
片山敬済さんの本は何度も読み返して
オラのバイクの師匠‼️
20代、30代、40代の時に、バイクは持ち続けてはいたんだけど、長い間車検を切らしていたりして
違うバイクに乗り換えてリターンを数回繰り返す度に読み直して感動してた
そして50代の今また、リターン(⌒-⌒; )
今度は偶然に数年前から、片山敬済さんがYouTubeでライテクなどをアップしているのを発見❗️
毎日ハマって見てます♪
片山敬済さんは、日本人初の350cc世界GPの年間チャンピオンライダーなわけですが
その片山敬済さんが師匠と呼んでいるのが
同じ片山で〜
片山義美さん( ̄ェ ̄;)
敬済さんが日本人初のGPチャンピオンだが、その敬済さんも動画言っているが、日本人初の世界GPチャンピオンは片山義美さんのはずだった
1967年スズキがヨーロッパでハイク販売を推進するために、もう一人のスズキ外人ライダーに年間チャンピオンを譲った
その方が、スズキのイメージアップになるからww
片山敬済さんは、片山義美さんの神戸木の実レーシングに入門している
そして、翌年は好きに走って良いと言われていたが、スズキ自体がGPを撤退して
義美さんのバイクでの世界GP挑戦は突如終わった
片山義美さんは、二輪と同時に四輪で同時にマツダと二重契約していた
後輩を育てながら、自身は四輪で活躍する
私は初めて知ったばかりだが、当時ツーリングカーの王者だった日産スカイラインGT-Rをマツダが発売したばかりのロータリーエンジンで片山義美さんはGT-Rを圧倒していく
ここら辺は、皆さんやミン友さんがはるかに詳しいだろう
二輪では、敬済さんより先に片山義美さんの神戸木の実レーシングで先輩の金谷秀夫さんが世界GPで活躍する
金谷さんは1972年世界GP250ccクラスに初参戦で初優勝(; ̄ェ ̄)
年間ランキングもトップであったのに、ヤマハのサポートライダーであった事から後半出場できず、義美さんと同じような大人の事情で帰国を余儀なくされてしまう
またして、日本人初の世界GP年間チャンピオン誕生は、日本人のお行儀の良さからか生まれなかった
その後も、世界GP年間チャンピオンのチャンスはあったが、同じく後半走ることなくランニングトップで帰国の憂き目に
この二人がいての、片山敬済さんが1977年日本出身者として初の世界GPチャンピオンになれたと自身が言っている
日本出身者( ̄ェ ̄;)
これも今回初めて知ったのだが、片山敬済は在日韓国人(本名 方敬済)で国籍は韓国らしい
矢沢永吉や前田日明と同じく、日本の土壌プラス韓国人の強引さで世界チャンピオンになった
それで片山敬済さんに対する尊敬の気持ちは変わらないが、なるほどと合点もいった
日本人は韓国人の強引さを持てば、あらゆる分野でもっと成績が残せる、残せていた
でもそれがいいのかは、純日本人としては微妙(⌒-⌒; )
敬済さんのバイクの乗り方指導は、
速くではなく楽しく、バイクは自分が楽しいと思う乗り方が出来る事を目指す
決して少しでも速く走る事が先ではない
しかし、安心して楽しんで走る事で速く走る
レースでなく公道だからだろうが、この二輪指導は心から賛同します‼️
Posted at 2022/07/24 22:33:56 | |
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