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2022年07月06日 イイね!

リターンライダー・リベンジ(3)

リターンライダー・リベンジ(3)リターン・ライダーになった経緯を書いておきます。

発端はFRになると噂のあった次期型MAZDA6の登場が不透明と判明したこと。
現役最後の新車購入を機に、ブログに加えてYouTubeでも始めてみようか、とか色々妄想していたことが一瞬で白紙になりました。

さてどーしてものか?(^_^;)

と考えていたときに相前後して、お友達のFLAT6さんがニューマシンを手に入れた、というブログを拝読して「そうか!単車という手もあるか」と思いまして。

ただ、FLAT6さんの件は飽くまでもキッカケであって「お友達が買ったからボクも」なんていう単純な話ではありません(苦笑)。

実はボクにとって単車は、人生の転機となったちょっと深い話がありまして。。。(^^;)

ボクが乗り物酔いが酷い子供だったことは過去にブログでカミングアウトしていますが、そんなボクはずっと「クルマを運転するようになれば酔わなくなる」と言われ続けて育ちました。
逆に言えば、それまでのボクの生活圏は自ずと限られていて、旅行は言うに及ばず、とにかく遠くに行ったことがほとんどありませんでした。

そんなボクが人生で初めて、移動の自由を手に入れたのがバイクだったのです。

ただ、その背景が些か複雑でして、、、A^_^;)

先ずボクは高校生になったとき、単車に全く興味がありませんでした
なぜクルマの前にバイクとならなかったのかは、今振り返ってみても記憶が定かではないのですが、当時の3ない運動などバイクに乗る事への社会的な逆風?そして両親の反対??など、とにかく
「16歳になったら二輪車の免許を取ろう!」
などという考えは全く無く、バイクはボクには無縁の存在だったのです。

じゃぁなんでバイクに目覚めちゃったのか?といえば、それは親父がなぜか「16歳になったら原付免許を取れ」と言い、ボクに原付免許を取らせたからです。

なぜ自動二輪に反対していた親父がボクに原付免許を取らせたのか?は未だに不明wですが、親父に命ぜられるままww免許を取ったとき、なぜかウチにはコイツがありまして、、、

当時"ラッタッタ"の愛称で親しまれたホンダ・ロードパルL

ギヤもタコメーターも無く、速度も55km/hくらいしか出ませんでしたので、まぁ自転車の代わりというか、今で云うところの「電動アシスト付き自転車」みたいなもの、かもしれません。そもそも"原付"って正式には"動機自転車"ですから、親父はコレは飽くまで原付であって「バイクじゃない」と考えていたのかもしれませんが、ボクにとっては自分で漕がずとも走る、立派なバイクです。

一度、これに乗っちまって移動の自由を得てしまったからには、もう止まりません(笑)。

高校2年の夏休みにアルバイトをしてコレを買いました。

当時の原付には7.2馬力自主規制なんてのがありましたが90km/hくらいは出ます。法定速度が30km/hである点を除けば、自動二輪と大差はありません。

で、高速道路に乗れる250ccを手に入れられれば、四輪の免許取得を待たずして何処にでも行ける、と考えて自動二輪の免許を取り250ccを買おうと考えたところで、親父と真っ向から衝突することになりました。

細かい話は省略しますが、親父はとにかく「自動二輪はダメ」の一点張り。ボクは「原付が良くて自動二輪がダメな理屈が理解出来ん」と平行線で、大学入試を盾にボクが押し切って中型免許の取得と250ccのコレを買ったワケですが、、、

以降、親父とは晩年までずっと冷戦状態となりました。

実はこの一件があるまで、ボクは親父に逆らったことが一度も無かったのです。
ウチは昭和一桁の親父が四人兄弟の長男で、まぁ古い家系というか、家長・長兄が絶対、みたいな家でして、とにかく父親が言う事は絶対であり、幼少の頃は至極当たり前に「父親の言う事は常に、全て正しい」で育ってきましたし、実際に尊敬もしてたと思います。

つまり親父が間違った事、理屈に合わない事を言ったりやったりする事など"有り得ない”のが当然、、、として育ってきた十代後半のボクにとって、当時の親父の「俺が駄目というのだからダメ」という理不尽な主張は大変なショックで、正にそれまでの常識が覆ったような事件でした。

その後、成人して社会人となり、子供の頃には見えていなかったことが色々と見えてくると、ウチの親父は立派どころか、どちらかというとろくでなし親父の方に近いことが解って来るのですが、それはもう少し後の話。

大学に無事、現役合格してバイクライフを満喫する筈が、大学2年生の冬に網膜剥離を患い、進行度合いから外科手術をしなければ失明と宣告され、冬休み明けの1月まるまる入院・手術になると同時に留年の危機を経験します。それはなんとか回避はできたものの、ずっと二輪の関連して冷戦状態だった両親の、特に母親に「目の病気はバイクのせい」「このまま乗りづ付けたら失明するかも」と大泣きされましてね(^_^;)。

頭ごなしに上から目線で「降りろ!」には「嫌だ」と反抗してきたボクですが、「お願いだから降りて」と泣かれたのは初めてで、しかも入院・手術代などは親に金銭的な負担と心労を強いた事実は動かせません。

そこで愛車の二輪車を売って、売却して得たお金をそっくりそのまま母親に渡してバイクを降りたワケですが、この時のボクは、冷戦状態だった両親に対して負い目を持ったままであることが嫌だったのです。要は
「反対されていたバイクは降りた。入院費はバイクを売った金で返した。これで全部チャラね。後はグダグダ文句を言うなょ。」
というワケ。(^_^;)

ってな経緯だったので、単純に16歳になったからバイクに乗って、18歳になって四輪免許を取ったからバイクは引退して四輪に転向した、みたいな単純な話じゃなかったんですねぇ。。。

因みに四輪の免許を取ったのは20歳になった後で、18歳になって直ぐ取らなかったのは、まぁ親に対する反抗の一環でしたね(;^<>^;)。

以降、社会人になって四輪車を買い、以降はずっと四輪一筋で来たワケですが、二輪への未練はあったもののずっとリターンしなかったのには明確な理由がありました。

ボクにとってクルマというのは移動の自由を与えてくれるちょっと特別な存在で、その思い入れは単に所有するだけに留まらず「然るべきレベルのスキルを持つこと」が切っても切り離せない関係にあります。

まぁスポーツと一緒で「好き」なら「上手くなりたい」がセット、という話なのですが、リターンしなかった理由は単純明快で、四輪の運転すら極められないのに、二輪車買ってどーするの!?(苦笑)

で、ひょんなキッカケから2006年に一瞬、二輪車を購入はしてみたものの、案の定、ほとんど乗らずに手放してしまいました(^_^;)。

で、今回です。

リターンライダー・リベンジに踏み切った理由は、別にコレに乗りたかったワケでも何でもなくて、、、

然るべきレベルのライディング・スキルを身に付ける、これがメインの目的です。

これにはFLAT6さんの購入記に触発されたというか「それがあった」と気付かせて貰ったというのもありますが、四輪のドライビング・スキルは然るべきレベルに達した、という背景があります。

そして当然、二輪のライディング・スキルの目標も、四輪のソレ相当ということになるのですが、、、

一体、どんな勝算があるのか?

その辺が正に、次回以降のネタになりますねww
Posted at 2022/09/27 17:34:41 | コメント(3) | トラックバック(0) | バイク | 日記

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