当時の画像も少なく、自分と関係者以外の画像も含まれます。
長文となりますので、必要のないものはスルーしてください。
【ラリー車メカニック卒業】
前回のブログで、若手ラリースト清水選手のラリー車メカをしていたが、
関わって約2年程で、清水選手はSUBARUへ移籍。
トヨタ系メカニックであった私もTE27が不必要になった段階で清水選手のラリー車メカも不要となった。
清水選手が活躍したTACSクローバーラリー。
斑尾ホテルを拠点とし、クローバーのように3ステージで戦う伝統ラリー。なかでも、奥志賀スーパー林道を全開で走る豪快なラリーだ。 ここに清水選手他3台のラリーサービスに同行。
ラリーが始まり
・第1ステージを走りきり続々とサービスに帰ってくる。
全日本ドライバー 綾部氏、竹平氏、PMSCの関根基司選手は真っ赤なハコスカGTR他、当時の全日本ドライバーだらけのなか、若手清水選手が表彰台を狙う!
・第2ステージが始まり、オフィッシャルから当チームの1台が奥志賀スーパー林道でコースアウト。救助に向かって欲しいとの連絡。 他のサービス員が乗ってきたランサーのラリー車にサービス員2人乗せ、オフィッシャルからコマ図を貰い、救援に駆けつける。
私は、この時まで本格的なラリーコースを走った事がなかった。
ランサーをドライブする人も、ラリー実戦者。奥志賀スーパー林道を存分に尻を流しながら走行する。
もの凄い砂利の音! 上下左右の激しい揺れ!キャブの豪快な吸気音!先の見えないコーナーへ車を横にし突き進む! 私はこれでラリーへドップリはまってしまった。
【実戦ラリー参加 初級~中級ラリー】
話を戻す。
要はラリーメカニックの仕事が無くなり、実戦ラリーへの道を進む事となった。
私も豪快なラリードライビングしたいとドライバーを目指したが、練習会で出会った中級ドライバーの横に乗る機会があり、そのテクニックと見えないコーナーへ全開で進む勇気の無さに愕然とした。これで中級か?と。目指す全日本等あり得なかった。
考えを変え、優秀なドライバーは入るが、有名なナビは僅かであった。
”そうだ ナビで全日本を目指す、、、と”
どんな運転をされても酔わず、計算しドライバーに的確な指示をできるまで約3年かっかた。
先ずは、大学主催のラリー参加。 上のタイトル画像は、鈴木選手と組、北里大学ラリー参加した図。
カローラ4Dr GTが懐かしい。 大学ラリーでは、ナビゲータの計算能力を問うラリーが多く、ナビの実力が試される。
この図は、女房をドラにし自分の車両マツダBMFR GTAラリー車で大学ラリーに参加した図。
大学ラリーを卒業し、継はJMRC関東の東京ラリーシリーズへ参戦。
ドライバーは当チームの鈴木氏、車両は下図。
東京シリーズ戦は、ナビ区間がメインだが短い距離のSS(スペシャルステージ)、誰が一番速いのかが組み込まれる。1年目はカローラFXで挑戦するも、上位との差は歴然。
2年目、ドライバーの鈴木氏の熱意と週3回の練習で、飛躍的の上達。それを見て応援してくれる方から、 ”うちのワークスカーに乗ってみるか” で、下図車両に乗る事に!
○クヤマワークス マーチRだ!!
東京シリーズも途中で卒業し、中級ラリーJMRC関東ラリーシリーズ参戦となった。
翌々年の関東ラリーシリーズ開幕戦アルタスラリー(千葉)を優勝。第2~3戦を常に上位入賞しシリーズポイントも2位。
向かえた第4戦 8月のNASCラリー長野。
ここで一気に優勝し、シリーズポイントリーダーにと意気込んで参加。
○クヤマの積載にワークスカー。まるで全日本のようだ。
スタートは
スタートして順調にCPをこなす。
今も思い出せないが、何CP後のAVE指示52K/H。CPでの停車時間を考えるとCP後はAVE誤差0まで全開走行! ダートの上り約2Kほど迄来て ドライバーが”アッ”と言った途端、一瞬無重力で次の瞬間、もの凄い衝撃が身体に!!
山中の沢に 約6m飛び2m落下し車は大破した。
後続のC車両ギャランVR、パルサーGTR等は私たちの車両を飛び越え落下した。
同じ場所で、確か13台落下し地獄図と。 偶然持ち合わせた使い捨てカメラで写した。
朝になり落下した車両を引き上げサービスカーに
落下車両は各クラス上位車両ばかり。私たちの関東ラリーシリーズ戦も終わってしまった。
次回に続く
Posted at 2015/09/16 22:06:17 | |
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