![技術の日産のルーツから考える 技術の日産のルーツから考える](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/040/899/558/40899558/p1m.jpg?ct=18d60317644a)
日本のエンジンの歴史から考える。
桐生クラシックカーで友人S2000の撮ったエンジン写真を見て調べました。(^O^)
桐生クラシックカー日産エンジン
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1964ホンダF1参画1.5LのV12の4バルブ
1964プリンスG7は初のOHCでグロリア直6
1965日産H20はオオタ系OHVセドリック4
1965日産Rはオオタ系OHVを5ベアリング化してフェアレディ1600へ。
1966日産A10は新開発OHVでサニー1000
1967日産がプリンスを吸収。
1967日産U20はオオタ系OHCフェアレディ
1967日産L16は新開発OHCでブルバード
1967プリンスS20はDOHC4VでスカGTR
1967フォードDFVはF1エンジン名機
1967マツダはロータリーエンジンのコスモ
1968日産L20は初の直6エンジン
1970日産A12は5ベアリング化サニー1200
1970トヨタ2TGはDOHC2Vでセリカ1600
1970フォードBDAはDOHC4Vでエスコート
1982日産?はDOHC4VでスカイラインRS
日産はOHC化でプリンスから3年遅れ、直6は4年遅れ、DOHC4V化は15年遅れです。プリンスを吸収したからこそ技術の日産になりました。日産エンジン設計荻窪はかってのプリンス、中島飛行機のエンジン部隊です。アメリカを恐怖に叩き落としたゼロ戦のエンジンもここね。(≧∇≦)エースの仕事です。
マツダのロータリー実用化の衝撃も大きかった。
トヨタヤマハのDOHC化も早く、イタリアに衝撃を与えた量産エンジンです。DFVをコピーしたトヨタ7エンジンは1969年そして2TGの登場は1970年ですから。1982年の4AGの4バルブやハイメカツインカム全車DOHC化は世界の自動車メーカーを右往左往させましたね。(^O^)
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日本のエンジン技術、ひいては日本車が1970年代に欧州に追いつき、1980年代にリード出来たのは世界一厳しかった排気ガス規制と海外輸出競争のおかげです。敗戦で飛行機製造が禁止されてエースが自動車産業に集結したのもポイント。
この時期、政府による業界再編がなされずメーカー間の競争で発展した日本。業界再編で合併を繰り返し弱体化したイギリス自動車産業との対比。競争こそが人間の能力を引き出し産業を発展させるんですね。(^O^)
この後バブル崩壊で20年の長き眠りに入り、2010年代にハイブリッドと自動ブレーキで元気を取り戻し、そして2020年代を迎えEVと自動運転で正念場?
国内で多数のメーカーでの激しい競争こそが日本車の強さの秘訣のような気がします、自動車文化は日本から。そう世界を面白くするのは、みんカラの貴方だ。(≧∇≦)
とりとめもなくなり申し訳ありませんm(_ _)m
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自動車文化論 | 日記
Posted at
2017/12/29 23:06:49