私が生まれ育った家(今は弟一家が住んでいる土地)のある場所は、かつては周りを田んぼに囲まれたなだらかな田園地帯でした。
家の隣には富士山の伏流水が流れ集まってできた清流が流れ、家の裏の岩場からは、雪解け水が顔を出して、小さな泉を作っていました。
家から50mほど下に、田んぼと並行して流れる川の上を横切る小さな川が流れていました。
川の上を、簡単な古いコンクリートの堰が浮いているような感じです。
※下、というのは南、上は北の方角を表します。
この土地で育つ人は、毎日の生活の中で方位を常に意識していて、道案内する時にも、「ここを東に曲がって」とか「南に下って」など方角で示すので、他所から来た人はビックリするようです。
小学校時代、社会科の勉強でフィールドワークにでかけ、その小さな川が、昔の人が作った遠くの川から田んぼに水を引く「用水」だと知った時には、驚きました!
そう言われてみれば、魚やウナギが住んでいた清流は、周囲の田んぼより低いところにあり、そのままでは田に水は引き込めません。
一年中水が枯れることもない豊かな土地で、まるで自然にできたかのように見える美しい田んぼも、長い時間をかけて、この土地に住む人々が開墾、整地してきたんだなあと、自然との調和と人々の苦労に思いを馳せたものです。
そして、眼下に拡がる田んぼの間に、こんもりとした小山、古墳のような小さな丘が、いくつかありました。
そこだけ、大樹が生い茂り、小さな祠が祀ってある所もあります。
平らな土地に、どうして小さな山ができているのか不思議だなあ。
縄文土器も出土する日本最古の集落があった遺跡も近くにあるから、大昔から住んでいた人々が作った古墳なんじゃないのかな、誰かえらい人の御墓なのかなあと、幼な心におぼろげに考えていました。
そうです。
私たちの子供のころは、【大規模な古墳 = 天皇の墳墓】、【小さな古墳 = 豪族や権力者の墓】
だと、教科書や本に書いてありました。
エジプトのピラミッドのように、虐げられた民が、権力者にこき使われて、イヤイヤ作っているような絵図と一緒に、古墳は権力の象徴、豪族たちが権威を誇示するために民衆を使役して強制的に作らせた墳墓だという「左巻き」の学説が、歴史や考古学の主流となっていました。
しかし。
すっかり成長し、東北のこの地に嫁いできてから、(本当に古墳は権力者のお墓なのかなあ)と疑問に思う場所に出会いました。
ときどきお詣りに行くとなりの市にある神社は、見渡す限りの田園地帯の小高い丘にあります。
日本三大絶景に劣らないと云われた、「象潟」の隆起したちいさな陸のような、こんもりとした小山のような場所に、大樹と古い神社が祀られています。
ずっと平らな土地に、どうして丘があるのだろう?
隆起した土地だとは、とても思えないし。
そんなとき、お友達からこんなワクワクする耳寄りな話題を教えてもらいました。
私の故郷の県で、道路建設予定地の神社跡から、驚くべき素晴らしい遺跡が発掘されていたこと。
当然私が知っているのかと思っていたようですが、実は、
・・・
全く知りませんでした! ゜ +.(ノ。’▽’)ノ*.オオォォ☆゚・:*☆。
発見されたのは、2008年、私が転居してからのことです。
もしも、まだ静岡にいた頃にこの大発見を知っていたら、すぐに飛んで往って、発掘現場を見に行っていたと思います。
「高尾山遺跡」が壊される…静岡県沼津市、道路建設めぐり揺れる
2015年7月8日
ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/10321708/
日本の古代史が変わるかも?「高尾山古墳」
※この記事は2012年8月に公開しました。
しずふぁん
「まるちゃん」さん執筆
http://shizufan.jp/netamap/tobu/55279/

高尾山古墳 (沼津市) 全景(Saigen Jiroさん撮影、Wikimedia Commonsより)
そして、数日後の
「小名木善行 ねずさんのひとりごと」
で、またしても嬉しい学びが・・・☆
古墳のお話
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2697.html
<前略>
>豪族たちが自分の墓を作るために民衆を使役して盛土したのではなくて、その豪族さんを中心に、みんなで努力して新田を開墾し、結果として残土処理のための小高い丘(盛土)ができたから、そこにあとから中心者となってくれた豪族さんをお祀りしたのです。
そこにあるのは、「あの人のおかげで、こうして広い土地ができ、田んぼができ、お米がたくさんとれるようになって、みんなが腹いっぱい飯が食えるようになった」という感謝です。
>そのどこがどうしたら「豪族が自分の墓を造るために民衆を使役した」となるのか。
まるで「あべこべ」です。
>ですから、私などが子供の頃は、お年寄りたちは、「偉い学者さんというのは勉強ばかりしているから、頭が変になるんだねえ」と、可笑しそうに話していました。
学者さんたちの「豪族使役説、古墳墳墓説」などは、ただの奇説、珍説の類(たぐい)でしかなかったのです。
>ところがいつの間にか、そんな「たわごと」にすぎないご高説が、いまではすっかり定説どころか常識化してしまいました。
日本人が土木作業をしなくなったからと言ってしまえばそれまでですが、あまりにも低レベルな話に、むしろ驚いてしまいます。
<中略>
>最後にもうひとつ古墳に関するお話を書いておきます。
今、東日本最古・最大級の古墳である「高尾山古墳」が潰されようとしています。
この古墳は、西暦230年頃に築造されたもので、卑弥呼が埋葬されたといわれる箸墓古墳(奈良県桜井市)よりも古いものです。
全長62.178m、周囲には、幅8~9mの周溝が巡らされ、周溝の底から墳頂までは4.679mもあります。
これは古墳出現期としては全国でも屈指の規模の古墳です。
>この古墳が発見されたのは2008年のことで、沼津市中心部と東名沼津IC・国道246号方面を結ぶ都市計画道路「沼津南一色線」の建設のために、その計画線上にあった2つの神社が移転となり、さらに工事を進めようとしたところ、神社の跡地の下から巨大な前方後方墳が出現したのです。
>ところが沼津市は、この古墳を壊して道路を建設する方針でいます。
そして2016年までに発掘調査を済ませ、2017年から道路工事に着手するのだそうです。
>私は、道路工事には賛成です。
ですが、古墳の取り壊しには反対です。
古墳は、その地が開墾された大きな証です。
沼津に「高尾山古墳」があるということは、西暦230年には、このあたり一帯が広く開墾されたということ、そしてその大規模な開拓工事が行われるだけの技術力が、この地にあったことを示している大切な遺構だからです。
これは地域の誇りです。
>ちなみにこの古墳も、「埋葬は西暦250年頃」と推定されています。
つまり、古墳ができた時期と、埋葬の時期に隔たりがあるのです。
理由は、上をお読みいただいた方には、もう明らかだと思います。
<後略>
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ねずさん、こと、小名木善行(おなぎぜんこう) 先生をご存知の方も、たくさんいらっしゃることと思います。
私も、毎日のようにブログを拝読させていただき、読むたびに心の汗を流しています。
農作業の合間などに、毎朝、『修身』『道徳』『国語』『社会』の授業を受けている気持ちになります。
拙ブログでも、ご紹介させていただくこともありました。
何年も前から、「ねずさんのひとりごと」「日本が好きなだけなんだよ」から、多くの大切なことを学んでいますが、それについてはまた、いずれの機会に。
高尾山遺跡を取り壊さないで! by 高尾山遺跡を保存する会 というキャンペーンサイトがあります。賛同される方がいましたら、アクションをよろしくお願いいたします。
東日本最古・最大級の高尾山古墳を取り壊さないで!
西の卑弥呼と対峙していたであろう東の王、卑弥弓呼(ひみここ)。その墳墓であるかもしれない高尾山古墳は、平成20年に発見された墳丘長62mの東日本最大級の前方後方墳です。築造は西暦230年ごろと言われ、東日本最古級でもあります。
沼津市は、完成まで最低でも数年はかかるという都市計画道路建設の為に貴重で重要な文化財である高尾山古墳の取り壊しを5月に決定しました。
そして6月24日の一般会計予算決算委員会で古墳を削り取りながら記録調査していく調査発掘費を含む補正予算案を賛成10名、反対3名で可決、その結果を受けて30日の本会議最終日には賛成21名、反対6名で可決しました。
予算執行するのを決める沼津市長は「ただちに予算を執行しない」と発掘調査を一時保留し、古墳保存と道路建設の在り方を再び検討するとしましたが、検討結果次第ではまだまだ取り壊しの危機にある状態に変わりはありません。保留ではなくこの予算の執行を停止し、引いては調査発掘を撤回してもらうよう働きかけを続けていきます。
同時に、沼津市内外に高尾山古墳の希少性、重要性を知っていただき、直面している危機についてお伝えし、保存に向けてのお力添えをお願いしていきます。
今後は高尾山古墳保存に向けての書名をいただくと共に、古墳を現状のまま残すことのできる道路建設や、古墳をいかに保存し活用していくかについての皆さまのお知恵、アイディアをお知らせいただければ幸いです!
FBやツイッターでご意見をお聞かせください! #沼津高尾山古墳
FB:https://www.facebook.com/takaosankofun
Twitter:https://twitter.com/takaosankofun
【追伸】沼津市長が予算執行を保留した理由に「世間で注目を浴びている。強行すると沼津市のイメージダウンになる」を挙げました。
皆さまのご署名が沼津市長を動かしました! 本当に有難うございます!
今後ともご支援、よろしくお願いします!!!
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神社の下に、古い遺跡、古墳があるらしいと、昔から伝えられていたということにも驚きます。
日本全国で、重要な遺跡や古墳が、数多く発見され、中には大切に保存されているものもありますが、ほとんどは、発掘調査を終えると、計画通りの道路や建設用地として整地されてしまっていることと思います。
なかには、大切だとわかっていながら、建設を優先して、しっかりとした調査もされず、供養や祀ることもないまま、この世から忘れられてしまった遺跡や古墳も、たくさんあることでしょう。
今回、大変古い時代の珍しい古墳だということもあり、地元の方や考古学ファンから、保存を望む声が多く挙がっていることは、素晴らしいことだと思います。
開通すれば便利になる道路が、あと少しで・・・。
どういった形で保存できるのか、多くの方で知恵をしぼっていただいて、良い方向へ行くといいなと願っています。
たとえ、しっかりとした形での保存が叶わなくても、多くの人がこの古墳の存在を知り、そこに祀られている方や住んでいた人々の生活や思いを想像し、巡らせることが、素晴らしいことだと思います。
実は、私が小学生のころ、小学校の学区内で大規模な縄文時代の古墳が発掘されていました。
私は、まだ中学年だったので少し離れた場所まで出かけなかったのですが、兄とその友人たちが発掘現場へ自転車で出かけては、土器のかけらなどを拾ってきていました。
私はそこに刻まれている、さまざまな縄目文様に魅了され、手にとっては、それを作った人や使っていた人の思いや生活の様子を想像するのが大好きでした。
中には、豚の鼻のような珍しい形の土器のかけらもあり、今思えば、ものすごく貴重な土器の一部だったのかもしれないと反省しています。
現在、その発掘現場は、住宅地やスーパーなどが建ち並ぶ一角となっています。
自分たちが暮らしている土地は、遥か太古の時代から、人々が暮らしてきた場所です。
ご先祖様たちが連綿と営んできた生活や願いに思いをせ、守らなくてはいけない自然や環境、日本人の心を、大切に守っていきたいという思いを、改めて強く感じています。