東日本大震災からもうちょっとで1年ですね、震災関係のブログは書かれる方が多いと思いますが、自分もなかなか強烈な経験だったので当日のことを書いてみようと思います。
2011年3月11日14時46分
地震発生時は茨城南部の会社内に居ました。このあたりはM9.0の本震で震度5強、30分後の茨城沖を震源とするM7.7の余震では震度6弱だったようです。
人が歩くだけで揺れるような2階建てのプレハブ建物に居たので揺れ初めは特に気にもせず、体重の重い○○さんあたりが階段を駆け上ってるのかな?なんて思ってました。
しかしどんどん揺れは強くなり、あれ?これは地震なのか?いや、もしかして大地震!?
誰かが『外に出ろーーーー!!』と叫んだのをきっかけに皆出口へと向かいます。
あまりの揺れに靴を履き替えるのに苦労しながらもなんとか外に出ると、激しい地響きと時々爆発音、近くで核爆発でも起きたのかと思いました(核開発関係の本を読んだばかりだったので)
周りの工場廃突からは真っ黒な煙と炎がもわもわ出ています。
あまりの臨場感に「今まさに大震災の現場に居るんだ」と実感しました。
建物の揺れる音だけではなく、地響きの音で感じる地震は生まれて初めての経験です。
同僚のスマートフォンでニュースを見ると、宮城の方で車が津波に流される映像が放映されています。
ただしそれはまだ初期のころの映像だったので、後に見る町を飲み込むとんでもない映像とは違い、震源地からそこそこ離れた自分に危機感を与えるようなものではありませんでした。
会社からは定時前の帰宅指示が出ましたが、渋滞してるだろうし慌てて帰ってもしょうがないので帰宅途中の公園の駐車場に立ち寄りました。(後にこれが裏目に出ることに・・・。)
当時はフィットを納車6日目、みんカラなるものを知ってから自分もそのうち登録してみようかとウキウキしている状態です。
不謹慎にも黒い煙と炎を吹き出す工場廃突がカッコいいなとそれを背景に上の写真を撮影、のんきなものでした。
16時30分
そろそろ道路も落ち着いてるかなと思い自宅へ車を走らせます。が、気付けば対向車線が浸水していて走る車からは水しぶきが・・・。
これを見て思い出した!!ここは意外と海に近いんだっけ?(グーグルマップで確認したら海まで200mくらい)
この地域で観測された最大の津波である第2波との遭遇です。
ヤバイと思った時には進行方向が渋滞しててUターンも出来ないし、左折して内陸側に逃げることも
出来ない・・・。中央分離帯が高くなってるおかげでこっちまでは水は来ていないけど、対向車線は
場所によって乗り捨てられた車の運転席胸あたりまで水が来てました。これを見てちょっと自分の足が震えているのに気が付きました。
防災放送で『只今、沖合い6km付近において大津波が確認されました。・・・・・・~~』と避難を呼びかけています。
嫌な予感で胸がいっぱい、こんな時にこんな所を車で通ろうとした自分の防災意識の低さに恥かしさと後悔が・・・でももう遅い。
海側から走って逃げてくる人
かなり焦ってる様で道路に飛び出してきました。こっちは渋滞でほとんど進まないのでデジカメで撮影していられたけど、自分もかなり焦ってます・・・。体温と心拍数が上がって緊張状態になってくるのが感じられました。
中央分離帯の切れ目から流れ込んでくる津波
えっ!?ここを進まなきゃいけないのかっ?
この時点で水没/廃車になるイメージが・・・。
自分が死ぬほどの事にはならないだろうとは思ってたけど(楽観的、そしてなぜかハイテンション)
いざという時に下手に乗り捨てて逃げたら周りに迷惑がかかってしまいます。
自分の後ろにも車が繋がってるし、車を邪魔にならない場所に落ち着かせるまでは、もしくは自分の身がほんとにヤバくなる寸前までは車と一緒に居ようと覚悟しました。
ザバーーー!!
あああぁぁ・・・新車で納車してまだ6日目なのに Σ( ̄ロ ̄lll)
海水に浮いて流れてくるゴミをフロントバンパーで押し退けながら前に進む時のあの音、振動、シートから伝わってくる感触、精神的に悪いです。
ちょっとずつしか前に進めない渋滞状況だったのでここまではちまちま撮影することが出来ましたが、さすがにヤバくなってきたので以降は記録がありません。
マフラーから浸水しないようにエンジンを多めに吹かしながら海水を押し退け走ります。
この道路は2車線なので、すぐ左側に逃げられるようあらかじめ左車線を走ってましたが、運悪く緊急車両が自分のフィットの前に停止し、海側のコンビニ内に立ち往生してる人に向かって『早く逃げろ』と拡声器で訴えかけ始めました。
自分がここを脱出するには右に車線変更して緊急車両を追い越さなければなりません。でも渋滞なのでそう簡単には車線変更できないし、こんな状況じゃなかなか先を譲ってもらえないだろう・・・でも、こんなときこそ無理に割り込むようなマナー知らずはしたくないし。
どんどん水位が上がっていくのにドキドキしながら水没/廃車になるイメージがどんどん強くなってって、もうだめかも・・・・・・・
と思ってたら右車線の後続車が途切れました。とうとう後続車は走行不能になったのか??
すかさず車線変更して緊急車両を追い越し、なんとかその先で左折して内陸側に逃げることができ、無事に帰ることが出来ました。
よかった・・・ほんとによかった。
納車6日目の新車でいきなりこんなアドベンチャーする事になるとは・・・、オフロードとか道無き道を突っ走るドキドキ感は大好きだけど、こういうドキドキ感は大嫌いだ!!(当たり前だ)
この後はすぐに真水で洗い流したいんだけど、断水してるのでそれも出来ず(水道復旧までは1ヶ月半くらいかかりました)
自衛隊の補給車にもらった飲料水とか、近所の人が使わせてくれた井戸の水とか、貴重な水を車にぶっかけて消費するわけにもいかないので結局洗車できたのは実家に帰った1週間後くらいでした。このときはエンジンルーム内にもホースで容赦なく水をぶっ掛けまくってヒャッハー!しました(笑)
蛇口ひねると水が出る、なんてすばらしい事なんだろう。水道水の塩素臭が心地良く感じたのは初めての経験です。
地震から一晩経って翌日の朝、バイクで市内の様子を見てきました。
昨日通った帰り道
津波に流され中央分離帯に打ち上げられた車体が何台も放置されています。
自分ももうちょい遅く帰っていたら・・・。
すごい事になってる・・・・・。
向かって右が海側、流された車両が田んぼの淵に乗っかってます。
ああぁ・・・フィット君
もうちょいで自分のフィットもこうなってたかもしれないのね・・・。
うちのアパートの駐車場
余震でこれより更に酷くなったので、段差部分に土嚢を積んでなんとか止めてました。
道路状態も良くないので半年ほどはノーマル車高のままでしたが、フロントバンパーの下はすでにザラザラです。
後に報道で東北地方のおぞましい惨状を見て、なんとも言えない気持ちになりました。
今回の大震災で被害にあわれた方々にはご冥福をお祈り致します。
冥福っていうのがどんなもんなのかわかんないですけど、とにかくとにかくそんな気持ちです・・・。
動画サイトで津波の動画を見ながら何度『ああ~~~・・・。』ってなったことか
福島第一原発事故関係のことを考えて何度『ぬぬぬ・・・・。』ってなったことか
みんカラをやっている人の中にも大事な愛車を失った人はたくさん居るようで、悲惨なブログや画像をいくつも拝見しました。
それに比べたら自分なんか車は無事だし、棲家も失わず、職も失わず、こうしてみんカラをやりながら楽しいカーライフを送れているわけで、周りの悲惨な状況を見たら申し訳なくも自分のささやかな平和を実感しました。
東日本大震災からもうすぐ1年、色々な事がだんだんと当たり前のことに感じてきちゃってますが、津波を乗り越えて今も元気に走ってくれる相棒が居ることに感謝です。こいつはもう特別な愛車です!!
ちょっと傷が付いただけで愛着が無くなったり、ちょっといい新型が出たからといって自分の車がちっぽけに感じたりとか、そんなレベルの高すぎる車との付き合い方はしません。
元気に走れて、適度に弄って遊べて、時々地味なカッコよさにニヤッとさせてくれる、そんな相棒をこれからも大事にします。
最後に
納車から1年、燃費データがたまってきたのでEXELで作成したグラフを載せてみます。
走行距離 18500Km
平均燃費 14.2km/L
※AVGでの燃費は満タン法よりも平均4%ほど良い方向に出ています。
〔走行条件〕
1/3は通勤用途でそれなりに渋滞がある
それ以外は田舎道ばかり走ってるのでそれなりに空いてる
高速道路走行もそれなりに多い
RSで6MTなのでスポーティーな走りもそれなりに楽しんでる
低燃費走行もそれなりに意識してる
ってわけで結局、総合的に見たら標準的な走行条件なんじゃないかと思います。
誰かの何かの参考になれば幸いです♪