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2015年09月16日 イイね!

ラリー人生を振り返る-2

ラリー人生を振り返る-2当時の画像も少なく、自分と関係者以外の画像も含まれます。
長文となりますので、必要のないものはスルーしてください。

【ラリー車メカニック卒業】

前回のブログで、若手ラリースト清水選手のラリー車メカをしていたが、
関わって約2年程で、清水選手はSUBARUへ移籍。
トヨタ系メカニックであった私もTE27が不必要になった段階で清水選手のラリー車メカも不要となった。

清水選手が活躍したTACSクローバーラリー。
斑尾ホテルを拠点とし、クローバーのように3ステージで戦う伝統ラリー。なかでも、奥志賀スーパー林道を全開で走る豪快なラリーだ。  ここに清水選手他3台のラリーサービスに同行。

ラリーが始まり
・第1ステージを走りきり続々とサービスに帰ってくる。
全日本ドライバー 綾部氏、竹平氏、PMSCの関根基司選手は真っ赤なハコスカGTR他、当時の全日本ドライバーだらけのなか、若手清水選手が表彰台を狙う!

・第2ステージが始まり、オフィッシャルから当チームの1台が奥志賀スーパー林道でコースアウト。救助に向かって欲しいとの連絡。 他のサービス員が乗ってきたランサーのラリー車にサービス員2人乗せ、オフィッシャルからコマ図を貰い、救援に駆けつける。
私は、この時まで本格的なラリーコースを走った事がなかった。
ランサーをドライブする人も、ラリー実戦者。奥志賀スーパー林道を存分に尻を流しながら走行する。
もの凄い砂利の音! 上下左右の激しい揺れ!キャブの豪快な吸気音!先の見えないコーナーへ車を横にし突き進む! 私はこれでラリーへドップリはまってしまった。

【実戦ラリー参加 初級~中級ラリー】
話を戻す。
要はラリーメカニックの仕事が無くなり、実戦ラリーへの道を進む事となった。
私も豪快なラリードライビングしたいとドライバーを目指したが、練習会で出会った中級ドライバーの横に乗る機会があり、そのテクニックと見えないコーナーへ全開で進む勇気の無さに愕然とした。これで中級か?と。目指す全日本等あり得なかった。  
考えを変え、優秀なドライバーは入るが、有名なナビは僅かであった。
”そうだ ナビで全日本を目指す、、、と”
どんな運転をされても酔わず、計算しドライバーに的確な指示をできるまで約3年かっかた。


先ずは、大学主催のラリー参加。 上のタイトル画像は、鈴木選手と組、北里大学ラリー参加した図。
カローラ4Dr GTが懐かしい。 大学ラリーでは、ナビゲータの計算能力を問うラリーが多く、ナビの実力が試される。


この図は、女房をドラにし自分の車両マツダBMFR GTAラリー車で大学ラリーに参加した図。

大学ラリーを卒業し、継はJMRC関東の東京ラリーシリーズへ参戦。
ドライバーは当チームの鈴木氏、車両は下図。



東京シリーズ戦は、ナビ区間がメインだが短い距離のSS(スペシャルステージ)、誰が一番速いのかが組み込まれる。1年目はカローラFXで挑戦するも、上位との差は歴然。
2年目、ドライバーの鈴木氏の熱意と週3回の練習で、飛躍的の上達。それを見て応援してくれる方から、 ”うちのワークスカーに乗ってみるか” で、下図車両に乗る事に!


○クヤマワークス マーチRだ!!
東京シリーズも途中で卒業し、中級ラリーJMRC関東ラリーシリーズ参戦となった。

翌々年の関東ラリーシリーズ開幕戦アルタスラリー(千葉)を優勝。第2~3戦を常に上位入賞しシリーズポイントも2位。
向かえた第4戦 8月のNASCラリー長野。
ここで一気に優勝し、シリーズポイントリーダーにと意気込んで参加。

○クヤマの積載にワークスカー。まるで全日本のようだ。


スタートは


スタートして順調にCPをこなす。 
今も思い出せないが、何CP後のAVE指示52K/H。CPでの停車時間を考えるとCP後はAVE誤差0まで全開走行! ダートの上り約2Kほど迄来て ドライバーが”アッ”と言った途端、一瞬無重力で次の瞬間、もの凄い衝撃が身体に!!
山中の沢に 約6m飛び2m落下し車は大破した。
後続のC車両ギャランVR、パルサーGTR等は私たちの車両を飛び越え落下した。
同じ場所で、確か13台落下し地獄図と。 偶然持ち合わせた使い捨てカメラで写した。



朝になり落下した車両を引き上げサービスカーに



落下車両は各クラス上位車両ばかり。私たちの関東ラリーシリーズ戦も終わってしまった。



次回に続く

Posted at 2015/09/16 22:06:17 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2015年09月16日 イイね!

ラリー人生を振り返る-1

ラリー人生を振り返る-1先日、ランチアデルタのナビパネルを更新するなか、自分のラリー人生の記録を残しておこうと思った。

当時の画像は少なく、自分と関係者以外の画像も含まれます。
長文となると思います。必要のないものはスルーして下さい。

【ラリーとの出会い】
1979年 社会人となった一年目。仕事は横浜のTディーラーのメカニック。

仕事が終わり工具を片付けていると、職場の先輩から”今晩、付き合え”と。
先輩を私の車に乗せ向かった先は、横浜師岡にあったTRD。
そこで、昔の500円硬貨位の黒くて非常に軽いバルブリテーナーを受け取り、
東京 青山通りのチックタックと云う喫茶店へ。
待つこと30分。
待ち合わせに現れたのが、清々しい学生風の青年。
その青年の案内で青山学院大学近くのマンション地下駐車場へ。
そこには、泥にまみれた27レビンのラリー車が、、、。
青年は、”あとはお任せする”と言葉を残し何処かへ。


参考 山岸選手の27レビン


先輩は、”さあ 始めるぞ!”と、ボンネットを開け、ウェーバーキャブの取り外しに。
私は先輩の指示でヘッドカバーを外し、プラグ穴から圧縮空気を加え、TRDで受け取った軽いバルブリテーナーの交換。
実は、このリテーナー。 当時としては非常に貴重なチタン製のバルブリテーナー。TRDでもWRCやレースエンジン用にしか使われておらず、価格も高価で、当時の私の給料8万のところ、このチタンバルブリテーナーは一個7000円以上するもの、当時の私は”チタン”も知らず、プラスチックの様に軽いリテーナーに強度不足の不安さえ感じた。
この軽さで、高回転までエンジンを回した際のバルブサージングを防ぐ役割を果たす。

作業開始から約2時間で完了。時同じく、あの青年も現れエンジン始動!
キャブの吸気音、タコ足エキゾーストとマフラーからの爆音。
青年は”試走してくる”と、もの凄い音を響かせ青学前をアクセル全開!
暫くして戻った青年は”吹け上がりの途中で、一瞬息継のような違和感がある”と、、、。
先輩は、またキャブ調整。何度か繰り返し自宅に戻ったのは、深夜の3時過ぎだった。

後から知ることになったが、あの青年は当時、全日本ラリードライバーを脅かす、若手ラリースト 清水和夫氏であった。






その後、SUBARUに引き抜かれスバル四駈で全日本ラリーを戦う他、プローバ代表やレースに参戦、またモータージャーナリストとしても活躍されている。



私のラリーとの出会いは、先ずラリー車のエンジンメカニックからが第1歩である。


Posted at 2015/09/16 13:54:03 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記

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「@V10☆5000 お疲れ様でした。
今日はストラトス、S4含みランチア車両14台集まりました。 久し振りに皆さんと車談義が出来て楽しい時間でしたね。朝、8時から5時間 立ちっぱなしで、腰や頸が痛くなって来たのは、V10さんと同じです。(笑) また関東にも来て下さいね。

何シテル?   12/20 14:58
ブログをはじめました! コメント大歓迎です。 これからどうぞよろしくお願いします! 横浜市在住のデルタです。 よろしくお願いいたします。 ◆...
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