11月も残り半分、今年も残すところ本当に僅かになってきた2019年。仕事でズタボロになって絶賛やさぐれ中の白兎です。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
今回は少し興味深い話題をネットで見つけたので、ご紹介させていただければと思います。
みんカラの皆さんは、愛車と共に様々な場所へ趣き、その地特有の美味しいものを楽しむというのも、クルマとの付き合いの中で大きな要素であるかと思います。勿論、そうでない方もいらっしゃるかと思いますが。
そこで出てくるのが、今回のお話です。
「食事に興味がない人」
私は元々かなり少食で、超が付くほど偏食家です。
会社でもプライベートでも、よく「何食べて生きてんの?」と聞かれることが多々あります。
それに様々な場所へLupusと共に出かける時に、名産物の話をされるのですが、私は「全く」といっていい程興味がありません。なので「勿体ないなぁ」なんてよく言われます。
ここで、私なりの疑問。
食べることって、人からとやかく言われる程大切なことなの?
こう言うと食べることに対しての愚弄、或いは食べることを楽しむ方への冒涜と捉えられるかもしれませんが、断じてそのようなつもりはありません。飽く迄、私がそのような疑問と反抗心のようなものを抱いているに過ぎないということだけは、どうかご容赦願えればと思います。
さて、この記事。何故このような文章を書くに至ったかというと、最近の……否、私が元々持つ食事という行為に対する姿勢から以前より感じ取っていたことです。
元々食の細い私ですが、特段好き好んで食べるものは特にありません。
逆に苦手なものは魚介全般で、肉類も筋っぽいもの、脂が多いものは噛み切れずに吐き出してしまいます(汚くてごめんなさい)
偏食家という面も勿論ありますが、私はストレスを感じ始めると、食欲というものが一気になくなってしまいます。
お腹が減るとかそういう概念すらなくなり、「食べるのが面倒くさい」という考えになり、結果的に何も食べずに終わってしまうこともあります。食べられないこと自体にストレスは感じることはありません。
結果的に頬がこけ、1~3キロ程痩せることが多々あります。
これについて調べてみたところ、意外とそのような考えを持っている方がいらっしゃるということがわかりました。
そもそも、食欲がない。食べるという行為そのものが面倒。食べる時間が勿体ない。会食(大勢でワイワイ楽しみながら食事を楽しむ)が苦手。
理由は様々なようですが、私の場合は「面倒」と「会食が苦手」が当たります。状況によっては全てあてはまります。
味覚がどうこうという訳ではなく、「美味しい」と感じることは勿論あります。
が、それが「幸せ」という感覚に結びついたことが一度もありません。
更に掘り下げると、私は家族で食事を摂るとい機会が幼い頃からなく、両親も共働きだったため、家族バラバラで食べて参りました。故に、食卓を囲んで食事をするという行為自体、今でも抵抗感といいますか、苦手意識があります。
幼稚園や小学校で、「みんなで食べればもっと美味しい」と言われてきましたが、私には、その間隔がわからずにいます。
できるのであれば、一週間に一度、適当なものを食べて過ごせるのであれば、私はその方がありがたいとすら感じています。
この記事を書いている現時点で、相当なストレスを感じているのでこんな文章になっていますが……勿論、人間食べることができて初めて人間らしい。食べることが欲求でもあり、それを満たすことで幸せを感じるということは、私もその通りなのだろうな、と思っています。
が、それすら感じられない私って……何なのろう。
そうじゃなければ、もっと幸せなのだろうか。
食に興味を持てないことは、悪いことなのだろうか。変なことなのだろうか。
そして、一々食事について一言二言言われる度に苛立つ自分に対する嫌悪感。
そんな思いを抱いた為、話題性に乏しい今回の記事をあげさせていただきました。
勿論ではありますが、こんな私を理解してほしいだとか、哀れんでほしいという気持ちはありません。ただ、事実として書き残して置きたかったという勝手な思い込みによる行動です。
もうひとつ、この記事を上げた理由があります。
それは、オフ会等でお会いした皆様に、私が持つ食事にたいする事情の為に多大なご迷惑をおかけしていることを自覚している為、申し訳ないという思いに駆られて書いたということです。
魚介は駄目、硬い肉やホルモン系は駄目、あれは駄目これは駄目。
毎度毎度食事に関してご面倒を掛けてしまい、申し訳なく思っております。
……本当にすみません。
Posted at 2019/11/18 21:04:40 | |
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