
今日は長いですm(_ _)m
今年のルマンを見て思い出しました。
フォード対フェラーリ対決の前夜です。
1963ルマンには、後年を象徴するマシンが出場しました。なんとしても因縁のエンツォを負かせたいシェルビーのACコブラと後にフォードGTのベースになるローラGTはマスタングにも載ることになるウィンザーV8を搭載、ジャガーEタイプライトウエイトはアルミボディ化、ガスタービンのローバーBRM、その他アストンマーチンやマセラティも王者フェラーリテスタロッサのライバルでした。結果は全滅でプライベートのフェラーリが優勝。テスタロッサはあのマッハ号のモデルになりましたね。マスタング生みの親アイアコッカの提案でフォードのイメージアップにフェラーリを買収しようとしますが、土壇場でエンツォフェラーリが翻意します。怒り狂ったヘンリーフォードⅡ社長はルマンでフェラーリを打ち負かす決意を固めます。フォードGT40プロジェクトの始まりです(≧∇≦)
ローラGT エリックブロードウェイ設計
1964年コブラは最高速度を上げる為にオープンからクローズドへ日野サムライプロトのピートブロックがデザイン。ローラのアルミから耐久性でスチールモノコック化した英国フォードGTが登場、予選で初めて300km/hを越えました。しかし早々にリタイア。結果フェラーリが優勝。日本GPではスカイラインとポルシェ904が戦った時代。カンナムではシャパラルシボレーが活躍。ホンダがF1初参戦。マスタング発売で大ヒット。フォードのプロモーションキャッチフレーズはトータルパフォーマンス!インディカーでウィンザーV8改造DOHCエンジンが席巻。ナスカーでフォードトリノV8等が活躍。
初期のフォードGT40、かなりイメージ違いますね。
ロイ.ランとフォードGT40
1965年、フォード新型エンジン7Lの427プロモーション兼ねて英国フォードGTマーク2へ搭載。しかしまたもリタイア。これに業を煮やした社長ヘンリーフォードは英国から米国シェルビーへフォードマーク2を任せます。マスタングが欧州レースでも活躍。ドラッグレースではSOHCエンジンのコブラジェットが活躍。
フォードGT40マーク2 ノーズ長い!

現代のコブラジェット
1966年、米国フォードで改良されたフォードマーク2がついに優勝します。更に空力改良を目指してJカーを製作しますが事故を起こします。Jカーのクリアモデルをアメリカの叔母さんにもらい作りましたから良く覚えてます。マーク3はロードカーですが高価でほとんど生産されませんでした。かわりにパンテーラが後に量産されます。フェラーリは美しい330P4でしたノーブルP4としてキットカーが後に日本にも輸入されてます。日本ではプリンスR380が優勝した年。カンナムはマクラレーンシボレーが優勝。F1は3LエンジンになりローバーV8由来のブラバムレプコが優勝。レプコは翌年も優勝。
マーク2
Jカー

パンテーラ

330P4

ブラバムレプコF1 はローバーV8由来
1967年、Jカーからヒント得たフォードマーク4が優勝します。FIAはフォード追い出しの為に5L以下へ制限し50台生産義務化します。フェラーリ3L以下ならプロトも可。これで米国フォードは撤退を決断。
マーク4
1968年、!ひらめいた英国フォードのジョンワイヤーは5Lの古いマーク1を改良して通算50台生産し出場、ポルシェ908の3Lプロトと戦い激闘の末優勝してしまいます。悔しいポルシェは生産台数が25台になったのをみて初の総合優勝を目指し917を開発します。少ない資金で開発されたフォードコスワースエンジンV8ロータス49がF1で優勝し長く続く全盛期へ。
1969年、ピエヒのポルシェは917を25台量産して挑みますが熟成不足、又もフォードマーク1が優勝し都合4連覇でフォードは撤退します。この年917は生沢が日本GPも走らせました、新型マシンを日本まで持ってこさせた生沢は凄い。日産R382とトヨタ7の時代。カンナムはマクラレーンシボレーの全盛期。F1はマトラフォードが優勝。
917とシャパラルH バナナみたい
1970年、あのジョンワイヤー率いるポルシェ917がフェラーリ512を下し念願の優勝をとげます栄光のルマンです。日本GPは中止。カンナムはマクラレーンM20シボレー優勝。F1はロータス72フォードが優勝。トランザムレースはマスタングBOSSが優勝。フォードエスコートRSコスワースがWRCラリー優勝。60〜70年代はフォードが世界のレース界で光り輝いた時代です(≧∇≦)
ブログ一覧 |
自動車文化論 | 日記
Posted at
2014/06/26 20:12:44