内外装部品のほとんどを共有していることが多い、カローラレビン
トヨタ自動車がかつて販売していた小型クーペ・カローラレビンは、ロングセラーを誇るカローラシリーズの一つで、同じ形状を留めたスプリンタートレノと肩を並べた。活躍した期間は1972年から2000年までの間で、7代に渡って生産販売された。もちろんこの功績は、カローラシリーズに貢献してトヨタの業績を上げた。
初代TE27型から多くの期待が寄せられ、高性能モデルとして設計された
1972年に誕生したカローラレビンの原点は、2ドアクーペの形を留めているが、漆黒の黒とレトロなフロントグリルが加わって、貴賓を乗せて運ぶのにふさわしい車だった。開発の経緯は「セリカの2T-Gエンジンをカローラに積みたい」という発言から始まり、本来のカローラにはないスポーティな「ホットモデル」を視野に入れた。エンジンは直列4気筒のDOHCまたはOHVで、駆動方式は後輪駆動・FRとなり、サスペンションはフロントが独立懸架ストラット式、リアが半楕円リーフスプリングだった。この時点でたくさんの期待が高まり、たった2年間の間でも高い性能を誇っていた。
2代目は、前期と後期にはっきりと分けられ、いくつもの困難を乗り越えた
1974年に初めてのモデルチェンジが行われて、2代目となったカローラレビンは、ボディーがハードトップに切り替わって前期と後期ではっきりと区別された。ハードトップの形状では強いスポーツ性が失われることになり、搭載されていたキャブレター仕様である2T-G / 2T-GR型エンジンが排出ガス規制に適応できなかったため、こちらはたった1年間の間で終了してしまった。
3代目になると初めてハッチバックが登場し、改善すべき所を積極的に改善した
とうとう1977年に3代目へと突入したカローラレビンは、クーペが復活して初めてハッチバックが採用され、排出ガス規制に適応するエンジンを搭載した。さらには脱着式サンルーフ、ミシュラン製タイヤを装備した「レビンAPEX」が追加され、トランスミッションは5速マニュアルのみで、タイヤは太いラジアルタイヤを履かせた。
4代目は、ハチロクの愛称で親しまれ、エンジンにさらなる磨きがかかった
カローラレビンの発展は留まることを知らず、1983年に4代目へと発展することになった。今度はトヨタ・AE86/AE85型として発売され、エンジンが2T-GEU型及び4A-GEU型に切り替わった。COBBYによると変更点はまだまだあり、リヤサスペンションがリーフリジッドからラテラルロッド付き4リンクに進化して、全車のフロントにサーボ付きディスクを標準装着することとなった。
日本では販売が終了しているが、中国ではレビンのPHVが登場予定!
5代目から前輪駆動・FFに切り替わり、今までにないくらいの販売台数を記録した
1987年に5代目へと進んだ時は、ここから駆動方式が前輪駆動・FFに変わり、ボディの形状も2ドアクーペに統一された。さらにデザインはトヨタ・ソアラのものを流用し、廉価な価格で発売することができたので若者の間で大ヒットを収め、さらにはバブル景気の影響を受けて販売台数が一気に伸びた。トランスミッションは3速AT、4速AT、5速MTの3種類が使われ、マイナーチェンジによって大幅に改良が加えられ、ハイオクガソリン車・AE92型及び1.5L ハイメカツインカムエンジンが搭載されたAE91型も加わった。
6代目はコンパクトスポーツモデルとなり、バブル経済を象徴するように設計された
2ドアクーペの形状を保ったまま、6代目になったカローラレビンは、前回とは全然異なる姿となり、コンパクトスポーツモデルとしての魅力を削ぐ結果となった。4A-GE型エンジンはVVTを吸気側カムシャフトに装備し、1気筒あたり5バルブとし20バルブ化され、当時では珍しかった純正で4連スロットルを装備して出力を160ps/7,400rpmに向上させた。ちなみにこの代が登場したのは、平成に切り替わって間もない1991年~1995年の間である。
7代目に進展すると、軽量化、エンジン性能、走行性能の向上を惜しまなかった
1995年に7代目となった時は、「ピンゾロ」「ゾロメ」「イチイチイチ」「ひゃくじゅういち」「ワンイレブン」の愛称で親しまれ、エンジン制御方式は4連スロットル径の拡大、燃焼室の形状の変更などの改良が加わって走りが向上した。エクステリアは相変わらず2ドアクーペのままだが、全体は丸みを帯びていてなだらかな印象に整っていて、大幅な軽量化や衝突安全ボディ・GOAも採用された。そしてカローラレビンは2000年に完全終了することになる。
世界ラリー選手権を含むモータースポーツにも積極的に参加して、素晴らしい成績を収めた
これまで紹介してきたトヨタ・カローラレビンは、28年間もの歴史を紡いできたが、実は販売だけではなくモータースポーツにも参加した実績もあるのだ。世界ラリー選手権(WRC)や1975年の1000湖ラリーで好成績や総合優勝を収め、その後もヨーロッパツーリングカー選手権やスパ・フランコルシャン24時間レースで熱い走りを見せつけた。
Posted at 2019/09/06 13:59:55 | |
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