味見試乗も夢じゃない!
《「雨の日には車をみがいて」の車たち》も6月3日に公開した今回が4台目である。当欄では「第3球」目となった。早速、その「第3球目」をじっくりご賞味いただきたい。イタリア車の魔力、登場するマドンナの熱狂と官能に囚われながら、物語は熱く沸騰する。まずは『幻冬舎PLUS』の連載第4回からどうぞ。
アルファ・ロメオ、月と熱狂と官能と ◉タイトルをどうぞクリック
主役の初代アルファ・ロメオ・ジュリエッタ ・スパイダーは、スポーツメーカー一辺倒だったアルファ・ロメオが第2次世界大戦の終熄後は、世界の潮流に先んじてそのスタンスを180度転換し、開発した小型モデルで、いわばお宝クルマ。
ベルトーネの当時のチーフスタイリスト、フランコ・スカリオーネがデザインした2ドアクーペをベースに、ピニンファリーナがオープンボディのスパイダーをデザインしたもの。排気量は1.3 ℓと小型車ながらも160km/hの最高時速をマーク、当時としては異例ともいえる性能の高さを見せつけた。その上、コンパクトで使い勝手のよさから、ファミリーカーとしても評価され、ジュリエッタの名前は瞬く間に広がった。ある時期のH O N D A車を連想してしまう。
*「はじめて見るジュリエッタ ・スパイダーは。信じられないほど優雅で、軽快で、そしてしなやかだった。アルファ・ロメオ独特の盾(たて)のグリルを、やや傾斜してとりつけたジュリエッタ は、二人の乗り手だけのための本物のスポーツカーだった」 (「雨の日には車をみがいて」幻冬舎刊より)
さて、その初代ジュリエッタ・スパイダーが誕生してから70年が近い。この幻の名車のお仲間入りをしてしまったジュリエッタ ・スパイダーの生(なま)で走る姿に逢えないものか、いろいろと手を尽くしてみた。
かつては目黒通りが環八にぶつかる手前で、イタリアンファッションとイタリア車の専門店で鳴らした『伊太利屋』は有明に本拠を移しており、残念ながらクラシック・ジュリエッタ は在庫していない。
東京タワーの真下で、ポルシェを中心に欧州メーカーのビンテージものを熱心に扱っている「オートダイレクト」もジュリエッタ は時々お客さんが持ち込んでくれる程度なので、と積極的な対応は頂けなかった。
やむをえない。網を投げる範囲を広げる。広島でジュリエッタのスパイダーはもとより、そのワンランク上のスプリントも扱っているカーショップがある、という情報を得た。そのワールドモータース・グループに、すぐに電話を入れる。担当者の声が頼もしかった。彼が直接ローマ市内の現地に赴いて直接に貴族の流れを汲むオーナーから入手したものだという。
「そのジュリエッタ スパイダーは、1961年製で、3オーナー車です。1971年に2代目オーナーがこの車を所有した際にフルレストアを施して以降、屋内ガレージ(納屋)に毛布に包んで保管し、晴天の週末のみ使用していたとのこと。今のオーナーは2代目オーナーのお嬢さんで、父娘2代で長年大切にされてきたこの個体は、非常にオリジナル性の高い1台と言えます。いやあ、くるまれた毛布の中からあの鮮やかな赤のボディが出てきた時には感激しました。人と車に歴史の詰まった貴重な1台でしたね」
もちろん、すぐに東京在住の買い手がついて、撮影と試乗ができるかどうか、連絡が取れるだろうとのこと。
翌日、連絡を入れると、ご本人がナロー・ポルシェ(第1世代の911)に乗り替えることになって、ジュリエッタは残念ながら手放していたとのこと。
*ローマから届けられたジュリエッタ 。あなたに逢える日があるのか。
それでも「ジュリエッタ ・スパイダー」を記録した画像の提供を受け、その魅惑の姿態をなんとか紹介するところまでは漕ぎつけた。
ま、今回は此処までで、「よし」としよう。そう得心して、6月3日の朝、午前8時の公開タイムに備えて、当みんカラページの「マイページ」を開いて目を疑った。前夜からこの朝にかけて投稿されたブログの告知記事一覧。そのど真ん中に、真紅のボディカラーのオープンカーの姿が収まっている!
「まさか、ジュリエッタ ・スパイダー?」
やや前傾してフロントノーズに取り付けられた盾のグリルは、間違いなくアルファロメオ・ジュリエッタのものだ。
*スタートするロッソF氏夫妻の「ジュリア・スパイダー・ベローチェ」
心を押し鎮め、その告知記事をクリックし、改めて投稿ブログを開いて、検証作業をしはじめた。投稿者は‥‥‥ん??。まさか、「ベストモータリング同窓会」メンバーでフェラーリ・オーナーの「ロッソF」氏かい? それならビックな発見になる。その彼だとしたら、ありがたい。彼とは6年前の「第5回ベストモータリング同窓会」の代官山TSUTAYA講演会と、河口湖・富士カームミーティングで二日続けてご一緒している。
*クラシックカー・ラリーの観客に手を振ってこたえる「ロッソF」夫妻
ブログページの上段を飾るフェラーリ355G T Sのパレード、間違いなく「ロッソF」氏のものだ。中身は5月28日に軽井沢で3年ぶりに開催されたクラシックカーラリーの参加レポートで、なんと世界でたった1台のビッザリーニディーノ、注目度NO.1のミウラまで参加したことを伝えている。そしているわ、いるわ。ジュリエッタ ・スパイダーの仲間もお互いの交歓を楽しむ様子が・・・。これは大変な宝の山だ。「ロッソF」氏に早速「メッセージ」を送った。こちらの今の状況を説明し、携帯スマフォに連絡が欲しい、と。
*6年前の「ベスモ同窓会」の全員集合。おお「ロッソF」さんも笑顔で。
すぐに返信のメッセージが届いた。こちらからのコメントを読んで「驚きました。すごいタイミングですね」と。そして、近く時間を作って、彼の「ジュリア・スパイダー・ベローチェ」に試乗して欲しい、と。
*おお!なんと向かって左のジュリエッタ ・スパイダーこそ、あのローマからの?いや、これは夢だろう。でもボンネットのラインは間違いなく!右がロッソF氏の愛車。
ロッソF氏愛車の正式名は「アルファロメオ ジュリア スパイダー ベローチェ。1965年式ジュリエッタ系(101)の最終バージョン」で、生産台数1061台のスペシャルモデルだという。
これぞROSSO(赤)の奇跡か。イタリアの車は赤がよく似合う。それもそのはず、かつて国際自動車連盟によって1900年頃、国別に車両の塗装色が指定されたのが始まりで、イタリアが割り当てられたのが「赤」で、アルファロメオやマセラティが赤色のマシンを製造して参戦し、それが「ナショナルカラー」とされるようになった。フランスは「ブルー」、イギリスは「グリーン」。
できるだけ早い機会にこの小柄な「ROSSO」スパイダーの味見試乗記をお届けしたい。実は他にも仕上げたいテーマもあって、結構、時間に追われる毎日である。 題して『それからの義経』。義経は生きていた。頼朝から逃れて、弁慶とともに北へ・・・。彼の北行伝説を偲んで、そのルートに残されている言い伝えが道案内風に点々と青森・竜飛岬まで繋がっていたのを、20年前にルポしているが、今はどうなのか。9,11の東北大震災によって、一部が壊滅したと聴くが・・・。
(NHK連続ドラマ=「鎌倉殿の13人」から)
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は三谷幸喜のシナリオが新鮮で、気に入っている。中でも「菅田義経」がいい。その彼はもう「回想」の肩書きでしか登場しない。でもその「菅田義経」が実は北へ・・・。6月の暑い盛りに、たとえ酒漬けで腐敗を防いで、と届けられた義経の首は身代わりのものだった、なんて声も聞こえてくる。大泉洋の頼朝が首桶を抱いて号泣するシーン、あれも印象的だった。