〜つい口ずさむ《愛しき日々》〜
18年間も連れ添った老友プログレNC300のご機嫌が、近頃、「すこぶる」つきでよろしくない。ODOメーターも113,000kmに達してからは、一向に伸びていないのがご不満らしい。
5月最後の土曜日の12時05分に《Facebook》で、パルサーとパルサーEXAのフレッシュマンレース時代の走り写真を添えて、以下のように、ちょっとばかり動向を流してみた。
――丹沢山麓で本物志向の蕎麦を用意している店「丹沢そば本店」で、本日(5/26)午後5時から、かつての富士フレッシュマン戦で青春を競い合った連中が「同走会」を催す。「同窓会」ではなく「同走会」としたところに、想いが籠められている。店主もサニーB110で腕を磨いたという。そこでかつてのフレッシュマン仲間、元オーテク編集長の飯塚昭三さん(現在は日本自動車研究者ジャーナリスト会議=RJC会長)を誘って参加。久しぶりに会える《元フレッシュマン戦士》たち。そして久しぶりの東名高速走り。ワクワク、ウキウキしています……。
同行する飯塚さんとは午後3時に、同じ私鉄沿線に住んでいることもあって、最寄りの駅前ロータリーで待ち合わせ、プログレNC300で丹沢山麓へ向かう約束だった。となると満タン、タイヤのエア圧チェック、洗車をしておくのは当然のマナーだろう。
午後1時、KEYホールダーをブラブラさせながら、1Fの駐車場へ向かう。
「しばらく」と老友に声をかけながら、ワイヤレス・リモコンスイッチをプログレに向けて、ピッと「openマーク」を押す。と、いつもなら元気よく「ドアロック」を解く音と、方向指示ライトのウインクで応えてくれるはずの老友が、弱々しくドアロックを解く音を発した後は、ムスッと黙ったままである。
「やばいな。1週間ほどお相手をしなかったから、やっぱりバッテリーが上がってしまったのか!?」
慌てて、ドライバーズシートに腰を落とす。そしてエンジンがかかってくれることを祈りながら、こわごわとスタータースイッチをひねる。ククッと弱弱しくセルが反応しかかったものの、それ以上のパワーは伝わってこなかった。同じことを3度ばかり試みたものの、結果は変わらない。
「弱ったぞ。でもこれが出かける間際でなくて助かった。さてどうしようか」
ともかく、トランクから赤と黒の「ジャンピングコード」を取り出す。次にエンジンフードを持ち上げ、バッテリー装着箇所を確認する。と、そこへ、幸いというべきか、2台隣に駐車契約をしている、顔馴染みのSUBARUフォレスターのオーナーが出かけるためにやってきた。ここは頭を下げて、ともかく協力をお願いするしかなかった。
幸い、エンジンは一発で回復してくれた。
午後3時になる5分前に、洗車をすませ、エア圧も2,2で揃え、ETCカードもセットし、もちろん30分ばかり、プログレをクルージング・ランさせ、充分にバッテリーを回復させたところで、約束の駅前ロータリーへ。すると、どうだ。すでに飯塚昭三さんが待機していて、こちらへ向かって軽く手を挙げている。
6歳年下(1942年生まれ)の飯塚さんとの付き合いは長い。何しろわたしがポンコツのサニーB110で「富士フレッシュマン」にデビューした1981年12月6日当時は、飯塚さんはTSサニーでFISCOを疾駆する「走り屋編集者」として、すでに知られる存在だった。
それから3年後、MAZDAファミリアが売れ売れた時代で、ファミリアNP仕様のワンメークレースがスタートした。そこでプレス専用車を用意することになり、FISCOでシェークダウンテストが行われ、そのドライバーに選ばれたのが飯塚さんとわたし、それとCARトップの鈴木俊治君が選ばれた。詳しくは「みんカラ」で『プレス専用ファミリアの快挙』とタイトルして紹介済みなので、この際、ぜひご一読願いたい。何しろ富士フレッシュマンレース第3戦・P1600-Aに出場したわたしが、なんと第7位でフィニッシュする鼻高々のレポートとなっている。ま、当時のフレッシュマンレースの雰囲気がどんなものだったかを感じていただけたら幸いだ。
2012年01月29日掲載
●プレス専用ファミリアの『怪挙』
~これにてドン亀パルサーを卒業~
丹沢山麓までのルートは、Car Naviに任せてあった。目的地まではほぼ75km。環八・用賀から東名高速に入り、港北SAでCOFFEEブレーク。そこからは飯塚さんにハンドルを譲った。特段の渋滞もなく流れは順調。プログレ君も、久しぶりのPowerモード走行で、時折、クオーンと直6DOHCが吼えるステージを与えられて、機嫌もなおったようである。飯塚さんも試乗車以外でFR車を走らせるのは久し振りだ、と◯印を出した。
厚木ICを過ぎたあたりで、やっと前方に大山山系がどっしりと黒い姿を現わした。次の秦野中井IC で東名を降り、下道を西北方向へコースをとる。「夢庵」のあるT字路を左折。そこからは『はだの桜みち』と呼ばれる緑に覆われた登り道が6キロほど続く。左手に渋沢丘陵、神奈川県で最も長い桜並木道で、いま売り出し中の観光スポットだとか。途中、右手に秦野の中心市街地を見下ろすポイントがあったりと、結構、変化に富んだ景観が楽しめた。
小田急小田原線のガードを潜ったり、R246と交差したりしたが、ともかくNANIの指示通りに進むうち、ぽっかりと広い駐車スペースの奥に、かつては藁葺きの旧家だったのを、今風に改築したと思われる赤い屋根の建物が、集合場所の「丹沢そば本店」だった。時計を見ると、定刻の午後5時ジャスト。すでに5台ばかりのクルマが適当な間隔をとって並べられ、出席者とおぼしき10人近くが店の前で談笑している。
この時から、時計の針はいっきに30余年、巻き戻ることになる。
プログレから降り立ったわたしたちを認めて、何人かが笑顔満開で出迎えてくれる。その中の、スレンダーなー、長い髪の品のいい中年女性に、見覚えがあった。
「お判りですか? 三野輪良子です」
「あ、ファミリアレースの女王!」
「ありがとうございます。雨の日のレースレポートで褒めていただいたのが嬉しくて、いまでも覚えていて、感謝しています」
「そうだ、そうだ。ぼくは自分のレースを終えた後、第1コーナーへ行って驚いた。押すな押すなの盛況で、中でも1600-Aで予選と決勝も1位となった女性ドライバーへの声援が大きかった。それがあなたのことだった。確か、1600−Cの方で、秋山武VS.志賀正浩の芸能人対決があったりして……」
30年の空白が一気に消滅していく。そして暖かい記憶の衣(ころも)に包まれていく。還暦を過ぎたのを記念して企画された中学時代の同窓会。あの時のそわそわした気分が思い出される。
受付をすませる。会費は後刻、中締め時に割り勘で精算します、とかなりザックリした構え。然らば今のうちに定刻を守って来たものだけで、集合写真を撮って置こうと声をかけた。
「そうしましょう」と応じたのがこの会の世話役、板橋徹さんであった。細面のその顔に、少しは年齢を重ねているが見覚えはある。何しろ、参戦したばかりのミラージュカップフレッシュマンレースが舞台を筑波からFISCOに舞台を移した第2戦の最終周、8位までせり上がって来たわたしが、先行するゼッケン61の白いマシンのお尻を間近に見つめながらチェッカーを受けたと言うレポートを残している。そのドライバーが板橋さんなのだ。
その辺りに関わるレポートを、やっぱり「みんカラ」に収録済みなので、こちらからぜひどうぞ。
2012年05月16日
●中谷直伝「しなやかに牙を剥け!」 ~ミラージュFISCO戦で開眼~
この3月、Facebookを介して「富士フレッシュマン」で走った仲間の集まりを催すので、丹沢まで来ないか、と誘ってくれたのも板橋さん。この後、じっくり、久闊を叙する、とするか。
*世話人役の板橋さん
午後5時30分、やっと開会に漕ぎ着けて、「同走会」が始まった。参加者も40名近くに膨らんでいた。
店内はL字型の仕切られているため、参加者は思い思いのテーブルに着席して、たっぷり用意された料理に箸をつける。ご自慢の丹沢産の十割蕎麦は、料理の最後に用意されているという。
賑やかなおしゃべりタイムが、あちこちのテーブルで始まった。と、三野輪良子さんが改めての挨拶にやって来た。今は結婚して「鈴木姓」だという。ご主人はミュージシャンで、レースで注目されていた頃の彼女のことは知らないとか。
*向かって左端がチームエンジェル時代の「ファミリアレース」の女王。前列中央に長谷直美さん。その左が下山恵子さん。この時も、飯塚さんと一緒だったのか。
「ぼくの記憶では、旧姓で呼んでごめんね、三野輪さんはレースをやるきっかけは日産がラングレーのPR用に“チームエンジェル”を結成、下山恵子と長谷直美をドライバーにして、可愛い子ちゃんをピット要員に揃えた時の……」
「はい。そのメンバーに受かったのがきっかけで、レースをやりたくって、」ファミリアからはじめ、TSまでステップアップしました」
「そうだ。赤坂の“島”というサパークラブで、チームエンジェルの打ち上げをやった時、一緒だった」
「はい、お相撲の輪島さんが合流して…•」
「あ、その時の写真があったはずだ」
「はい、あたし、持っています」
*TS乗りの関さん、変わらないね。
*この後、影山正美君が、わたしの「逆噴射事件」がミラージュCUPの時と勘違いして いたことが判明。
そんな話に夢中になっているところへ、板橋さんがTSサニーのチャンピオンを張った関達彦さんやら、スーパ−500のチャンピオンにもなった影山正美君を挨拶に連れて来て、話は大いに盛り上がるのだが、この項はここらで一旦、一休みを摂らせていただく。
富士フレッシュマン時代。その頃のことを思い浮かべて、プログレを走らせていると、つい「口ずさむ」歌がある。堀内孝雄の「愛しく日々」である。
🎵 いとしき日々の 儚さは 消え残る夢 青春の影
そうだ、ひさしぶりに、カラオケに行きたくなったなあ。(この項、続く)