〜続・不思議なこともあるもンだ!!〜
どんな理由でそうなったのか。ただ、5月4日に掲載した『A・セナの命日にめぐり逢えた《あの時代》』の記述がスッポリと抜けているのは、紛れもない……事実であった。なぜ消えてしまった?
5月17日にやっと拘束先から解放され、2週間ぶりに自宅のPCを 開いてみて、狐に包まれたような驚き、困惑の時間が始まった。
その状況については、5月22日になって、やっとアップした《不思議なこともあるもんだ‼︎!》に詳しい。
週が明けて、やっと「みんカラ」編集部と連絡が取れ、顔見知りの宇田川編集局長とも電話で状況を伝えることができた。30分ほど経って、宇田川局長から電話が入った。専門の部署にも調べさせましたが、確かに該当箇所は存在していません、その原因が何なのかも分かりません。それにセナに関わることだからといって、カービュー側が削除する理由もありません、という回答だった。では、なぜ? 原因がはっきりしないのは、なんとも落ち着かないが、ともかくカービュー側からの規制ではなかったと知って、安心した。ことの次第によっては、《みんカラ》での活動は断念しなければならない、と思っていただけに、正直、ホッとした。 さあ、エンジンがかかったぞ!
早速、復刻に取り組んだ。サブタイトルは「〜悪夢のような記憶も24年が経ってみると〜」だったな。
文章部分は、Wardに保存してあった。画像関係は、記憶を頼りに、当てはめていけばいいし、時間が立ったことで、若干の補強も、可能になった。では、始めようか。
黄金週間も中盤へ。天候が西から崩れ、いくつかのプロ野球ナイターも早々と試合中止が決まって、楽しみにしていた甲子園からの実況中継も無しに。
そこで久しぶりに「Facebook」をサーフィンすることにした。友達限定のニュースフィードだから、このSNS特有の煩わしさはない。と、いきなり魅力的なページにぶつかった。モータースポーツ関係の書き手として存在感の著しい高桐唯詩さんのページである。アイルトン・セナの憂いを帯びた横顔が、なんとも切なげだった。
5月1日、10時10分の投稿か。目を通すうち、グイグイと心を奪われてしまった。余計な説明は要らない。そっくり全文をご賞味いただきたい。
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高桐唯詩
5月1日になりました。五月晴れです。
24年前の今日、僕はフジテレビ内のサブ(調整室)でサンマリノ・グランプリのライブを見ていました。
1回目のスタートで事故があり、スタートやり直し。
そして悪夢のような瞬間がやってきました。セナ激突。
容体がわからないまま、スポーツWAVEの構成と、続くグランプリ中継の準備に追われました。そしてNHKの速報。
でもフジテレビ的にはセナの死は、発表できませんでした。
あれから翌日の特番。セナ展の準備。追悼コンサート。さまざまなことで走り回ったことが思い出されます。
写真はセナ展のパンフレットと中に書いた私の詩。金子博さんのセナカレンダー5月の映像など、お借りしてアップします。
熊谷睦AS編集長と作ったセナの臨時増刊もいい思い出です。
☆ ☆ ☆
「音速の貴公子」の称号を持つF1ドライバーが、サンマリノGPの舞台、イモラサーキットの超高速コーナー「タンブレロ」で激突死した悪夢のようなその日を、24年が経ってしまった今、高桐さんは淡々と語り継ごうとしている。
素晴らしい作業じゃないか。高桐さんは土屋圭市くんの『ドリキン伝説』を扶桑社から出版した「功労者」である。そして、詩人でもある。改めて、同載されているアイルトン・セナに贈られた鎮魂歌に、心を添わせてみた。いいなあ。
何を探していたんだい
そんなに寂しい目をして。
何を求めていたのか
心砕き、血を流すまで。
改めてその一節を、声を出して詠(よ)んで見た。眠っていたものが一斉にムクムクと起き出してきたようだ。ヨーロッパとの時差は8時間。現地の午後3時は、日曜日の午後11時に当たった。だから、その日のわたしは、ベスモ恒例の「SUPERバトル」の撮影ロケも無事済ませたところで、深夜から始まる「F1実況」を楽しみに、自宅で眠い目を励ましながら、待機していた。
そこへ、フジTV関連会社で制作ディレクターを務める遠縁の青年から、恐ろしい内容の電話が入った。「セナがクラッシュして、危ないらしい」と。絶句。
これまで「風に消された男たち」に、何人か個人的に関わってきた。それぞれの顔が浮かぶ。高橋徹、萩原光。彼らの墓標としてわたしなりの記録を残してある。その追慕の証しとして、このあと、久しぶりに読み直して見たくなった。
◯高橋徹 風に消された23歳・高橋徹の光と影
https://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/24230229/
君のいないサーキットの秋深し!
https://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/24240059/
○萩原光 『レイトンブルー』は悲しい色やねン
https://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/29920162/
『風になったプリンス』への鎮魂の1冊
https://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/29946791/
早朝になって、また一つ、巨きな星が消えてしまったことを正式に知らされた。わたしたちの手元には、セナがHONDAチームに属してくれていたお陰で、当時のF1サーカスの最終戦は鈴鹿に設定されていて、レースの終わった翌日には、決まって交流する機会が用意されていた。その時の「お宝映像」が、実は手元にあった。「セナ足」と呼ばれる、あの車載映像である。それをこの際、公開できるよう、公開できないものか。すぐに田部編集次長に、当たってもらうことにしたが、なぜかことが前に進まなかったように記憶している。結局、のちに「お宝映像」はセナ財団に寄付している。
その経緯については、以下のわたしのブログに収録されているので、この際併記しておこう。第2回目の『ベスモ同窓会』開催時に話題に上ったテーマでもあった。
『セナ足の怪』と『ベスモ同窓会』https://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/31191213/
やっと『幻のセナ足』とめぐり逢う https://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/m201310/p2/
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この5月1日、セナの命日に因んだ高桐さんのFB投稿は高い関心を集めた。その初動期に早々と反応したのが、高桐さんが名前を挙げている、臨時増刊号をつくった当時の「オートスポーツ」編集長・熊谷睦さんであるのも、彼岸のセナが持つ吸引力によるものだろうか。
熊谷睦「もう四半世紀が経つのですね。追悼本製作の際は大変お世話になりました。お蔭で私個人のお宝本となっております」
この温かいコメントに添えて、その「お宝本」の画像がキチンと添えてあった。時間を置いて、高桐さんが反応する……。
高桐唯詩 「これがどこに入り込んだものか、出てこなくて。とほほ……」
「クマさん」とはお懐かしい。雑誌仲間も、モ―タースポーツ関係者も、そう呼ぶ。わたしが故(ゆえ)あって富士フレッシュマンレースに参戦するようになったときには、当時の「オートテクニック」編集長・飯塚昭三さんと並んで、すでに「走る編集者」として知られ、のちにTV中継の解説にも登場するほどのキャリアの持ち主だった。
おお、お元気にSNSを活用されているな。感心しながらFBをチェックしてみると、「5月1日=メーデー」の記憶をキチンと書き上げているではないか。その内容の確かさに、改めて紹介したくなったが、そこからは次回更新まで、お待ちいただきたい。その前に、わたしは高桐さんに「コメント」を送らせていただいている。
「24年前のあの日、その前後の高桐さんの想い。されど、我らが日々、ですね。共通の感慨を、わたしの「みんカラブログ」でこれから紹介させていただきます」
残念ながら、高桐さんからコメントのお返しはいただけなかったが、コツンと「いいね!」のサインだけはカウントされていた。 (この項、新シリーズ「富士フレッシュマンの時代=この人に逢いたい」につづく)
Posted at 2018/07/12 14:31:47 | |
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ちょっと一服 | 日記