※注記※
今回の記事は、精神的な話題が多めとなっています。苦手な方やご興味がない方は閲覧をお控えくださいますよう、お願いいたします。
※注記終了
リコール対応も終わり、日中は20℃を超える暖かさと明け方の氷点下を同時に体験して身体が崩壊寸前の白兎です。
皆さん、如何お過ごしでしょうか。
今回のタイトル。私自身、これまでなんとなく感じていたものの中々頭で理解することができずにいた事柄です。
私は幼少から引っ込み思案で大人しいと言われ、人の顔色を伺いながらも、「自分がこうしたい」と思ったことは絶対に曲げないという頑固さを持っています。
一方で、「自分という軸を持った、冷静で、縛られない人間でいたい」という厨ニの塊のような考えを持っていました。
今も、恐らくそうなんだと思います。
人格を否定された、あの時から、多分ずっと。
でも、現実は?
一人でいる時間がないと耐えられない……充電する時間が必須なのに、人が大勢集まるところへ行くことがそこまで怖くなかったり。
一度に沢山のことが押し寄せるとすぐに混乱して疲れるのに、それでも冷静を装って。
自分の考えを通しているつもりなのに、人の言葉にすぐ反応して揺らいでしまって。
失敗を恐れてばかりの臆病な癖に、好奇心には勝てなかったり。
押し付けが激しい言葉や文章を見て「それは貴方の考え方であって、押し付けるものではないのでは?」と流そうとしながら、反感を抱いてしまったり。
自分って、なんだかよくわからない。
このご時世、自分の全てを貫いて生きていくなんて難しいのかもしれません。誰もが、妥協や諦めを選びながら、生きている。
それが周りに見えても見えなくても。
正解や不正解、そういう定義に収まらないのだろうな、と頭では理解しているつもりではいるつもりです。
誰もが様々な性格だけでなく、考え方や捉え方があって、同じ事柄でも感じることや出てくる思い、言葉はそれぞれ違うと私は思っています。
その中で、答えを中々導き出せずに周りに流されがちで、その度に嫌気が差して。いつまでも同じことを繰り返している、そんな自分が嫌になるのにも疲れて……。
2月、3月は割と本気でシンドく、外界から自分を切り取って、全部投げ出しそうになっていました。
最近は少し落ち着きましたが、こんなこと書いている今も、本当に書きたいことが何かよくわからずにいます。
そんな中、一つの歌に出会いました。
『命に嫌われている。』という曲です。
その中で、こんな歌詞があります。
「自分が死んでもどうでもよくて
それでも周りに生きてほしくて
矛盾を抱えて生きてくなんて怒られてしまう」
「夢も 明日も 何もいらない
君が生きていたならそれでいい
そうだ 本当は そういうことが歌いたい」
「それでも僕らは必死に生きて
命を必死に抱えて生きて
殺して あがいて 笑って 抱えて
生きて、生きて、生きて、生きて、生きろ。」
人生に疲れた人への応援歌は沢山ありますが、個人的には、こういったどストレートな言葉の方がすんなり受け入れられたりします。
そう言いながら、今ももっと迷いや感受性を全て捨てて、悩まずに生きていたいと願ってすらいます。
でも、それができたら誰も苦労しないでしょうし、自分というものはなくなってしまうんだと思います。
矛盾ばかり抱えている私。
多分、いやきっと、これからずっと同じことを悩み続けるんだろうと思っています。
今は、多くの人に出会いながら、自分というものを未だに探している私です。
読んだ人によっては、論外の戯言なのかもしれませんが。
Posted at 2019/04/07 21:46:31 | |
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