「硫黄島からの手紙」の映画は観たと思います!
私も、以前に観ていましたが、それから硫黄島の戦いの真実を知るにつけ
その戦いの重みが増しております。
本土への空襲を少しでも遅らせる為に死守するわけですが
アメリカ軍にとっても、実はありえない決死の攻撃になっていたのです❗️
世界の戦史上、最も苛酷な戦闘だとも言われているようです
”アメリカ軍は想定を遥かに上回る時間と死傷者を出すことになった。
ノルマンディ上陸作戦の戦傷死者数を3日で上回りアメリカ軍にとっても最激戦地であったことがわかる。数字上での人的損害ではアメリカ軍のほうが多く、
戦争末期の状態では珍しいケースであった。”
アメリカ軍は三日間、駆逐艦やB29爆撃機により、盲めっぽう砲弾数は実に数十万発に及び島中いたるところに落下した。
こうした海と空からの交互の攻撃は苛烈をきわめ、海岸線の砂浜はほじくりされ、跡形もなく吹き飛んだ。摺山に至っては、頂上の4分の1ほどが吹き飛んで外形すら変わり果ててしまった。
これから上陸し、5日間、いやもっと早く制圧する気分でいたのが、実に36日間を要する
アメリカ軍もタラワ、ペリリュー、サイパンで思わぬ損害が出ていたので、硫黄島の攻撃は圧倒的な戦力でせまります!
硫黄島を取り囲んでいるのは、全てアメリカの艦艇ww
硫黄島には、戦闘機も軍艦もなく栗林中将は全長28キロの洞窟を掘ってゲリラ戦で挑みました。
これは、すでにペリリュー島の戦いで有効性が実証されていた。
集中砲火後の4日目の早朝、100艘ほどの上陸用舟艇の第一波が、横一線にならんでわずか幅4キロほどの砂浜目指して殺到して来た。海兵隊のある兵士は、
もはや生存者はほとんどいないかもしれないと思ったという。また俺たちの仕事のために少しはジャップを残して置いてもらいたいものだと豪語した兵士もいた。事実、それほどまでに凄まじい砲火だったのだ。
映画でも表現されていますが、栗林中将の作戦で上陸時には攻撃せず、浜辺にアメリカ兵が一杯になった時をみはらかって集中砲火を浴びせます!
”突如、上空から怪鳥の鳴くような音が幾つも聞こえて来たと思った次の瞬間、大地を覆すような大音響がして、10人ほどの米軍兵士がバラバラと一固まりになって空中に吹き上げられた。それと同時に前方の無数の岩陰から金属的な破裂音がしてぱっぱっぱっと数十の砂煙りが立ち上った。日本軍の重機関銃が一斉に火を吹いたのだ。あっと言う間に5、6名の兵士がなぎ倒された。全員即死だった。
それは、まるで嵐が来たようであった。凄まじい機関銃と爆弾でアメリカ軍はたちまち、大パニックに陥った。一体全体何が起きたのかわからなかった。頭上ではひっきりなしに、ヒィーンという金属音を響かせて何かが降って来る。それは、彼らがこれまで経験したこともないような攻撃だった。降って来る爆弾は、見たこともないような巨大な爆弾で、地面に落ちるとズシーンと腹の底に応えるような地響きがした。その度に、ものすごい爆風が起こり、兵士と言わず物資と言わずそこら中のものすべてが空中高く吹き飛ばされるのである。悲鳴を上げようが、逃げる場所などどこにもなく、ところ構わず落ちる巨弾にたちまち海岸は死体で埋め尽くされた。海水は真っ赤に染まり、もげた手足、胴体の一部、内臓らしきものが砂浜に打ち上げられている。こうして、上陸後数時間も経たないうちに千名ほどが死傷し阿鼻叫喚の地獄絵図を現出した。”
第1戦は、日本軍栗林中将の作戦勝ちと言うべきものであった
”上陸したアメリカ軍は、その後も目に見えない相手と戦わねばならなかった。上陸した第一日目の損害は死傷者数2400名ほどにもなった。これは
ノルマンジー上陸作戦時における死傷者数をはるかに上回るものである。この先どうなるのか誰にもわからない。日本軍が一体どこにいて、何名いるのかすらわからなかった。突然、どこかで銃声がしたかと思うと、先頭を行く相棒が頭を撃ち抜かれてバッタリ倒れるのである。会話を交わしたばかりの仲間が、振り返ると息絶えていることも珍しくなかった。
アメリカ軍はすでに3万名の海兵隊を上陸させていたが、そのほとんどは釘づけ状態であった。夜になると、アメリカ兵は見えない日本兵におびえ、照明弾を絶えず打ち上げ、何か物音がする度にヒステリックになって銃を盲めっぽう乱射していた”
”アメリカ軍の受けた損害もまたひどいものだった。海兵隊第5師団第2大隊など死傷率が100パーセントだった。ある中隊では中隊長が次々と戦死してしまい、その都度7人も交替したほどであった。また、ある小隊では小隊長が5人も代わった。4人目の曹長が戦死すると5人目は少尉が代行した。しかしその少尉もまもなくなく死んでしまった。6人目は必要なかった。なぜならば、その小隊は全滅したからである。”
また、
特攻も本土から襲撃、硫黄島の兵士をとても勇気づけたでしょうね
”スミス中将は目に涙を一杯溜めていた。そして、一言つぶやくように言った。
「ここが一番きつかったな・・・」
今日、
栗林忠道は最有能な名将として敵国であるアメリカからも絶賛されている。物資、装備全てに圧倒的で数でも遥かに上回る三倍以上のアメリカの海兵隊を向こうに回し、最後まで互角以上に渡り合い、一ヶ月以上もこの島に釘づけにしたのであった。これは栗林自身も想像できぬほどの善戦であった。”
”2万1千名のうち、2万名が死に、捕虜となったのはわずか9百名足らずであった。一方、上陸したアメリカ軍は、
日本側を上回る損害を出した。死傷者数は約2万8千名(戦死は7千名)にも及び、これはアメリカ海兵隊史上最大の損害であった。
負傷して病院に収容されたアメリカ兵の多くは、戦闘が終了した後も手当てのかいなく死亡した。
これは日本軍の超重砲やロケット弾がいかに彼らに重大な致命傷を与えたかを証明するものであった。
硫黄島の戦闘が終わった後、アメリカ軍は、今後、日本を攻撃する進路上に彼のような指揮官がいないことをひたすら祈ったという。”
硫黄島の戦いに参加した海兵隊員は、アメリカ兵に今も最高の尊敬を受けているそうである
アメリカ兵は、硫黄島の戦いがいかに凄まじかったを知っている
”戦後、硫黄島には元兵士やその遺族たちによって、永久に後世に伝えるための記念碑が建立された。1985年には、元日米兵士による最初の戦没者合同慰霊祭も行われている。日米双方の元兵士たちは複雑な心境で、40年前に殺し合ったかつての敵と対面することになった。彼らは摺鉢山のふもとにある砂丘の上で再会した。そこはかつて40年前にアメリカ海兵隊が上陸した砂浜であった。
海兵隊の元兵士は、やって来るまで疑心暗疑の連続だった。あの阿修羅のような日本人と本当に心の交流が成り立つのかとさえ思った。しかし、会ってみると、日本人も同様に心に深い傷を負ってこれまで生きて来たことを知った。言葉など通じなくても、目を見るだけで相手の心が分かるのである。その元兵士は談話しているうちに、急に涙がこみ上げて来るのを止めることが出来なかった。40年前、私はこの島にジャップを殺すためにやって来た。今は殺し合ったことを心から悔やんでいる。この瞬間、私の日本人に対する恨みは消えてなくなった。彼は涙を拭うとかつての敵兵だった日本人と無言で肩を抱き合った。”
”現在、硫黄島の戦没者で日本に帰ることの出来た遺骨は6千柱ほど、残る1万4千柱は今なお硫黄島のどこかの砂に埋もれたままである。”
硫黄島の慰霊碑
この文字は、岸信介、ご存知のとおり安倍晋三の母方の祖父
”硫黄島の戦いは、集団の勇気および個人の勇気が問われたランドマーク(画期的事件)であった!
その戦いは、人類がおそらく二度と目撃するとは思えないほど強烈なものであった”
美輪さんは、人生の苦労を乗り越えた方だと思っていたが
この人は、根っから女なんだわ〜
自分が生き延びる事が中心の考え、それをサヨクが利用している
"太平洋戦争について「(アメリカとは)財力も何も全然違った。向こうはバズーカ砲だとか原爆を作っていたんです。日本は竹槍です。なのに一億玉砕だとか(軍の人間は)勝手なことばかり言ってね。愚かな参謀本部の連中のために、日本人が日本人を殺したようなもの。(兵士は)妻や子供や自分の恋人に会いたいと思いながらも亡くなっていった」と語った美輪。
「大和の国とは大いなる和の国と書きますでしょう。戦うということはもうそれだけで日本ではなくなるということなんです。(太平洋戦争が激化して)まず水商売は禁止になりまして、音楽もクラシック、シャンソン、ジャズも全部ダメって。軍歌しか歌っちゃならないって。きれいな着物も警察で脱がされてもんぺに着替えさせられてね…。そういう時代に突入していってしまった」と自身の記憶を振り返り、「軍部には人格者もいましたけど、全く出世できない。サディストでこんな悪いのがというのに限って出世したりする。そういうものを間近で見てきたので軍国主義は憎むべきものだと思っています」としみじみ。"
日本兵が戦ってくれたから、今の日本があるとわからないだね!
誰だって相手の生死までかけて戦いたくはない
軍部の中枢を批判しているのかもしれないけれど
”「きな臭くなって『徴兵制度を』なんて。それだけはやめさせないと。徴兵制度って言うんだったら自分たちが行けばいいんです。自分たちが行くと思っていないからあんなこと言えるんです。だったら、言い出しっぺの責任をとって、自分たちの奥さんも共同責任者として慰安婦としてでも連れて行けばいいんです」と話し”
誰が徴兵制と言っているの?
慰安婦ww
もうろくしてきたんだね!
凄まじい戦いをしたからこそ、互いを尊敬しあえている
世界が忘れてはいけない島がある
監督のクリント・イーストウッドは、アメリカのテレビ番組において『父親たちの星条旗』で、映画をとってもう一人の英雄がいる事に気づいたと
それは、
「日本兵」だと語ったとされる
だらか、二つの映画になったのか
悲惨の歴史であるけれど、それは世界の有史上、人類がおそらく二度と目撃するとは思えないほど強烈なランドマーク
そこで、
日本人が立役者である事に感銘を受ける
この硫黄島の戦いを忘れる事で、また戦争が起きるのでないでしょうか
戦争の真実を知る事が、戦争を食い止める事
誤摩化しているから、おかしい話になってくるのではないか!
p.s.
プライムVIDEOで、アメリカ版の「父親たちの星条旗」も観れる
それは、勝者とかヒーローの映画ではないようだ、出だしを観ると
やはり、硫黄島の戦いは、アメリカ軍にとっても死闘だったようだ
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2016/10/31 21:18:16