その序章としての『タンボフレンド撮影会』
こんなにも重々しく、禍々(まがまが)しい日々は真っ平だ。「みんカラ」の方も『天国のノムさんへの報告』を始めたのはいいが、もう一つ、その続きを仕上げるパワーが湧いてくれない。心に灯火が点いてこない。
それでも「Face Book」とみんカラの「何シテル?」のような小回りの効くコラムスタイルをステージに、「生存の証し」としてチョロチョロとわが消息を発信してきた。
そこで考えた。その両方をドッキングさせて「つれづれの記」の一端にしてみたらどうなるか? ともかくやってみようか。
ことの火付け役はいつものように「ベストモータリング」の元幹部、田部靖彦君である。その舞台となったF Bのメッセンジャー欄をコピーしてみると‥‥。
*デイトナで取材中の田部靖彦君
2020/01/13/ 17:02
「こんにちは。時間がある時にタンボさんのFBを覗いて下さい。みんな(註:ベスモグループ)で撮りたいとお願いしました。とりあえずスケジュール空けおいて下さい!」
早速、「タンボさん」こと北畠主税クンのF Bページへ。ベストモータリングの創刊とともにV I D E Oパッケージの表紙写真を撮り続けてもらった関係である。なるほど、このところ「グランツーリスモ スケープスツアー」の依頼で世界中の僻地を飛び回っていた仕事が一段落したので、ご無沙汰しているCARメディアのフレンドたちへの感謝の意味もあって、スタジオを借りてタンボ撮影会を催したいというのだ。
やるねぇ、タンボちゃん。以下のコメントも洒落ていて、ジーンときた。
「3/15日に、タンボフレンド撮影会をやります。スタジオカッシーを1日お借りして。よろしければ、是非是非。1人30分って感じです、15人限定で。参加費は、ケーキ4個です。コーヒー付きです。田んぼは、皆さん、ご存知でしょうが、どちらかというと、人の写真は、苦手です。《そんなの知ってるよ》って方だけでお願いします」
一読、確認後、田部君にメッセージを返す。
「参加を伝えました。君の命令だから。いつも、ありがとう」
このタンボ企画は大受けだったのはいいが、タンボご本人が悲鳴をあげたらしい。2日後、こんな「お詫び」のページが掲載されていた。
「タンボフレンド撮影会についてのお詫びです。
凄い数の申し込みのメールをいただきました。が、想定数を大幅に上回り、もう処理ができない数になってしまいました。
なので、本当に申し訳ないのですが、3月14〜15日の撮影会は、やはり最初に書きました限定数15名で締め切らせて下さいませ。1〜15までの方です。
それ以降の番号の方は、期待させて本当にごめんなさい。何だよな−−−!ってお思いでしょうが、予想より多く来過ぎちゃいました。どうぞお許し下さいませ。最初の会なので、まずは僕との付き合いの長い方から始めさせてもらえたらと思います。第2弾は改めて声をかけさせて下さい」
そのあと、ご本人は羽田からフランクフルト経由で合計30時間を掛けて南米大陸へ飛んで、ウルグアイ、アルゼンチン、パタゴニアとハードな撮影旅行に。
フレンド撮影会の雲行きも怪しくなった。田部君からも、その後の連絡はない。
だからこちらも、いつしか「当てにしないで待っていよう」という気分になっていた。
ところが、3月8日の朝8時に田部君から、メッセージがやっと入った。
「お待たせしました。3月15日(日)は17:30から柏田くんのスタジオで撮影になります。余裕を見て16:00過ぎにお迎えに上がります。できればスーツかジャケットにネクタイでお願いします。参加予定は大井(貴之)、山本(享)、本田(俊也)、杉野(勝秀)にぼくの6名です」
おお、タンボちゃんの話は忠実に守られるのだ。それにこのメンバーが一堂に会するとは! 嬉しいじゃないか。ポッと心のともし火が、久しぶりに点灯してくれた。
早速、「ありがとう。 お待ちしています」とメッセージを返し、1週間後の3月15日を待った。その間も新型コロナウィルス禍で、世の中が周囲に気を使って縮こまっている。世界の自動車業界も揃って大変な局面を迎えつつあった。
そして待ちわびた3月15日の朝が来て、わたしは朝日新聞の第5面を拡げて、S U Z U K Iの一ページ広告に見入っていた。創業100周年を迎えられたことを、内外に向かって深く感謝の意を述べていた。すでにMAZDAがこの年の初めに100周年を迎えているし、SUZUKIからも鈴木修会長、俊宏社長の連名で挨拶状をいただいていたから、100周年そのものは耳新しくはないが、この時期に1ページ広告をうつSUZUKIの心意気には、感じるものがあった。
無駄のない静かな佇まいが、まず気に入った。
上段で2行、この特大活字のコピーが胸を搏(う)つ。
感謝。感謝。感謝の100年でした。
そのコピーの真下に創業者鈴木道雄氏の、叙勲を受けた記念の肖像写真を飾り、その両側を1952年に世の中へ送り出した自転車『パワーフリー号』にはじまって、1955年10月、この国の軽自動車の先鞭をつけた『スズライト』(2サイクル360cc)を配している。
そしてスズライトの真下には、10年後に新分野進出を目指して船外機用エンジン『D55』(2サイクル55馬力)、さらにそれを支えるようにして、ああ懐かしや、海外市場を席巻した新型二輪車『GSX1100S』(1981年1月)の勇姿だ。
お客さまのためなら、どんなことをしてでもこたえろ。
頑張れば、できるもんだ。 創業者 鈴木道雄
創業100年。SUZUKIが今、改めて「物づくりの原点」として、噛みしめている言葉。その真下に真紅のボディカラーの『アルト』(1979年=2サイクル550cc)。それからのSUZUKIのクルマに託した想いがわかる配置だった。締めはやっぱりSUZUKIの原点である織機だ。A 44 片側四梃杼織機(かたがわ、よんちょうひ、しょっき)とよむ、まるでオルガンのような骨組みに、赤い櫛と歯ブラシを組み合わせたようなそのマシーンが、この軽自動車中心に発展してきた会社の原像を素直に演出していた‥……。なんだかハスラーのフロントマスクと似ていないか。
そして、1面広告の最下段に28行でまとめたスズキからの感謝の言葉。気張らず素直な姿勢がいい。
近年、R J Cのメンバーに加わってからは、スズキのNEWカーに試乗できる機会が増え、関わっているSUZUKIマンの方々との接触も増えた。試しに「何シテル?」を開いてみると、SUZUKIに関わる動静が多いのに、改めて驚く。たとえば‥‥‥。
2019/12/24 18:40
珍しくボルドーの赤ワイン、シャトー・ラヴィゾンを引っ張り出し、
コルクを開け、家人と乾杯。Merry Xmas! 体調も回復しつつあり、それなりに活発に動くことができ始めた悦びからか。渋谷で催されたSUZUKI新型ハスラーの発表会へ。軽のクロスオーバー市場に強烈な新風が吹き込んだ!
2020/ 01/30 21:50
明日(1/31)は幕張を基地にして2代目ハスラーの試乗会が。そのためには何時に近くの私鉄駅から東京駅京葉線へ向かえばいいのか? いそいそと時刻表に取り組む。8:00の西武・有楽町線に乗れば悠々と9:00発の快速が待っているとわかる。クリスマスイブに発表された小さな怪物。楽しみだ!
02/02 21:35
31日は11時から幕張を基地にハスラーを試乗し、夕方から芝のPホテルまで戻って三菱自動車の名物広報マンの定年退職を送り出す感謝パーティへ。さて、ハスラー試乗記とパーティ出席記のどちらを先に仕上げようかな、と思案しながら気がついた。胡蝶蘭が1年の眠りから覚めて、やあ暫く、と。花言葉は「あなたを愛す」か。なるほど。では!
*スイフト HYBRID RS !.2ℓDOHC 2WD
*佐倉城址にて Xbee(クロスビー)
そうだった。SUZUKIのハスラーも、三菱自動車の名物広報マンの「卒業式」の模様も、結局、ブログにはいまだにアップしてなかった。近々、あのハスラーをスイフトやクロスビーと同様、幕張基地をスタートして佐倉までを往復した試乗記も何とかまとめあげたい。なにしろ今回のハスラーくらい日本=和の風景に見事に溶け込んでくれる車はない、と惚れ込んでしまったのだから。
☆ ☆ ☆ ☆
3月15日。やっと午後4時になった。と、インターフォンのチャイムが鳴って、モニターに迎えに来てくれた田部君の律儀な顔が映っている。いよいよ『タンボフレンド撮影会』の章へ、時間が巻き戻された。『わが初恋』が登場するのは、まだずっと先になる。お許しあれ。
(以下、次回へ)
Posted at 2020/04/04 22:22:35 | |
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還暦+白秋期の24歳 | 日記