
フォードその栄光と悲劇
変な名前に惹かれて、中身は見えなかったが古本屋で買いました。1944年に書かれた回想本です。多分戦前の暗黒史が書かれていると思いまして。作者はフォードの片腕で長く40年働いたソレンセン氏、ヘンリーから親しみ込めて鋳物屋チャーリーと呼ばれた。ジャーナリストが書いた虚構の本ではありません。
トピック
株主にコントロールされるのを嫌いトラクターのフォードソン社を使い市場に噂を流すことでフォード株を安く買い集めた。これにより完全にフォード社はヘンリーの会社になった。トラクターでは後々ファーガソンと特許で一悶着。
栄光のT型フォード1910年の大量生産はヘンリーが計画した物ではなく、沢山の注文をさばく為に幹部の試行錯誤で生まれた。その結果として原価が下がる事を幹部が見つけ、それらを給料に還元することで全従業員がクルマを持てるようにすべきだとヘンリー・フォードは考え断行した。先ず週3ドルの給料を5ドルに上げた。そしてクルマの価格も下げてそれに見合った生産原価にするように指示した逆の発想。結果世界を走るクルマの半分がT型フォードになった。
20年モデルチェンジ無しで売れなくなったT型フォードに固執し続けGMの直6やクライスラーにも販売で追い抜かれ、ある日突然やけを起こし急に生産ラインを止めてしまう。それから開発を始めた!ので1年間は販売するクルマが無くディーラーは部品販売だけで食い繫いだという。そして出来たのが世界初の量産アーリーV8フォード1932年だ。息子エドセルと共に開発し爆発的に売れた。
世界初の量産V8エンジン、アーリーフォード
悲劇は晩年に脳溢血を起こし正常な判断が出来なくなったのに、ベネットというスパイを雇い息子エドセル・フォード社長を追い詰めて死に至らしめた1943年。B24爆撃機を他社工場での日産1機からフォードの工場では1時間に1機へと大量増産計画した最中の事。ヘンリーは実務を担うソレンセンさえも信用しなくなった。
遂にヘンリー1世は話す事さえ出来なくなり、戦争中に誰もコントロール出来なくなった会社で、ソレンセン副社長が孫の若いヘンリー・フォード2世を新社長に仕立て上げて本人は引退した。1944年。
ヘンリー2世の時代アメリカンV8レーシングエンジン
ヘンリー2世1963ルマンとフォードの野望
更に概略を知りたい方は以下です。(≧∇≦)
以上。(^O^)
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自動車文化論 | 日記
Posted at
2018/12/05 07:25:13