※この物語はフィクションです。登場する人物、企業、製品、団体等は実在するものとは全く関係ありませんww
第八章:決断
3月の役員会に国産ナビ開発の是非を諮るべく、小峰はA社から紹介して貰った数社と機密保持契約を締結して詳細な資料を渡し、提案書の作成を依頼した。各社からときどき入る問い合わせに対応しつつ、小峰も資料の作成に入った。
国産ナビを開発した場合のマツダコネクト事業への影響を明らかにするためだ。
自動車メーカーは新型車を開発した際は勿論だが、複数車種に搭載する共通機能などの開発に掛かった費用を、製品である自動車を売ることによって回収しなければならない。当り前の話だが、自動車メーカーに限らず製造業にとっては文字通りの生命線、多額の投資を伴う自動車メーカーにとっては非常に重要である。
マツダコネクトの場合、将来的には全車種に搭載することを目指している上、「古くならないシステム」を謳い継続的な機能強化や機能追加を行っていこうとしている。しかしマツダコネクトは単独で売る商品では無く、広くマツダの全車種に搭載していくものだ。これが一体いくらで、開発費用に今までいくら掛かり、今後搭載された何台のクルマが売れれば開発に投じた費用を回収できて、会社にどのくらいの利益がもたらされるのか?本日ただいま、開発費用の回収はどこまで進捗しているのか、常に管理下になければならない。
国産ナビを開発して日本市場に投入する場合、それに必要な開発投資額も勿論だが、海外向けの製品への影響がどの程度になるかを明らかにしなければならない。日本国内向けにナビを開発するのに、なぜ海外向けに出来上がっている製品に影響が出るのか?これはマツダコネクトが全仕向地に共通の仕様で作られている事に起因する。
アクセラへの搭載に伴って開発したマツダコネクトに、仮に月平均100名のエンジニアが2年従事したとする。1名の人件費が平均百万とすると開発に掛かった費用は24億円。これを回収するワケだが、マツダコネクトはアクセラに限定した装備では無い。マツダは2015年度末(2016年3月末)に世界販売150万台を目指し、その8割をSKYACTIVにすると言っているから年間120万台。この全てにマツダコネクトが載ることになる。仮に開発費用を3年で回収しようとした場合、120万台×3年=360万台だから、これらで開発費24億円を回収するためには、1台当り667円の利益を乗せれば3年後には24億円がチャラになる。この667円を原価①(開発原価)としよう。
実際のマツダコネクトは、CMU(コネクティビティ・マスタ・ユニット)、モニター、コマンダーコントロールやDVDドライブ、TVチューナーなどの部品で構成される。サプライヤからアセンブリーで提供される場合はその価格、1つひとつの部品から組み立てるならその部品代なども原価である。原価②としよう。
更にそれらのパーツを車両に組み付けてお客様に納品するワケで、その際の工場の工員の工数もある。原価③としよう。
以上のように、開発コスト、部品代、組み立て工数といったものが全て合算されて製造原価が構成されるワケだ。
話を戻してマツダコネクト。全世界共通仕様であるため基本的に仕向地に寄らず原価①は搭載車に一律であった。ところが国産用に専用品を開発するとどうなるか。その専用品には勿論、然るべき開発費が掛かるわけだが、従来品への影響とはなんなのか?
マツダの国内販売台数は概ね20万台強。これに国内専用品が載ることになれば、これらで国内向けの開発費用は回収しなければならない一方、従来品はそれが搭載される海外向けだけで開発費用を回収しなければならない。つまり360万台ではなくなるのだ。
24億を360万台ではなく300万台で回収しなければならなくなると、1台当り800円となり133円の値上がりとなる。海外向けには何も手を付けないのに、国内専用品を作ったが故に値上がりする理屈だ。これが影響。
但し、ここまでは説明を単純化するための例であって、実際はもっと複雑である。
133円値上げすれば1台当りのコストは上がり、販売価格を変えなければ会社にとっての利益は下がる。利益を守るため車両価格を上げるという手もある。価格は変えずに回収期間を3年より伸ばすことも出来る。どの手をとっても、とったなりの影響はあるものだ。会社の利益が減れば社内への影響、車両の価格に転嫁すれば販売台数への影響、回収期間を伸ばせば新商品開発のスケジュールに影響、という具合だ。
これらのパズルのピースを明らかにし、どう組み上げるか錬るのが事業計画である。
今回の国産化にあたって、CMUは極力現在の設計のままで国産ナビを載せたいと考えていた意図は、国内向け製品だけに留まらず海外向けを含めたマツダコネクト事業全体の影響を、極力小さくしたいという意図があってのことだった。しかしながらA社からアドバイスがあった通り、車両の進行方向の傾きをなんらかの方法でナビエンジンに提供出来なければ、抜本的な解決は難しいかもしれない。小峰は原価管理部門の助けを借りながら、CMUへの変更無し、軽微な変更、全くの国内専用といういくつかのパターンを作ってはパズルを組み立て、、、というのを繰り返した。
慌ただしい一ヶ月があっという間に過ぎ、いよいよ
2014年3月の
役員会当日。
予定通りアクセラ発売後3ヶ月の市場評価が報告された。スタイル、走り、燃費とどれも高評価を得ていた。市場には遅れていたディーゼルモデルも投入され、オーナーのみならず専門家からも絶賛に近い。故に搭載されたコネクティビティシステムの不評は非常に残念であった。2月に引き続いてマツダコネクトに関するこの一ヶ月の動きも報告されたが、2月下旬にユーザーズボイスに投稿されたとあるオーナーの
マツダコネクトに対する詳細な批判に対して、なんと
拍手が1,000件を超えるという珍事もあった。また販売店からはマツダコネクト自体の問題のみならず
「不安があってもコレしか選べない。他に選択肢が無いことが不満。」といった声や
「国産ナビが選べるなら、10万円以上の費用負担も辞さない」といった意見が多数寄せられたと報告があった。
要はこの不満が金で解決するなら払う用意はある、ということだ。
「
やれやれ、嫌われたものだな・・・」思わず役員の一人が呟く。
しかし明るい話題もあった。N社がCEO名のレターを受けて間もなく、技術者数名を来日させ、マツダに常駐して問題解決にあたりたいと申し出てきたばかりか、近日中に日本にオフィスを開設して技術スタッフを常駐させる体制を取るというのだ。お客様から指摘を受けた、必ずしも不具合とは言えないもの(例えば自車マークの位置)などについても積極的に修正に応じてくれる姿勢を見せており、日本人にとってのユーザビリティ向上という点でも、今後は期待が出来そうだった。
そして問題の国産ナビ開発であるが、開発期間は6ヶ月から8ヶ月、評価期間に1~2ヶ月を要し市場投入は最速でも11月以降との見通しが示された。流石に1ヶ月では不確定要素のある技術課題に目途を付けるには至らず、一部「やってみなければわからない」という点をスケジュールに転嫁した結果である。開発コスト、並びにマツダコネクト事業全体の計画変更案も示され、今後のビジネスへの影響が概ね明らかになった。
役員A:市場投入時期は今年の11月以降か。。。
役員B:マツダコネクトを投入してからほぼ1年後ということになりますな。キリがイイといえばイイのか。。。
役員C:国産ナビ開発の影響はマツダコネクトだけを見れば決して小さくは無いが、マツダの事業全体への影響と言う意味では軽微です。むしろ今の状況を放置して、マツダコネクトを理由に商品の販売に影響が及ぶ方を心配すべきだ。
役員たちの意見がひとしきり出たのを見計らって、CEOが口を開いた。
CEO:私は国産ナビの開発にGOサインを出したいと思いますが、皆さんは如何でしょう。アクセラのレポートの通り、我々の製品は只一点を除いて大変高く評価されている。パートナーのN社にも是非頑張ってお客様の信頼を勝ち取って欲しいと思うが、事ここに至っては、我々自身もお客様の信頼を自ら勝ち取るべく努力する必要があるのではないか?開発費は確かに想定していなかったもので、(3月下旬の)今となっては来年度の予算を修正することも出来ませんが、お客様に喜んで貰える製品を送り出せれば、いつかは回収も可能です。
出席者からは同意の声が上がり、異論は出なかった。
正式に日本市場向けの国産ナビ開発が承認された瞬間である。但し、いくつかの指示が加えられた。如何せん1ヶ月でまとめた開発計画は粗さが目立った。これを速やかに確実性の高いレベルにすること。スケジュールとコストについても同様である。技術的課題については最優先で解決に努め、目途が立ち次第、報告するようにも指示があった。この点が国産ナビがお客様の期待に応えられるか、ソフトの製造元が変わるだけでどちらも大差が無いモノになるかの境目であると認識されたからだ。役員としても注目せざるを得ない。また、暫くはこの開発計画は極秘とされた。
一方で国産ナビの完成が年末近くになる見通しであることから、現状のマツダコネクトの品質改善も鋭意進めることも改めて確認された。
そしてマツダとして、マツダコネクトの品質に課題があったことを正式に認め、誠意を持って改善していく姿勢を示す意味で、近日中にリコール、もしくはサービスキャンペーンを実施するように指示された。N社の協力を最大限に仰ぎ、現在判明している問題は可能な限り解決してお客様に提供するのだ。時期については準備が出来次第で良い。
マツダコネクトの問題がリコールに該当するかは判るものが居なかったため、この場では後日、役所に確認した上で然るべく対応することに決まった。結果的にサービスキャンペーンとなり、N社の修正作業の完了を待っての結果、5月中旬の実施となった。
N社製のナビが日本のユーザーに受け入れられるレベルになるかはこの場の誰にもわからなかった。もし大きな不満が出ないレベルになれば、国産ナビの開発は無駄になるかもしれない。しかしその場合、国産ナビは上位バージョンという位置付けでパンフレットに並べても良い、という決断があった。前回、そして今回の報告からN社のナビが短期間で満足のいくレベルに到達すると考えるのは楽観的過ぎるという判断も勿論ある。
ここまでは、ほぼ松本の思惑通りの展開になった。誤算と言うか予想外だったのは国産ナビの開発期間である。彼の思惑より一ヶ月早く検討に着手でき、もう少し早く市場投入が出来るかも?と期待したのだが、結局アクセラ発売からまるまる一年が経過してしまうことになる。もっともN社に日本市場参入の機会を提供するという会社間の合意は果たしたことにはなる。マツダにとっては勿論、代償が大きかったと言わざるを得ないが、市場の、お客様の声に勝るものはない。兎に角、国産ナビ開発が正式に認められたことで密かに安堵した松本だったが、ある役員のひと言、そしてそれに続く議論の末に言い渡された「宿題」は想定外のものだった。
役員A:ところで、デミオはどうしましょう?