
先日、ランチアデルタのナビパネルを更新するなか、自分のラリー人生の記録を残しておこうと思った。
当時の画像は少なく、自分と関係者以外の画像も含まれます。
長文となると思います。必要のないものはスルーして下さい。
【ラリーとの出会い】
1979年 社会人となった一年目。仕事は横浜のTディーラーのメカニック。
仕事が終わり工具を片付けていると、職場の先輩から”今晩、付き合え”と。
先輩を私の車に乗せ向かった先は、横浜師岡にあったTRD。
そこで、昔の500円硬貨位の黒くて非常に軽いバルブリテーナーを受け取り、
東京 青山通りのチックタックと云う喫茶店へ。
待つこと30分。
待ち合わせに現れたのが、清々しい学生風の青年。
その青年の案内で青山学院大学近くのマンション地下駐車場へ。
そこには、泥にまみれた27レビンのラリー車が、、、。
青年は、”あとはお任せする”と言葉を残し何処かへ。

参考 山岸選手の27レビン
先輩は、”さあ 始めるぞ!”と、ボンネットを開け、ウェーバーキャブの取り外しに。
私は先輩の指示でヘッドカバーを外し、プラグ穴から圧縮空気を加え、TRDで受け取った軽いバルブリテーナーの交換。
実は、このリテーナー。 当時としては非常に貴重なチタン製のバルブリテーナー。TRDでもWRCやレースエンジン用にしか使われておらず、価格も高価で、当時の私の給料8万のところ、このチタンバルブリテーナーは一個7000円以上するもの、当時の私は”チタン”も知らず、プラスチックの様に軽いリテーナーに強度不足の不安さえ感じた。
この軽さで、高回転までエンジンを回した際のバルブサージングを防ぐ役割を果たす。
作業開始から約2時間で完了。時同じく、あの青年も現れエンジン始動!
キャブの吸気音、タコ足エキゾーストとマフラーからの爆音。
青年は”試走してくる”と、もの凄い音を響かせ青学前をアクセル全開!
暫くして戻った青年は”吹け上がりの途中で、一瞬息継のような違和感がある”と、、、。
先輩は、またキャブ調整。何度か繰り返し自宅に戻ったのは、深夜の3時過ぎだった。
後から知ることになったが、あの青年は当時、全日本ラリードライバーを脅かす、若手ラリースト 清水和夫氏であった。
その後、SUBARUに引き抜かれスバル四駈で全日本ラリーを戦う他、プローバ代表やレースに参戦、またモータージャーナリストとしても活躍されている。
私のラリーとの出会いは、先ずラリー車のエンジンメカニックからが第1歩である。
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Posted at
2015/09/16 13:54:03