きな影響を受けたと言う。

岡田研は、1991年にエレクトロニクス分野のエンジニアとしてマクラーレン・ホンダに加入。

最初に一緒に仕事をしたドライバーがセナでした。
現在はチームのERSエンジニアとして働く岡田が、ブラジルGPを前に当時を振り返ってくれた。

「初めて一緒に働いたF1ドライバーが、アイルトンとゲルハルト(ベルガー)でした。

雑誌やホンダ内での情報で、もちろんセナのことは知っていましたし、
私がテストチームで働き始めた頃には、すでに彼はスーパースターになっていました。

大学生の時、テレビで見たレースで彼がホンダのマシンをドライブしていて、
こんな人と一緒に働けたらいいな、と思っていましたね」
と岡田研はHonda Racing F1の公式サイトで語った。

「当時、チームで一番の若手だった私は、
アイルトンに話しかけるのにビビッてしまって(笑) でも、
私の上司はアイルトンととても親しかったですね。

アイルトンも我々みんなとフレンドリーに接してくれました。
当時、チームが遠征でヒースロー空港に集合していて、
アイルトンが私たちを見つけるとすぐに、陽気に会話の輪に加わってきたものでした」

アイルトン・セナの接し方にはスタイルがあった。
それは、エンジニアの持っている情報で知りたいことがあれば、
相手が多少嫌な思いをしようが聞き出す、というものだった。

「彼は技術分野やエンジンコントロールの方法まで、何にでも興味を持つ人でした。
移動の際にアイルトンが我々を見つけると、
我々の中から自分の知りたい分野のエンジニア1人を助手席に乗せて、質問攻めにするんです」

「話している中で、興味をそそることがあると、
彼は前を見ずに10秒も20秒も助手席を向いてしまうんです(笑)
助手席にいる方としては、たまったもんじゃないんですが、
アイルトンは“周りで起きていることは全部把握しているから心配するな”と言っていましたね」

当時、チームはレースウイーク以外のテスト走行を無制限に行うことができた。
岡田のいたテストチームはセナと緊密に連携していたが、
そこで有名なアラン・プロストとのライバル関係の一因を知ることになる。

「走行を終えて戻ってくると、
アイルトンはマシンから飛び出して僕らのところへ向かってくるんです。

そこでデータを見せると、彼は本当にいいフィードバックをしてくれました。

当時はドライバーがエンジニアに直接指示して、
フロントエンドをミリ単位、
フラップの角度を1度単位での変更の指定していました。

今はドライバーがエンジニアにドライビングでのフィーリングを伝えたら、
エンジニアが空力やエンジンのセットアップをどう変えるかを決定しますから、
やり方はかなり違っていますね」

「これはプロストとアイルトン、両方と仕事をしていた同僚から聞いた話なのですが、
プロストはセットアップが得意で、アイルトンはそのレベルには達していなかったそうなんです。

そこで、アイルトンがプロストのセットアップを真似したところ、
かなり速くなって勝てるようになった。
それを知ったプロストは怒って、自分のセットアップをアイルトンに隠すようになったそうです」

このライバル関係は、周囲の人々すべてを緊張させ、
1989年の日本GPでの出来事のように、火がついてしまうこともあった。

しかし、アイルトン・セナにはホンダとの絆があり、
お互いを尊重し合っていたと、岡田は信じている。

「彼が僕らのすることに興味を示し、
積極的に関与してくれたことは、ホンダを大いに奮い立たせました。

F1の世界では欧州の文化がかなり強く反映されています。
我々は日本人だし、彼はブラジル人。
両方ともヨーロッパの考え方とは違うものを持っているわけで、
F1という世界で、かなり似たような立場だったのではないかと僕は思います。
それに、ブラジル人と日本人には、歴史的に深いつながりもありますから」

アイルトン・セナがF1で残した実績というと、勝利数やタイトルが注目される。
しかし、岡田はセナの本当のすごさは、
小さな事柄ながら誰にも真似できない部分にあると言います。

「一つは、無線でのやり取りです。
ほとんどのドライバーは、操作の少ないストレート走行時に無線での会話をしていましたが、
アイルトンはコーナリング中に話すんです。
当時の無線にはノイズキャンセリングシステムがありませんでしたから、
エンジンの回転数が低くなるコーナーのほうが聞き取りやすかったのは事実です」

「普通、ドライバーはコーナリング中に息を止めて、ストレートでまた呼吸をするものですが、
アイルトンはノイズによってチームに自分の意図が間違って伝わる可能性を考えたのでしょう。
これにはとても驚きました」

「もう一つは、安全性への意識の高さです。
1992年、ドイツのホッケンハイムでテストを行ったとき、
当時ベネトン所属でF1キャリア2年目のミハエル・シューマッハも参加しました。

走行中、ミハエルがアイルトンを、まるでレースのようにアグレッシブな動きで抜いていったんです。
すると、アイルトンはピットに戻るなりマシンを飛び降りて、ベネトンのガレージへ駆けていきました」

「レースとテストは違う、という彼の考えがよく表れた出来事でした。

テストでは、マシンの細かな動きにまで集中するのがアイルトンのやり方ですし、
当時はすべての走行でさまざまなことをテストしていました。
その評価に集中しているときに、
シューマッハがテストには不必要な危ない動きで飛び込んできたので、
アイルトンは怒ったのでしょう」

アイルトン・セナの姿勢や手法は当時としても、かなり独特のものだった。
そして、わずかな違いを見分ける注意力においても、彼はずば抜けた能力を発揮していた。

「私はソフトウエアの担当でしたが、
90年代前半にはマシンのダッシュボードにデジタル画面があり、
エンジン回転数などの表示をソフトで操作していました。

当時、ECU(エンジンコントロールユニット)から0.1秒ごとに回転数が送信されていたのですが、
あるときピットに戻ってきたセナが
“コーナーでデータ送信が止まることがある”と教えてくれたんです」

「ECUチェッカーを使い、似たような状況を再現して調べたところ、
1時間に1回くらいの割合で、0.2秒ほど送信がフリーズすることが分かりました。
驚いたことに、アイルトンは、こんなわずかな違いを、
全開で走行しながら感じ取ることができたんです」

それから25年、岡田は同じことができるドライバーと出会えたのだろうか?

「いやいや、一人もいませんよ」と笑って答えた岡田。

「アイルトンと仕事をしたと言えるのが、私の誇りです。
彼は素晴らしい人物で、たくさんの思い出を残してくれました」

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内容的には、凄い人だという事が分かる話なのですが
まぁホンダとセナが仲良しなのは、お互いに成功した時期を共にしたからとも言えます
まぁ邪推ですが

なので、欧州人だから、問題って訳はないよね
だって、JBは大変仲良しだしね

まぁ批判しまくってる人は、ルノーと仲良しのドライバーだし、
そうなると他メーカーは非難するよね、一種のスポンサー様だしね
節度もなんもないけどね


でも、ブラジルGPだから、アイドル”セナ”を出すのもなぁ



セナが恋しいのかなぁ・・・ホンダは



どこかに居ないか、なにわ節のドライバーはo(・_・= ・_・)o キョロキョロ
Posted at 2017/11/15 17:17:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | F1 | 日記
2017年11月15日 イイね!

天河神社に行ってきた

天河神社に行ってきた呼ばれないと行けないという天河神社に行ってきました

ハッキリ云って、呼ばれてないのじゃないかと、思うぐらい
喉が痛くて、前日まで寝込んでました

でも、前日、寝込んだ御蔭か、大分マシになり

出掛けました

奈良県にある、天河村に有るのですが

ここ、今年台風の影響を受けたところで、国道309は、いまだに一部普通でした

道路埋まっているように見えた

まぁ運転中なので、チラッと見ただけで把握していませんので、
間違えてたら(*_ _)人ゴメンナサイ



道中、久方の峠道?って感じだったのですが

凄くストレスが溜まる感じでした
まぁ喉痛いのも有ったかもしれませんが

紅葉も・・・赤いのが無かったなぁ



とりあえず、無事に到着出来て、拒否されていない事が分かって一安心




これが噂のジェット手洗
凄い水量でした







三大?弁財天の一つだそうです

ここなのか、神奈川の方かわ、分かりませんが

長浜の竹生島には既に訪問させて頂いているので
残りは宮島の厳島神社のみです

今回朱印をもらったのですが、竹生島のをもらってないのを思い出しました

また行ってもらってこよう

しかし、今回移動している中で、峠道を走りましたが

物凄く下手糞と云うか、センターラインを守らない奴らが沢山居ました

特に京都の”わ”ナンバー
全てのコーナーでセンターラインの上を通る

死にたいのでしょうか

運良く、これまた回頭性悪い運転しているステップワゴンに引っかかった時に
登坂道エリアに入り、さっさと追い抜きさせて頂きました

本当に峠道は、安全意識と腕の差が出る道です

どんな車でも上手い人の後ろだと、楽だし、勉強になるのですが

直線番長的な感じの人や、
安全意識の無い人の後ろだと、怖いものです

まぁ車重が重いとか、非力なエンジンとかなら仕方無いですが
近年に発売された車で、登らない、エンジンブレーキ効かないのは無いので
腕の差なのでしょう

信号もほとんどないのだから、スムーズに走って欲しいです

ブレーキやアクセルのタイミングがバラバラで、こっちが煽ってるみたいになるのは
勘弁して欲しいです

こっちは法定速度で走っているのに

まぁ事故らなかっただけ、弁天さまのご利益かなぁ

ありがたや、ありがたや

Posted at 2017/11/15 11:17:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日本 | 日記

プロフィール

「春鈴鹿」
何シテル?   04/04 11:18
milky_takeです。よろしくお願いします。 大阪に戻って三年目に入りました このまま大阪に永住したいです~(^_^ゞ でも来年度は不景気らしいので、...
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