イイね!を押してね♪なんて書くもんじゃないですねw
先ずはマツダ車の乗り味が「
人馬一体」と呼称されるモノで統一された経緯から。
マツダの「
人馬一体」が最初に市場に登場したのは初代ロードスター(NA)からなので1989年まで遡るのですが、実はその頃の
人馬一体はマツダ車全体の味付けでも哲学でもなくて、飽くまでロードスターというひとつの商品に与えられ、代を重ね継承されてきたものでした。
これがマツダの全ラインナップに展開されるキッカケを作ったのが虫谷氏。
肩書は「車両開発本部操安性能開発部走安性能開発グループ 兼 統合制御システム開発本部 上席エンジニア」
経緯はコチラの記事で虫谷氏ご自身が語っています。
【弾丸試乗レポート 第67回】マツダの快進撃を支えるキーパーソンに聞いた!
注目度抜群! 新型「デミオ」の知られざるヒミツ 2014.10.15 (価格.comマガジン)
CW型のプレマシーが発売されたのが2010年7月ですから、記事で語られている開発時のエピソードは2007~2009年頃の事と推察できます。
そしてその直前に虫谷氏が欧州へ赴任していたのが3年半だから、時期は2004年から2007年ということになりますね。
実はこの時期、マツダでは後にSKYACTIVと名付けられた技術戦略を核とした中期経営計画策定の真っ最中でした。
したがい虫谷氏が携わり、2010年のマツダ技報で発表された「
ダイナミックフィールの統一感」と呼ばれる考え方は、言ってみれば偶然w、実に微妙なタイミングでマツダ社内で日の目を見たことになります。
そして2012年からマツダは本格的に
人馬一体の展開に動きます。
この記事でマツダの執行役員車両開発本部長である松本浩幸氏は
「その(人馬一体の)想いをすべての車種に浸透させるためには、マツダの社員全員が“人馬一体”を理解しなければなりません。私が2012年にドイツ赴任から戻ったのは、全員にマツダの“人馬一体”を浸透させるためなんです。だから私が部会長になって「人馬一体部会」を立ち上げました。」
と語っています。しかし、ちょっと待って下さい(^_^;)。
虫谷氏は紹介した記事の中で
「そこで、『これからのマツダの味はこれでいく』と、『お前がリーダーで、この味でいけ』と言っていただけたんです」
と語っています。そして現実にプレマシー以降、2011年のDEデミオ(MC)、BLアクセラ(MC)、そして2012年のCX-5やGJアテンザと、以後発売されたクルマは全て、ダイナミックフィールの統一感で仕上げられました。つまり虫谷氏の上記のお話は嘘ではない(笑)。しかし一方で
「でも、まわりは『何がいいんだか分らない。なんで?なんで?』ってなってましたけど(笑)」
とも述べています。そもそも当初は
「『何を言っているんだ?スポーティはこれよ、パキパキよ!』って」全く社内の理解が得られなかった乗り味です。今後のマツダの味を全てそれに統一してしまって大丈夫なのか?という疑問は、当時のマツダ社内に無かったのでしょうか?
そして2010年7月のプレマシー登場から2012年の恐らく4月に人馬一体部会が立ち上がるまで2年弱もあります。『お前がリーダーで、この味でいけ』と命じて
虫谷氏に現場で頑張らせている一方で、2年近くもの間、
会社は一体何をやっていたんでしょう?(^_^;)
いくつか面白い事実を紹介します。
2010年7月にプレマシーが発表になっていますが、この
ニュースリリースでは
人馬一体という言葉が全く
登場しません。唯一「運転操作の「統一感」」という表現で、ダイナミックフィールの統一感を意識したクルマ造りをしたことが示唆されているだけです。
そしてこの記事。
マツダ、次世代技術「SKYACTIV」説明会 2010年10月21日開催
「SKYテクノロジー」と呼ばれていたその実態が「SKYACTIV」という言葉と共に初めて世に出た説明会でしたが、
人馬一体という言葉は
ほとんど登場してきません。この記事の中ではシャシーダイナミクスの説明で「
人馬一体のドライビングプレジャー」とサラッと記されるのみです。
翌2011年6月に登場した
デミオSKYACTIVのニュースリリースも「統一感」のみ。
同年9月の
BLアクセラのニュースリリースも「統一感」。
その翌年2012年2月の
CX-5のニュースリリースでは、統一感も
人馬一体も両方無くなってしまいます。
そして、人馬一体部会が立ち上がった後の2012年11月の
GJアテンザのニュースリリースでようやく
人馬一体が記載されますが、一方で統一感という表現は無くなりました。
これは一体どーゆーことなのか?(苦笑)
以上の事実を踏まえて、ここからはボクの
想像です。
虫谷氏が持ち込んだ
その操安性について、当時の開発部門のトップがその方向性で行くと決めたとして、マツダが会社としてそう決めるには、更にいくつかのステップが必要でした。会社として方針を決めるという事は、必要に応じて部門の垣根を超えて社員が協力し合うことですから、部門長の更に上の然るべき人たちが納得する必要があります。
その
操安性の正体を明らかにするのは勿論のこと、その
魅力の源泉や
競争力、競合他社に対する
勝算など、です。2010年から2011年に掛けて、この辺りの検討、まぁ
フィジビリティ・スタディのようなことが進められていたのではなないか?と思えるのです。
このスタディの過程で、虫谷氏が難解な言葉でゴニョゴニョ説明するソレ(苦笑)は、平たく言ってしまえば
初代ロードスターの操安性であるということが解り、その
魅力の源泉は安定性や俊敏性といった数字で表せる特性の優劣よりも、
フロー理論でいうところのフロー状態に導くメカニズムが働いていたこと、そしてその魅力は、ロードスターが
より高性能なライバルが登場してきても負けなかった(存続し続けられた)事実とか、つまり競争力は有ると結論付けられること、などが明らかになってきます。
参考:
人馬一体はどう進化したのか?(2015年6月22日 response.jp)
少し未来の記事ですが、NDロードスターのデビューに際し、虫谷氏ご本人が初代に回帰した理由に絡めて、初代ロードスターについて語っています。曰く
「人間の感覚の中で、ロードスターってすごく安定しているかって言うとそうでもないし、実はものすごくゲインが高いかっていうと、ロードスターよりもゲインが高いクルマは実際あります。」
「失礼な言い方かもしれませんが、他社からも色々なクルマが出てきましたが、結局ロードスターだけが生き残っている。」
この話は恐らく彼の個人的な見解ではなく、2010年から2011年の辺りでマツダ社内で確認された、会社としての見解だと思うのです。
ここに至ったからこそ、マツダは会社としてコレで行くという決断が出来て、それを受けて車両開発本部長である松本氏が「人馬一体部会」を立ち上げる組織としての動きに繋がったのではないかと考えています。
もしこの想像が当たっているなら、マツダは1989年に初代ロードスターと共に世に訴えた
人馬一体という言葉の意味を、2010年から2011年の2年間で再定義したことになるのかもしれません。中身を考え直したのではなく、その根底にある考え方と生み出される効果や価値、一部の商品に留まらず全てのマツダ車が目指す理想として再定義した、という意味です。
マツダの藤原氏は2015年ですが、
インタビューでこんなことを言っています。
「技術のマネでは越えられない、人間の考え方で越えないと」
「ドイツに勝とうとして、彼らをそのままベンチマークにしても、絶対に勝てないですよ。彼らはあのやり方、あの論理でずっとコツコツやってきているわけです。」
「私がドイツに赴任していた2002~2005年の間には、このまま技術だけ追いかけても、結局は後追いで終わる。ドイツ流はドイツ人の気質に合ってるんですよ。」
「だから、できあがったクルマだけを追いかけても越えられないけれど、もっと人間自体を、つまり”クルマに乗る人間”を研究し、日本人としての理想を追求していけば、どこかで…彼らが遅れたところで、彼らを抜けるかもしれないと思いついた。 」
藤原氏は2005年に日本に戻り、SKYACTIVを含む中期経営計画の策定に携わるワケですが、その中で「技術のマネではなく、先ず
人間の考え方で」ということを念頭に進めていたことが伺えます。そしてエンジンに関してはそれを見出しました。人見氏が提唱した
「究極のエンジンとは理想の燃焼の追求であり、それは6つの制御因子を理想に近づけることである」というアレですね。
操安性についても同様ですが、2010年の技術説明会には間に合いませんでした。しかし社内で見付けた種、
初代ロードスターの操安性の哲学が、ドイツの技術の後追いで無い、理想を追求してくことでいつかは彼らを超えられるかもしれない考え方たり得るものか、その見極めが2010年から2011年に掛けて行われたと推察しています。
どこまで当たっているかは解りませんが、ストーリーとしてはそう外れてはいないでしょうし、マツダ車の乗り味が
人馬一体で統一されたのは事実です。そして時系列でいうと、SKYACTIV戦略が固まる終盤に、悪い言い方をすれば付け足されるwように経営計画に加わって来たことになります。
したがいマツダの
人馬一体の追求は第6世代商品の開発と同時並行で急ピッチで進められたことになります。スタートが遅かった故の課題も様々あったと思います。何しろ理想を達成する要となるSKYACTIVボディ、SKYACTIVシャシーは、
人馬一体の理想に最適化して設計されたわけではありません。だから逆に、
人馬一体の理想を追求するためのボディやシャシーのあるべき姿をマツダが明確化できたとき、それは次の世代への進化の道筋が見えたと言えました。
さて経緯はこういうことであるとして、
人馬一体の乗り味とは具体的にどんなモノか?概念論や、良い事しか言わないマツダの説明(苦笑)とは違う、ボクの体験談を含めた
人馬一体の実態については、次回のブログで書きたいと思います。
マツダは「意のまま」とか「人と車が一体となった」(文字通りw)、「車が手足のように」、果ては「安心・安全」まで、まるで敢えて核心に触れずに誤魔化そうとしている(笑)かのような説明しかしていませんが、市場の評価は二つに分かれたりします。ボクは欧州車オーナーには当然のように不評を買うと
前回ブログで書きましたが、恐らく最新のマツダ車をイマイチと感じているオーナーが読んだら、きっと「なるほど」と思うと思います(笑)。