皆さんも歳を取りますし、乗る車は生活環境の変化で変わるでしょうし、自動車以外の趣味に傾倒する人もいるでしょうから。
所謂、三菱プロショップ的なお店は関東を中心に知ってますけど、三菱以外もやらないと事業継続は難しいでしょう?
富山三菱さんのフェイスブックで、この件のメーカー対応に怒っているようですが、廃業するとなれば、これまでの蓄積されたデータや金型は廃棄せよというのは普通でしょうね。
この手の流出あるんですよ。 闇に隠れてステッカー作られても困るでしょうし。
事業辞めるのなら、三菱所有のラリーアートブランドも扱えないという話になるのは当然。
テストって、ディーラーからすると、客に頼まれてパーツを注文すると、その対応があまり良くなくて、BtoBであっても、接客が悪いんですね。 これが自分が90年代後半から00代初頭の頃で、「あまりね・・・。」という返事をしていたのが、当時お付き合いのあった三菱Dのサービスだったわけで。
現場の下っ端はいいとして、上が対応するとダメだった印象。 自分も一度、現場の担当者に「あんな奴の下で働いていたら、その内に店潰れるし、実際そうなってる店多いからな。」と諭したのが十数年前だったな。
部品の事だったんだけど、何でそんな言い方するかな?ということで揉めた。
それは、ユーザー側の視点に立って対応できないとなれば、ディーラー怖くて扱いづらいもの。
チューニングショップって、俺様ショップが多いので、ミスがあっても認めなかったり、些細なことで客と喧嘩して揉める話は当時いくらでも出てきました。 業界の盛り上がりは2000年代一桁前半がピークだったのではないでしょうか?
日本車のボディがしっかり作られるようになった辺りから、チューニング業界の衰退は急激だったような気がします。 そこいらのショップでは触れない車が増えたということなのでしょう。
昔は快適性を無視しても、速くてかっこいい車が求められましたが、ユーザーも歳を取ると、速くても快適性は外せないという傾向になりましたし、自動車も随分と良くなりましたからね。
今は、ほんと、旧車と板金塗装ができる人とコンピューターが触れる人、とりわけ、故障に対して探求力のある人が求められてますね。
というわけで、自分はショップカスタムではなく、プライベーターみたく、自分で調べて、あるものは利用するけど、なければ作るしかないとして自分でやりくりしてました。 そこからBライ取って、Aライ取って、つくばで走っても壊れない車に仕上げて~なんてやってる内に、自分が出会ったお店で、それ以後お付き合いをさせて頂き、そこにいた人達が車の「いろは」を教えてくれたので、それがなかったら、そこらのDQNみたいに、部品を買って意味も解らず取り付けて喜んでるだけの人だったと思います。