「逆噴射事件」の犯人、左上Rギアについて早速、みんカラともだちの「TAKUV35」さんからご教示をいただいた。
「このころの日産のインジェクション仕様に使用されていたヒューランドパターンシフト方式だったですね。私も一度、チェンジパタンが表記させていない車を動かすとき恐る恐るでした」
「TAKUV35さん」は大分在住でスカイラインV35MTをメインにしてセカンドカーをコンバートEVミニカに。かなりのクルマ通じゃないと、こうした組み合わせはない。『みんから友達との黄金の日々』は日々、更新されていく。ありがたいことだ。
ご常連の「CMO」さんは大笑いしてくれる。
「局長にもそんな武勇伝があったのですね。TopGearで同様のパロディがありましたが
大真面目な舞台でのパロディの方が後々の語り草としては面白いですよね♪笑」
ミラージュ同窓生の「隠密同心」君はもうちょっと事情通。
「ヒューランド(レーシング)パターン、、、僕のスーパーFJもコレです。ヒューランド製ではありませんが、左下が1速なのは同じです(正岡註=うん?ぼくのは左上だったよ)。僕もレースに出る時はテンパってバックしないように気をつけよう。(笑)
局長の逆噴射は事件の数年後に大森の日産スポーツコーナーで聞いたような気がします。(笑)当時、マーチスーパーカップに出てて時々大森に顔を出してましたから。
手書きのリザルト、スゴいですね!僕が手にしたリザルトはこの3、4年後ですがもう印刷だったような??? 競技長は誰の頃ですか?もう山梨さんの時代でしょうか?」
早速、返答。
「さすが隠密同心殿。いいところを衝いてきたね。
計時委員長、西山孝、競技長、飯田貞夫、そして審査委員長が〈安友義浩〉」。どうだ、凄いだろ」
*おお国沢光宏さんですね。筑波でガンさんと3人で走りっこした時の貴重なショット
さて、1983年に入ってからタイトルを「47歳の挑戦」に変更してだんだんレース活動が本格化していく様子を、記録している。
―― 3月5日の富士スピードウェイ。フレッシュマン第2戦。車番55のわがベストカーパルサーは、NP1600Cグループで出場する。ドライバーは<47歳のフレッシュマン>であるぼく。
というのも、前戦でレース気狂いの国沢君を出場させたばっかりに、栄光?の55番・ベストカーパルサーの名を汚してしまったため、ぼくがお詫びのしるしに出場することになったのだ。
「局長、こんどのレースはエントリーが10台だそうです。予選落ちはないから気楽ですね」
どこで聞いてきたのか、その国沢君が注進してきた。
「そんなことより、マシンは直ったのか?」
「はい。土曜(3月4日)の朝には届いてますよ」
調子よく答える国沢君を信用したのがまずかった。
土曜の朝、ぼくのマシンはまだ板金屋さんのガレージで大手術をうけていた。加えて、エントリーは37台。もし、そばに国沢君がいたらぶん殴っていただろう。
で、当日の朝。マシンとご対面したのはいいが、前夜の雪を被ったままだし、ブレーキを点検したところ、フロントのパッドは1周くらいしかもたないほどに擦り切れたままだ。
ともかく車検だけはパスして超特急で日産大森の人たちの手をかりて、ブレーキ・パッドをとりかえた。もうそのころにはたった15分の予選が開始され、コースを回るエンジン音が、ぼくを絶望の淵に追いやる。
シート合わせもそこそこにコースIN。ピットを駆け抜けるときに何度かブレーキングしナジミをとろうと努力しながら第1コーナーへ。どこのだれがブレーキを調整しないでサーキットを全開で走るものか。星野一義だって、即座に家に帰ってしまうだろうに。
コースのIN側を様子を見ながら1周したところで、タイムアタックに入る。
●挽かれものの小唄を聴いてくれ
第1コーナーあたりは路面補修がされていて、前ほどクルマは跳びはねない。左側に見える残り距離の標示看板とパイロンをにらみながら、ぼくにしては思い切りレートブレーキングで1コーナーに入った。横Gに耐えながら、車首をCPに合わせてマシンをコントロールした瞬間、腰から下がゴツンとショックをうけ、ぼくの体はドーンと後方へもっていかれ、その反動で前方へ弾き返された!
*これが実戦中のFISCOの第1コーナー。飛び込むのに、最初は度胸がいったが、やがてそれが快感にかわって……
シードベルトがこのごろ前へせり出した腹を万力のように締めつける。苦しい!
どうやら、シートを固定するツメがはずれたらしい。これではまともに走れるわけがない。ヘアピンの先でグリーンに入れてからシートをセットし直し再スタートしたが、もう残り時間はほとんどない。それでも、速そうなクルマをパスさせて、その背後にはりついたところ、結構はなされずについていくばかりか、直線ではスリップストリームがつかえる。
結局、トラブルから2周目にチェッカーをうけた。ピットの計測では最後の1周は1分57秒3という、ぼくにしては驚異的なタイムを叩き出している。その前の周が1分59秒43、これならいままでのレベルでいけば、軽く予選をパスするはずだ。
ところが――である。30分後に発表された予選順位をみるとどんじりの32位! ガンさんが慰めてくれる。
「ま、正直いって、いままではトップグループと差がありすぎたけど、今回は最終ラップが計測されていれば3秒差、この次はいけるよ」
たった15分のために、ほかのドライバーは充分に準備をしてのぞんでいる。ぶっつけ本番で仲間入りしようなんぞとは、神をおそれぬ所業だ。次回はたっぷりと準時間をかけて、またまた懲りずに挑戦してみるか。 (ベストカー83年5月号所載)
■富士フレッシュマンレース第3戦
4月24日、富士フレッシュマンレース第3戦。 快晴。
ぼくがNP1600Cクラスで決勝のスターティ ンググリッドについたのは久し振りだ。しかもぼくの背後には4台のマシンがいる。予選タイム1分58秒39で24位。あと1秒、タイムを削ることができれば15位あたりまで上がれるだろう。
ともかく、前回(第2戦)のレースでのブッツケ本番的、綱渡りはもうやめよう。ほかのチームに申し訳ないから、準備だけはきちんとやろう、と心に誓ったてまえ、黒沢元治監督以下、わがチームは珍しく緊張してこのレースに臨んだ。
レース前の走り込みは充分とはいえないが、2週間前にスポーツ走行して第1コーナー、100R、ヘアピンのアプローチを復習して、すくなくとも1秒はタイムを削ったはず。 タイヤをダンロップからヨコハマのアドバンHF-Rに履き替え、ホイールもヨコハマのアルミで、バネ下重量を軽減。これで0・5秒は短縮できる。
レース前日から、チームは富士に集結して、マシンのメインテナンスに細心の注意を払う。この3点は忠実に履行されたようだ。予選では、はじめてなんのもめごともなく、ピットから7番目にスタート。15分間を走り抜いた。残念ながら、56秒台はマークできなかったが、決勝では中団には食い込めるだろうと、チーム一同期待する。
「局長、シフトミスしないように!」
黒沢監督は、メカニック退場の指示が出たにもかかわらず、心配そうに囁く。もちろんスタートでギアをRにぶち込み逆噴射させるな、という意味ではなく、コーナーを立ち上がるときのことだろうと、こちらは善意に解釈した。
シグナルが青になった。絶妙のタイミングで飛び出したつもりだが、動きが鈍い。あっ!今度はサイドブレーキを解いてなかったのだ!
ド、ド、ド。第1コーナーの小さな出口に30台からの集団が先を争って飛び込む。こちらは巻き込まれては損だから、ゆっくりと様子を見ながらクリア。いつもなら、そこで2~3台がこけているはずなのに、今回はだれもいない。
S字から100Rへ。先行する集団の動きに注意した。いったん左にふくらんでから、ブレーキングして、100Rを抜けようとしている。
よし、いまだ! ぼくの55番ベストカーパルサーはノーブレーキのまま(実はアクセルをちょっとあけてしまうが)クリッピングポイントに飛び込みざま、4速から3速にシフトダウン。そのまま、アウトにふくらむマシンを、アクセル全開でおさえ、坂を駆け上った。あっという間に2台をインからパスしてヘアピンへ向かった。
*一人前にストレートでスリップに入って、前にでる!
ヘアピンでは27番を右にみながら、立ち上がりでこれもパス。250R、300Rも先行集団にじりじり接近しながらクリア。そして、最終コーナーから直線へ。黒沢監督が親指を上に突き立てている。もっと速度を上げろのサインだ!
再び第1コーナーへ。心臓がノドからせり出すのを抑えながら、前のクルマ(10番オーテックパルサー)がブレーキングするまでブレーキは我慢。尾燈がパツと赤く点滅。ホッとしながらこちらもブレーキング。そして、シフトダウン。4、3、2と落としたところで、鋭角的にインへ切り込み、10番をパス。あとは8番オートスポーツパルサーをなんとか捉えたいものだ。
3周目、ぼくの背後にはなんと7台がいたという。ところが4周目に第1コーナーを抜け、2から3へシフトアップしようとしたところ、異様な音がしたと思ったら、ギアが3速に入ってくれない。焦りながら、こんどはゆっくり、シフトアップしたところ、うまくいったが、その間に、2台ばかりがぼくを追い越していく。
ヘアピンでも同じ症状がきてしまう。直線でも、ついにはタコメーターが4速で5000回転まで上がらないようになり、ぼくはズルズル後退をはじめ、ついには23位でフィニッシュ。
*第1コーナーで転倒してしまった可哀そうな⑱(予選1位)と第3戦のリザルト
「強力な横Gがかかると、シフトする手の位置が狂ってくる。それを柔らかく抑えこんでシフトしないで、強引にねじり込もうとしたから、ミッションを壊したんだろう」
と黒沢監督が指摘する。「しかし、やっとレースらしい走りかたをしてくれた」との評にこちらは大満足どころか、よし、もう一丁いくか、という気になるから、不思議だ。 (ベストカー83/7月号より)