
左右二つの建物を直線で延ばしていくと、複数の消失点。
歪んだ遠近法、変形された空間、ありえない世界。
白い壁は明るく、影は濃すぎる。
強い日差し、影の濃さからはまるで昼間、・・・でも。
車輪を回転させて走る少女のシルエット。
オレンジ色の日差し、長く伸びる銅像?の影。
やはり、黄昏時?
少女はどこへ向かうのか。
どこまで走り続けるのか。
まるで、無限の時を走り続けているような錯覚。
深い紺碧色の空にはためく赤い旗。
その向こうには、なにがあるの?
広場には人の姿は見えず、少女と銅像らしき影だけ。
雑踏にまぎれそうなのに、静寂に包まれている画面。
不安、希望
永遠の時間、終焉の時間
動き続けるもの、止まったままのモノ。
一枚の絵画からはじき出すイメージ、想像。
いつか見たことのある風景。
いつか居たことのある場所。
絵画から、写真から、映像から、映画から、音楽から、小説からふっと感じる。
はじめて会った人、訪れた場所、風景、風の匂いなのに、なぜか懐かしい。
そんな感覚に陥ることが、あなたにもありませんか?
ジョルジョ・デ・キリコ「通りの神秘と憂愁」(1914年)
冷静に考えてみると。
覚えていないはずの幼い頃に行った場所、会った人、観たモノ、聴いた音が
記憶の深層に残っているのかもしれません。
無意識で眺めていたモノに、再び対峙したのかもしれません。
それでも、なぜか懐かしい、愛おしい、言葉ではうまく表現できない感情に包まれる時。
日常の生活の中で味わう
「"HAPPY"な至福」とはちがう、
至福の時間。
こんな場所にも、強烈な懐かしさを感じます。


ここ、イギリスやアイルランドなんですけど・・・(笑)
夕暮れ時にその場所で、STING(のような人)が吟遊詩人となって、ギターならぬ竪琴を弾きながら、歌を歌っている夢を、よく見ました。
懐かしさなのか哀しいからなのか、泣きながら目が覚めることも。
(ただ単に、ファンだから、歌声が好きなだけだから、なのかもしれないわww)
車の免許を取得し、愛車と一緒に、きっとよく似た訪れたことのある場所があると思い、日本中の海岸線を走りました。
(日本海の青い海が、きっとそうだわ!)
山形、新潟、富山、石川、福井・・・。
(う~ん。・・・ちょっと違う。)
結局。
よく似たイメージの海岸線は、生まれ育った県の、学生時代からよくドライブしていた伊豆半島西海岸と、今住んでいる県の男鹿半島の入道崎あたりにあったりします(笑)

昨日見た『君の名は。』の中でも、「誰か」をさがしていました。
「黄昏」時、「誰そ彼」時にだけ出会える、誰かを。
「誰そ彼(たそかれ)」
「黄昏(たそがれ)」
「いつか見た夢」
「既視感(きしかん)」
「déjà-vu」
そんな思いに浸る時にいつも頭の中に流れてくるあの曲が、
あるゲームソフトのBGMとして使用されていることを知りました。
PS4専用ソフト『龍が如く6 命の詩。』 (2016年12月8日発売)
山下達郎、『龍が如く』と異色コラボ「本当によろしいのでしょうか(笑)」
>山下は主題歌として起用される88年発表の「蒼氓」をはじめ、「希望という名の光」「飛遊人-Human-」「片想い」「アトムの子」の名曲5曲を提供した。
ちょうど一年前の発売だったのですね。
ゲームのCG画面とは思えないリアルな映像に、ちょっとびっくりしました。
そして今日は、76年前の大東亜戦争の開戦日でもあります。
37年前に亡くなった、ジョン・レノンの命日でも。
Human - Someya Takumi
わたしは、「輪廻転生」「生まれ変わり」はあると思っています (^-^*)
映画や漫画の中のようなロマンチックな生まれ変わりではないと思うのですが(笑)
輪廻転生をテーマとした映画や漫画、小説、ドラマなどいろいろありますが、
少女次代、一番はじめに強烈な憧れを抱いたのが、
里中満智子先生の「海のオーロラ」 でした。
海のオーロラ (漫画) - Wikipedia
『海のオーロラ』(うみのオーロラ)は、里中満智子による日本の長編漫画。
『週刊少女フレンド』(講談社)にて1978年第1号から1980年第17号まで連載された。
ルツとレイという1組の男女がムー大陸→古代エジプト→邪馬台国→ナチス・ドイツ→未来の地球と転生しながら、愛を貫こうとする姿を描く。
■ 里中満智子先生による あとがき より
輪廻転生について想像しはじめたのが、いったいいつごろからだったか記憶がはっきりしない。
「良いことも悪いことも、人の行為には必ず報いが来る。
だから目先のことに囚われて心を惑わされると、たとえこの世で結果が現れなくても、来世で答えが出る」
という考え方には、人間が社会を創ってきたベースとなる考え方が含まれているような気がする。
どんな状況であれ、人は「これでいいのだ」と自分に言い聞かせようとして、なんとか理屈を探しだしてくる。
それはより良い生き方をするための知恵かもしれない。
しかし、“良い行為”とは何だろう?
自分が「良い」と思ってしたことでも、考え方の違う人にとては「悪い」ことかもしれない。
10代のはじめの頃、「少女クラブ」で手塚治虫先生の『火の鳥』がスタートした。
「生まれ変わり」はいつも「良いこと」「悪いこと」に代表される正義、努力といった
道徳めいた生き方と関わっていたのに、これが“恋”だなんて!
運命の力を感じない恋は本物ではない、と私は思いたい。だから私はあまり恋が出来ない。
仕事のしすぎで何度か体を壊し、入院もした。
その第1回目の手術後、ベッドの上で思いついたストーリーが今作だった。
まだ死にたくない、私の“運命の人”が誰なのか知りたい。
手術痕の傷口をおさえながら、私の“アダムとイヴ”のアイデアをまとめはじめた。
<以上 転載 了>
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わたしたちは「魂」と「肉体」をもっていて、「魂」は「肉体」という入れ物の中に入り、そこから抜けて、何度も生きる。
より濁りのない、高みを目指して。
同じような目的をもった魂と出会い、お互いに磨きあいながら、この世で錬成、修業する。
何度も生まれ変わっている「魂」を持つ人は、より厳しい試練を自ら選び、最後まで生き切る。
困難の中でも、自分に厳しく、人に優しく、輝きを放ちながら。
生まれ変わったばかりの人は、たとえば無邪気な子猫のように気侭だったりする。
自分のことや身の回りのことに心を奪われ、享楽的に生きてる。
はたから見れば、気楽な幸せな人に見えるかもしれない。
でもきっと、次に生まれ変わるときには、少しだけ困難に直面する。逃げ出すかもしれない。
次に生まれ変わるときには、困難に出会っても、自らの命を投げ出さずに立ち向かい、生きる。
そして次には、自分のためだけではなく、周囲の人のことも考えて困難に立ち向かう。
そうやって、いろいろな経験をして、魂を磨いて、丸く、優しく、大きな人になっていく。
わたしたちを時に優しく、時には厳しくサポートし、見守ってくださる「神様」は、
ご自身もなんども生まれ変わり、魂を磨き、輝かせ、大きく優しい存在になった、偉大な先輩方なのかも。
だから、簡単に夢や希望を叶えてくださる存在ではなく、
わたしたちの魂を磨かせ、輝かせるために、いろいろな試練を与え、さまざまな経験をさせてくださる。
時には、苦しくて、厳しいことも、それが魂を磨くことになるのならと、敢えて。
時には、ご褒美のような楽しくてうれしくて幸せな時間をプレゼントしてくださる。
「自分だけよければいい」のではない、「みんなのため」「周囲の幸せ」を、
自然に願い、感じられる魂を持てるように。
目に見える「美しさ」だけではない、人の心にある「優しさ」「美しさ」「崇高な心」に気付き、
自分もそんな心を持てるように。
そんな思いに触れるとき。
わたしたちは目に見えないはずの「神様のような大きな優しい存在」とつながっているのかもしれなない。
そんなことを、ふと思ったりするのです。
以下にご紹介するのは、一年半前の拙ブログです。
『君の名は。』を観た後に、やはり同じことを思いました (^-^*)
【飛遊人-Human-】どこかにいる 私に似た誰かに 出会える気がする
2016年06月15日
♪ ♪ ♪
思えば今まで、『私に似た誰か』に出会うために、探すために、生きてきた気がします。
幼い頃から変わり者だった私。
人と合わせることも苦手ではないけれど、何か違うといつも違和感を抱いていた。
好きな音楽やマンガ、映画、食べ物、スポーツ。
趣味が同じ人と過ごす時間も楽しいけど、本当に出会いたい人とはちがうような・・・。
「魂」が似ている人、「ソウルメイト」と言えるような同じ魂を持ち、同じものを目指している人。
ずーっと遠い昔に、同じ場所に住んでいて、同じ記憶をもっている人。
ふっと突然、そんな人に出会えるときがあります。
同じ景色を見て、同じことを考えている人。
同じ出来事を知って、同じ喜びや悲しみを感じている人。
それは、大人だったり子供だったり、女性だったり男性だったり。
以前は、結婚する相手を見つけるためなのかと思っていたけど、
それだけではないみたい。
仕事を通して、同じ感覚を持つ子供たちを大事にしたい、よさを見つけて伸ばしたいと思ったり、
偶然出会った人と、自分たちが似ているところを確認しあい、喜び合ったり分かち合ったり、
私とよく似た、おそらくあんまり他人から理解されていない人と出会って、「素敵だよ」「大丈夫だよ」「大好きだよ」と伝えること。
それが、自分の人生のテーマなのかもしれないと、ぼんやりと思ってきました。
♪ ♪ ♪
『自分だけよればいい人』 が、私、めちゃめちゃ苦手です。
そんな人は、自分の身の周りにいる一般の人でも苦手です。
それ以上に、本当なら一般人のお手本になるべき指導者、リーダー、影響力がある人が「利己主義」「私利私欲」「公の心がなく私心のみ」の人間であると、嫌悪感と怒りも湧いてきます。
もしも日本人の子供なら、本来持っているはずの優しさや思いやりの気持ちを、大人がうまく見つけて引き出すことができれば、誉めて伸ばしていけるのではないかと思っています。
でも、その機会がないと、「自分が楽しければいい」「他人のことなんて関係ない」「自分さえよければいい」・・・、そんな人間になってしまうのかもしれない。
日本人なら誰もがもっているはずの当たり前の精神、美しい心が、そうでない人たちの影響で薄まり、隠れてしまって、本人も気づかないまま「日本人らしからぬ日本に住んでいる日本人」になってしまっているのではないかしら。
かつての日本の様子、かつての日本人の生き方を知りその精神に触れるとき、自然に涙が出てきます。
現代の日本でもときどき触れられる、美しく崇高な生き方、有り様を知るときにも、涙が出てきます。
おそらく、自分の中にある無意識の魂が、共鳴しているのではないのかしら。
私の中にも、私の身体のDNAにも流れている(と思いたい)古い日本人の記憶や魂が。
どうしても受け入れがたい人間は、日本人的ではない人たち。
利己主義、中華思想、自分だけが搾取する側に立とうとする共産主義、暴力でねじ伏せようとする短絡的思考、異なる考えや人種は排除しようとする排他的な集団。
こういう人達が、残念ながら日本の周りの国にはたくさんいます。
そうです、南朝鮮、北朝鮮、支那、露西亜。
亜細亜以外の欧米にも、たくさんいますね。白人至上主義の人たち(アーリア人?)。
太古の昔。
この日本という国に流れ着いて、そこで暮らして共存してきた日本人たちが築き上げてきた、大切なもの。
守り引き継がれてきた、大切な精神。
鎖国をしている間には、他国からの影響も少なく、熟成され昇華されてきたのでしょう。
しかし、黒船がやってきて以来、ズル賢い他国の人間が、人を疑うことをあまり知らなかった日本人から「金」「銀」「絹」「工芸品」などをどんどんだまし取り、日本人を利用した。
美味しい水や空気、美しい四季と自然があり、善良で真面目で働き者の日本人が住む「日本」という国ごと、自分たちのものにしようとした。
その勢力と闘い、日本や日本人を守ろうとしてきた先人を、現代の日本人は貶めている。
これは、恥ずかしいこと。無知でいることは、罪。
真実を知り、何をすべきか一人ひとりが考えることが、私たち日本人の使命でもある。
どうして自分は「どう生きるのか」ということにいつも関心があり、そんなことばかりブログにも書いているのか、分かってきた気がする。
「どこかにいる 私に似た誰か」に出会い、感化され、影響し合い、高め合いたい。
自分の人生とその後に続く誰かの人生(自分の息子たちや教え子たち)に、大切にしたいことを引き継ぎたい。
リアルに会える友人や素敵な人に、素敵だな、素晴らしいなと思ったことはどんどん伝える。
バーチャルな世界、ネットの世界でも、共感したり尊敬する人には、素直にその思いを伝える。
誰よりも大切に思っている息子たち、これからの時代を生きていく子供たちの中に、思いやりの心、優しい心、克己心、公共心を見つけた時、遠慮せず誉めて、認めて、伸ばしていく。
以上、キ◎ガイの独り言でした( ´艸`)
【CM 1990-91】ANA 飛遊人 30秒×5 - YouTube
山崎まさよし / One more time,One more chance
命が繰り返すならば 何度も君のもとへ
欲しいものなど もう何もない
君のほかに大切なものなど