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タネテツGTのブログ一覧

2020年03月21日 イイね!

(有)タネテツ音楽館・1

(有)タネテツ音楽館・1
「 暑さも寒さも彼岸まで 」


昔の人々は、よく言ったもんだが

近年の気候は…明らかに狂って来てるな

世も相変わらずの 【 大騒ぎ 】 ………




ワタスも相変わらずで………ネタもヤル気も大して無いんだが
近頃、他の諸氏もほとんど更新してない御様子だし~(過疎化w)
ワタシの偽物店舗シリーズとして 「 タネテツ音楽館 」 を新設してみよう。
多分………このシリーズも長続きはしないと思うが(笑)



過去にも記して来たが 『 音楽鑑賞 』 はワタシのライフワーク?に近い趣味である。
とは言っても、そこまで専門知識があるわけでも無いし、見識がある訳でも無い
小さい頃から 『 自分の感性に合う、自然と欲する楽曲 』 を愛聴して来た。
恐らく、数千曲以上(もしかしたら万超え?)のレパートリーは有ると思う。
『 アニメソングからド演歌まで 』 幅広く……無論、洋モノもね(違う意味のもw)

もちろん、ワタシの感性に合わない部類も山ほどあるが、それは伏せておこう。
例えばだが……
「 薄っぺらい系全般・君を百年愛す系・気易く家族愛を語る系・某集団 」など……
って………思いっきり言うとるやないかい 💢


……まぁ、ヒトの好みはそれぞれ
  クルマの好みもそれぞれ ( ̄ー+ ̄)フッ


……ココはワタスの部屋だから、ワタシ目線で語らせていただこう。





さて
本日、2020年 3月21日 で
あの福山雅治さんが、歌手デビュー30周年との事だ。

今から30年前の 1990年 3月21日………当時ワタシは15歳
4月からの高校入学を控えて、ボケ~っとしていた頃である…
きみまろ氏ではないが………あれから30年…
おそるべき月日が、まさに矢のように過ぎ去った………
時の流れとは………残酷である………………。


ワタシとしては、既に福山氏の「現役ファン」では無いが
デビューより10年間までの「初期ファン」の一人として
音楽館ネタとして、氏の曲とテメエの想い出をからめて講釈タレてみよう



ワタシの記憶によると………

福山氏は、地元長崎の高校から地元の会社に就職するも(1987年頃)
やはり夢を捨てきれずに、数ヶ月で会社を辞めて、当時の彼女に見送られながら、
長崎から寝台列車に揺られて、その「夢」を追い求め東京へ向かったそう。
その時は愛車のバイクを売った20万円を靴下に忍ばせていたらしい………
当時は、その20万円あれば東京で半年は楽に暮らせると思ってたとか………(笑)
東京の友人宅へ転がり込んで、新宿のピザ屋や郊外の材木店で働きながら、
音楽やバンド活動を模索するも上手く行かず………
ある日、5万円で購入してたと言う当時の愛車・いすゞジェミニZZ(-R)で外出中に
(※訂正:ジェミニの価格は9万5千円だそうです…以前は5万と聞いた記憶が…?)
マフラーが落ちてふて腐れてアパートに戻ると、最終オーディションの通知が………
そのオーディション自体は遅刻だったが、福山氏のルックスを見た女性スタッフが
上層部にかけあった事もあり、現事務所に採用が決定したとか?
福山氏はそれで即、音楽がやれる!と思ったが、初仕事は役者であった………。
その後は、ドラマ等でも露出が増えて、着実にファンを獲得し、
本業の音楽もヒット連発させ、ミュージシャンや俳優以外にも、
プロデューサーや写真家等の幅広い分野で活躍し、現在に到る………。


………ちなみに、上記はワタシの脳内知識のみで記した文章。
我ながら、要らぬ知識だけはシッカリ有しているなぁw
他人様の半生など知ってて、何トクやねん………ちゅーハナシ。




ワタシが福山氏を意識したのは、
1991年のTBSドラマ 「 明日があるから 」 あたりだったと思う。
今井美樹嬢(VIP今井)主演のドラマで、福山氏はまだ脇役だった。
翌年に始まった深夜ラジオ「オールナイトニッポン2部」を聴いて衝撃を受けた…
あのオトコマエの兄ちゃんが、ココまでゲスい下ネタ全開だとわ………💧
ワタシはすっかり福山氏に影響され、ファンとなってしまった!。
そして、このラジオでかなり女性ファンが減ったとか………(爆笑)
「テレフォ~ンミュ~ジカ~ル」なんて、現在ではコンプラ引っ掛り確定だろうwww
その飾り気が無くフランクなトークに、氏をずいぶんと身近に感じたものだ。
確かに………今で言うところのワタスの敵「イケメン」の筆頭だけどが、
氏の場合は、不思議と嫌味ったらしさが感じられなかった…
その後、福山氏を真似たかの「エセ助平イケメン群」には、中指しか立たなかったがw
(あざといんだよ! ビジネス的な自分崩しが!ww 見え見えぢゃ!w)

同時期に、緒形拳が主演のTBSドラマ「愛はどうだ」で、緒形氏の娘に惚れてしまう
新人の部下役では、緒形氏との絶妙な掛け合いが見事であった!
今でも大好きな作品だ! 「 ア~ァ何でお前なのかなぁ……お、速ぇ~なオィ(笑) 」

この時期にリリースされた4thアルバム『 BOOTS 』は今でも良く聴く。
まだ初期の粗削りさは残るが、歌詞・サウンドとも1~2作目程には尖っておらず
随分と洗練された感じで、心地良くなっており
知名度を高めたヒットシングル「Good night」も入っていた。
ワタシとしては、「Hold on me」と言う曲が今でもお気に入り。
よくよく聴くと、モロにハマショーあたりの影響受けた曲だが
当時、京都のボロアパートで明け方の空を見ながら、シミジミとこの曲を聴いてたな。

その前にも、‘92年の高校時代に、町の研修旅行で東京へ行った際に
宿泊先の築地のビジネスホテルを夜中にコッソリ抜け出して
有楽町のニッポン放送の玄関前で「出待ち」をしたのも良い想い出…
確か、オールナイトニッポンの前番組で伊集院光さんが「oh!デカナイト」終わりで
正面玄関に現れたので、握手・写真・サインをお願いしたら、快く対応してくれたなぁ
ムサ男同士の2ショット!とか言い肩まで組んでくれた(タネテツ有名人と逢う参照)
伊集院氏についても、その後のご活躍は、言うまでも無かろう………
それから福山氏のオールナイトニッポンのオンエアが終わるのを待ってたが
結局、その時はご本人と会う事は出来なかった………
守衛の人に聞いたら、本人は居ないよ~と。
録音放送だったのか、裏口から帰ったのか………?
あの時はワタシの他に、花束を持った女性ファンが一人居た。
ワタシと目が合うなり………「あの…福山さんのマネージャーさんですか?」
とキテレツな質問をされたが、ワタシもビックリして否定した。
結構カワイイ女性ファンだったな………しまった!~そこで連絡先とか……
ま……ワタスの女っ気の無さは、昨日今日始まった訳では無い……
コレまで幾度チャンスを逃して来た事か…………そして結果、もう手遅れ💀

あの後、夜が白んで来た銀座通りを築地ホテルまでテクテク歩いて帰った記憶は、
未だに忘れ難い……トーキョーにやたらと憧れたいた、あの頃………。

それからも、TBS 「 ホームワーク(←稲垣潤一氏のクリキャロね) 」等はじめ、
何と言っても‘93年・フジ 「 ひとつ屋根の下 」 の、チー兄ちゃん役で
氏は一躍スターダムにのし上がった!  こゆきぃ~ ア~ンちゃ~~んw

本業の歌でも「MELODY」や「All my loving」等、ヒット連発した。
‘93年・秋の5thアルバム「Calling」を聴くと、京都での大学生時代を思い出す…
上記2大ヒットシングル曲以外にも、アルバム内の「遠くへ」は、
前述の長崎から寝台列車で東京へ向かう際の情景や心情が表れた、好きな曲。

‘94年の6thアルバム「ON AND ON」は、当時に現在所有のR32を手に入れた、あの
心身共にアツかった我が19歳の………「遠い夏」を思い出す………
当時我がR32の車内は、CDからダビングしたカセットから福山ソングがよく流れてた
R32純正の 「 電子制御アクティブサウンドカセットデッキ 」 にて(笑)

そして…1995年2月6日…
ご本人26歳の誕生日にリリースのマキシシングル「HELLO」にも強烈な想い出が…
当時、ワタシの親友S氏が大学生の分際で、あの
『 ランチア デルタ HFインテグラーレ エボΙΙ 限定車ブルーラゴス 』
を新車購入すると言う、トチ狂った快挙を成していた…(1994年)。
そのデルタを埼玉から九州に自走させる運びになり、ワタシは京都から新幹線で埼玉へ向かい、親友の運転でデルタを京都まで走らせウチで1泊、それからワタシもデルタを操りながら九州へ戻った、と言う………
今考えても、夢を見ていたかのようなビッグ・ミッションだった……。
デルタの吸い着くような高速スタビリティには舌を巻いた………
その時、車内で繰り返し流れていたのが、福山氏のHELLOだった
埼玉を出る間際にCDを買って、持ち込んだラジカセでヘビロテ再生しながら走った
左ハンドルと、まだ慣れてないオーナー本人の運転にヒヤヒヤしながら(苦笑)
HELLOを聴くと、今でも25年前の、あの 「 デルタ・ミッション」を思い出す…
ある意味、ポルシェやフェラーリよりもネタ的にスゴいかも(笑)
ワタシにとって、エキサイティング・ドレッシー(=ED)な体験?!
………………現在では違う意味でもE(以外自粛💀)

同じく‘95年フジ系ドラマで氏の初主演作 「 いつかまた逢える 」 にも感化されて
当時、京都から我が32を駆って 東京詣で も良くやったもんだ。
ドラマ自体は、地方から上京した友人達の切ないラブストーリーであった。
今田耕司氏の若かりし時代の演技も良くネタにされていた(笑)。
サザンの主題歌「あなただけを」も、万年ハートブレイクなワタスのテーマ曲となる💀
98年には、常盤貴子嬢とのTBSドラマ 「 めぐり逢い 」 もあったなぁ……
悪魔のKISSでは随分とおせわになりましたね~ぇ❤、トッキーちゃん!w
我らが稲川淳二御大も、味のあるマスター役で出ていたんだななぁ~ ヘンダナ~




その後
2000年代に入り、超ヒット『 桜坂 』や、アルバム『 f 』の後あたりから
不思議と、氏の曲や俳優活動にパッタリ興味が失せてしまった………

コレは、我が人生でも 「 七不思議 」 のひとつとされている (謎)


アレだけ好きだった人や物が、急に 【 逆 】 になる………

いや~人間って、分かんないね………………←オマエガワカラン



湯川教授にしても………………
実に面白………………く無かったw

大河の龍馬伝においての
「 ちっくと待ってつかぁさい! 」等は、現役ネタとさせてもらってるがw


2000年代の
特に「虹」より後の楽曲には、アレルギー反応が出てしまう始末………



だが初期の「楽曲・ラジオ音源・ドラマ」は未だに好きだし、時々は見聴きしてる。



それは、多分………
テメエ自身の、若くてまだ希望があった時代や、福山氏に憧れて楽しかった時を
あの頃のテメエに重ね合わせ、単に懐かしく振り返ってるだけの事に過ぎないのかも。

単なる………ノスタルジーって奴なのかな? 表現が適当かは分からぬが………

ぶっちゃけ、氏の 「 絶対的な歌唱力(特に初期) 」 については………だが
それをも上回る何かを、氏のキャラクターや楽曲から感じ取ってたんだろう。





いずれにせよ、あの………浮き沈みの激しい芸能界で
30年以上、第一線でご活躍中とは、そうそう出来る事では無かろう…………


 【 祝 30周年 】 でゴザイマス m(_ _)m ………………マサジ兄さま







と………………なんだか
思いつくままに、テメエの脳内から溢れ出る文字を羅列したが
こんな機会でも無けりゃ記す事など………まず無かろうて…



…そろそろ、脳みそ歪んでボヤけて来たので、音楽館第一弾はコレまで




 ※例によって、後々編集・加筆修正します







【 🎵今回の曲 】


『 ひとりきり歩いてく帰り道で 』  福山雅治 (平成4年 1992)



ヒットシングル 「 Good night 」 のカップリング曲

隠れファンも多い?と思われる、ミディアム調な初期の名曲

ワタシの中でもおそらく、氏の曲で三指に入る好きな曲だ。
Posted at 2020/03/21 18:45:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | タネテツ音楽館 | 日記

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