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ホワイトコウキのブログ一覧

2017年01月28日 イイね!

八紘一宇(はっこういちう)

八紘一宇(はっこういちう)
近代史がやっと少し、腑に落ちてきたホワイトコウキですσ^_^;

大戦シリーズは思いの外に多めのイイねも頂き♪
連載する活力にさせて頂いております\(//∇//)\


前回のブログで、陛下は原子爆弾という人類の文明を破壊しうる戦いを終わらせたのであって、日本が本当の意味で負けたのではないと投稿させてもらった



陛下は米の原爆の使用に対し、「人類の文明をも滅亡する」と終戦を御聖断された。

終戦の詔勅
~~~~~~~
敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ
頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所
眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ
尚 交戦ヲ継続セムカ
終二我力民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス
延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ
朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ
皇祖皇宗ノ神霊二謝セムヤ
~~~~~~~

~~~~~~~~~
敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。
この上、なお交戦を続けるであろうか。
ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。
そのようになったならば、朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。
~~~~~~~~~

そして、最後の「朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。」

これが、どうも日本人だけとも思えない


これが、映画「永遠のゼロ」でも目にした「八紘一宇」の旗を掲げていた意味と繋がる

八紘一宇(はっこういちう)とは、『日本書紀』巻第三神武天皇の条に書かれた「掩八紘而爲宇」の文言を戦前の大正期に日蓮主義者の田中智學が国体研究に際して使用し、縮約した語。八紘為宇(はっこういう)ともいう。大意は「天地四方八方の果てにいたるまで、この地球上に生存する全ての民族が、あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすこと」という意味である 。


「上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎」
(上は則ち乾霊の国を授けたまいし徳に答え、下は則ち皇孫の正を養うの心を弘め、然る後、六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為さん事、亦可からずや。)

この意味について、記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀っている橿原神宮は以下のように説明をしている。

神武天皇の「八紘一宇」の御勅令の真の意味は、天地四方八方の果てにいたるまで、この地球上に生存する全ての民族が、あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすこと、つまり世界平和の理想を掲げたものなのです。昭和天皇が歌に「天地の神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」とお詠みになっていますが、この御心も「八紘一宇」の精神であります。


この「八紘一宇」旗のもと、この世界で原子爆弾を使用して人類の文明が破壊されれば

皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にどうあやまればよいか

出来るわけがない❗️

交戦ヲ継続セムカ

この戦争を止めようと陛下がおっしゃり、日本は無条件降伏を受け入れた

日本人の為に、世界の為、アメリカの為でも❓


先日までの抜釘入院中に、アマゾンのプライムビデオで戦中、戦後を題材にした作品「大日本帝国」や「肉体の門」を観た

ビデオを観て、当時の日本人の苦悩を思うと涙が流れてくるものであるが、と同時に日本人の高い精神性に驚く

日本の兵隊は、一番下の兵隊でも文字が読め、詩も書くほどの教養があったが、アメリカの下の兵隊は驚く事にろくに字も読めなかったそう


第二次世界対戦の意義を日本人のほとんどの兵隊は意識して戦ったが、アメリカ人のほとんどは意義など何も考えずに、ただ駆り立てられた

ハリウッド映画には、命をかえりみぬヒーローが立ち向かって、地球を救うパターンがあるが

例えば、ハゲマゲドン、アルマゲドン(⌒-⌒; )



もちろんアメリカ人にも、命を投げ打って戦ったヒーローもいただろうが

やはり、自らの命を投げ打って、国難に、そして人類の為に捧げた

映画ではない、現実に


それは、特攻だろう



その数6418人



アルマゲドンの14人とか(´・ω・`)
単なる娯楽映画だね〜

そして、映画のように、人類の存続をかけて圧倒的な武力の差を前に、出来る事の最大の効果の為に、我が身を捨てて突入していった英雄が特攻



これらを考え、私はアメリカに負けたと言う気持ちが霧散しました!

アメリカ人は原子爆弾と言う人類として使用してはならない、人類を滅亡に至す、宇宙からの侵略の如きBOMBを落とし、そんな戦争を止める為に日本人は、天皇陛下に従い苦渋の無条件降伏をした

日本人は、本土で総玉砕の心構えも持っていただろう

どちらの方が、人として優っているだろうか❓


そんな日本人が、アメリカ人や世界の人々に、偉ぶる事は元よりすべからざるであるが、卑屈になることは何一つない❗️

第二次世界対戦と言う悲劇の中で、日本人が人間としての戦いを貫き通したので、この世界が今のように

まだ希望を持って生きていける世の中になっていると言って過言ではなく

オラには、日本人が第二次世界対戦を戦い、世界の最期の希望の光をともしび続けたとしか思えない



昭和天皇による終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書)が、とても意味深く、生き生きと輝いてきた!



堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
Posted at 2017/02/04 01:04:53 | コメント(4) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2017年01月26日 イイね!

日本は負けていなかった深い意味!

日本は負けていなかった深い意味!皆さんからのアパに関する話でとても興味深いものがあるので、、、

まず、アパホテルの予約サイトで、アクセスが殺到してサーバがダウンしネット予約出来なくなった話し


シナからはネット予約が出来なくなってアクセス数が減ったはずなのに変だね

シナ以外からの人気が急上昇してサイトを見に来てる?

日本人を含め、海外からもそれこそアパ人気、予約殺到でダウンした(^^;)


しかし、これはシナによるアパホテルへのサイバー攻撃と考えるのが普通だろうね(⌒-⌒; )


自分達も白状してる❗️

それが、南京事件と同じ構図になってるww

自分達がサイバー攻撃して、なんとアパホテルの書籍問題を報道したシナ人記者がイタズラ電話などで嫌がらせを受けていると(; ̄ェ ̄)

シナ人が被害だ〜(−_−;)



動画を投稿した人ではないんだね

報道したシナ人記者って誰

電話番号は誰が知ってるの?


シナ人同士の対立かね( ・∇・)

嘘つくならもっと上手くつけって言いたくなる低レベルww


更には、アパが「シナ人の予約は受けない」と世界へこれまた、ねじ曲げ報道発信❗️



何故、チョンも挟まってくるかね( ・∇・)

これは、サーバーがダウンしてサイトから予約が出来ない、中国からも予約が出来ないと言っている

その発言の模様はこちら




ここで、アパの元谷会長は、このような会で塾長もしているんですね

そして、今回の本題はアパの懸賞論文、平成23(2011)年の「真の近現代史観懸賞論文」の第4回で、社会人部門で優秀賞をとった、発明家ドクター中松の名前で有名な中松義郎博士の論文です。

読んだ方が大体だと思いますが(⌒-⌒; )

アパグループの懸賞論文優秀賞(社会人部門)
題名【日本は負けていない】
  ~超経験者しか知らない真実~
著者 中松義郎博士


(前半より)

昭和20年8月15日正午、その日は天文台によると33度で特に暑かった。

突然「第二種軍装(夏用麻製仕立)の正装にて至急整列すべし」との館内モールス信号で校庭に集合し、直立不動で汗を流しながら待つ我々帝国海軍機関学校最後の海機58期生(昭和20年に海軍兵学校と合併)は、最後の帝国海軍将校生徒として整列し、ラジオから流れる玉音放送を聞いた。

海軍機関学校の入学試験の体格検査で75センチだった胸囲が、入校後の猛訓練と猛鍛錬で僅か3ケ月で104センチになった巨大な胸が歴史上初めての玉音放送に大きく高鳴った。

しかしラジオの雑音が多く、よく聞き取れない。
「本土決戦が近いので頑張るようにとの天皇陛下御自らの激励のお言葉」と全員が受け取った。

当時の日本人は全国民が「歴史上敗れたことがない神国日本は最後には必ず勝つ」と信じており、全国民誰一人として日本が負けるなどと考える者はいなかった。特に軍は全軍士気旺盛だった。

現に私のいた舞鶴軍港は二十四時間軍艦を造るリベット音が絶えず、食糧、武器、弾薬が豊富で、いつでも敵を迎え撃つ準備が連日連夜進められていた。

原爆研究については陸軍が東京帝大の仁科博士と理研に開発を依頼した「二号研究」(海軍は京都帝大と「F研究」)として行い、濃縮ウランは海軍が潜水艦でドイツから運ぶ手配がされ、出来た原爆の第一弾をハワイに落とす作戦を杉山参謀総長は陛下に上奏したが、
陛下は「原爆という非道なものは使うべきでない。 特にハワ イには日本人が多いので却下する。」となり杉山参謀総長は解任され、東條首相が参謀総長を兼務することになった経過がある。

この様に非人道的爆弾と陛下が認識されていたものを日本に落とされたのだから、陛下の衝撃は大きく終戦する一つのきっかけになったと思われる。

しかし杉山参謀総長は、原爆開発を継続したのだ。
軍人は戦争に勝つために打てる手を全て打とうとする。

しかしそれは陛下の御意向に反しているので、原爆を造って勝っても、原爆を造らずに敵に原爆を使われて負けても、いずれの場合にも杉山参謀総長の責任なので切腹すると誓い終戦直後に切腹した。

元来日本は武士道を基に戦争を行ってきたのである。

陛下は米の原爆に対し非道だと禁じた原爆で応じたのなら「人類の文明が滅亡する」と終戦を御聖断された。

米が原爆を落とせば日本もこれに応じて米に原爆を落とす。
このことによって日米の多数の人が死に、この原爆戦争が世界に及び世界中の人が死ぬ。

これを防ぐために米が日本に原爆を落とした時点で終戦にされたのであって、日本が原爆を落とされたから、または負けたので終戦にしたのではない。
日本は負けていないのに終戦したのである。

これを文章にしたのが終戦の詔勅、
~~~~~~~
敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ
頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所
眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ
尚 交戦ヲ継続セムカ
終二我力民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス
延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ
朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ
皇祖皇宗ノ神霊二謝セムヤ
~~~~~~~
であって、終戦の理由は負けたからではない、という意味である事を読み取ってほしい。


確かに、終戦の詔勅を聴くと日本人のみならず、人類の目線でのお言葉



敵は原爆と言う、使ってはいけない爆弾を使った、対抗して日本も原爆を製作使用する事は、人類の文明を破壊すると

(中略、あとがきへ)

~~~~~~~~~
敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。
この上、なお交戦を続けるであろうか。
ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。
そのようになったならば、朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。
~~~~~~~~~

この一文に込められたメッセージは、たいへん重要です。

「この上、なお交戦を続けるであろうか」
という一文には、原爆に対する報復措置としての米国への日本の原爆投下をする、というメッセージが込められている。

そうなれば、戦いには勝つかもしれないが、「朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。」と陛下は述べられているのです。

国家間の戦争に勝つということは、どういうことか。
世界的名著である、クラウヴィッツの「戦争論」によれば、戦争とは、「国家の目的を達成するための究極の手段である」と述べられています。

日本が大東亜戦争で目的としたものは、「世界の平和と繁栄」です。
日本は、良心のために戦った。
だからこそハーグ陸戦条約を堅持し、日本は、一般市民に対する虐殺行為を一切やらずに戦い抜いたのです。

その日本が、一般市民を巻き込む原爆投下を行ったらどうなるか。
なるほど日本は戦いには勝つかもしれない。
けれど、陛下は、虐殺を行ったという事実を、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊に、如何にして謝れば良いのか、と述べられているのです。

そして日本は、主体的に戦いを終わらせたけれど、その日本が巻いた種によって、戦後、世界の被植民地諸国は、次々と独立を果たし、経済的繁栄を遂げるようになってきた。

考えてみると、それら諸国の国民は、すくなくとも戦前までの支配者側だった白人たちよりも、いまでははるかに良い暮らしをしています。
ちょうど、戦前なら、よほどの大金持ちか大臣でしか乗れなかった自動車に、いまでは主婦や働く人たちが、当時の車よりもはるかに安全性、居住性の良い車に乗っているのと同じように、です。

国家の行う戦争は、戦闘行為自体が目的ではありません。
目的のために戦争をするのです。
そしてその「目的を達成」した国家が、戦争に「勝利した」ことになる。

日本は、間違いなく、戦争に勝利したのです。



この戦争の後は、アジア、アフリカのほとんどの国が独立して行った

そして目的の「世界の平和と繁栄」を勝ち取った!


日本も原爆の開発をしていた事は確かなようで、そしてもし

日本も原爆の開発が成功して、アメリカのハワイなんかに落としたとしたら

そして、その後、戦争が終結したら日本は敗戦国の扱いを受けなかったかもしれない


しかしそうだったら良かっただろうか?

陛下の終戦の詔勅

人類ノ文明ヲモ破却


陛下は、人類の文明をも破壊する、爆心地一帯の一般人をも無差別に地獄へたたき落とす原爆を使用する戦いは終わらせようとハッキリ言っている!

日本軍のせいで、色々とアジアの一般人も巻き込んで死者も多数出たろうが

しかし、一般人を無差別に攻撃するような戦いは無かったと聞いている

日本軍は、あくまで戦闘員同士の戦争を行なった
そして、これから先は原爆の使用へと進むしかない日本となり

天皇陛下は終戦をご決断された!


そして、世界の文明が戦後残り、日本人は誇りをたもった!

もし、日本が原爆を作り、アメリカに落としていたら

更にもし、それで戦争に表向きも勝ったとしても

日本はもう、日本でなくなったのではないか?


アメリカは日本に勝ったと言う

でも、はたしてそうか?

アメリカは一般人への無差別な大空襲を行い、そして原爆を投下した


アメリカは原爆投下を正当化しているが、人類史上最低の事を行なった
これはアメリカ人の心の隅に消えない陰を落としているような気がする

戦中、戦後の日本人の苦難がお前にわかるかと怒られるだろうが


日本は原爆を使ってまで、勝ちを求めなくて良かったのだと思った
Posted at 2017/01/27 23:28:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2017年01月21日 イイね!

なぜ日本は世界から捏造されるのか❗️

なぜ日本は世界から捏造されるのか❗️入院中でタブレットだけなので思いついた事を書くだけだけど〜

そもそも私は、そのレベルですがww
タイトルが凄いから敷居を下げて(^^;)


トランプ大統領就任の賑わいの中、こちらのアパホテルが南京事件を否定した事も騒動になっていますね〜

否定って?そもそもウソの南京事件、しかも、むしろ日本軍は南京市民に歓迎される南京入城!



皆さんの方が、ご存知だと思いますが

そして、このウソの発端と言えるのが、嘘っぱちの東京裁判なんですね



つまり、どうしても日本を極悪非道の悪者にしなければならない!

もし、日本軍は歓迎されて南京入城した事実のままだと、中国共産党の悪行を被せれなくなるし

アメリカを筆頭に連合国が困る

日本が良い国だとなると、アメリカが悪くなる

日本は、アジアの植民地解放をしたわけだから現在から見ると、どう見ても日本の方が正しい❗️

でも、それを特に国際連合常任理事国が認めると言う事は、自分達が悪かったとなる

これは、いくら事実で正しくとも、心情として認められない


日米戦争を起こしたルーズベルト大統領の前の大統領は誰か?

オラは知らなかったけど、フーバー大統領

子供の頃に両親を亡くした苦労人
実務が有能で属望されて大統領なったけど、世界大恐慌が就任後に起こりアメリカ国民は深刻な経済不況に陥った

そして出てきたのが、ルーズベルト

ここで、日米戦争の運命が、また、ルーズベルト大統領の就任式の前にルーズベルト暗殺事件が発生し、隣にいたシカゴ市長が犠牲になった

もし、この時ルーズベルトが暗殺されていれば日米戦争は起こらなかった?

前任のフーバー大統領は、のちに厖大な回想録「裏切られた自由」を残している!

この回想録をフーバーは出版社へ1964年に原稿を渡して亡くなった
それから47年経ってから、アメリカだから出版された!?

日本について触れられている部分は多くないようであるが、これをもっと日本でも、更にはアメリカ国民が読まなければならない

それは、世界の自由を標榜するアメリカ国民自身が正しい歴史を取り戻さなければ、シナも世界も、そして日本も正しい歴史を見れない現実

そもそも、アメリカは日米戦争前は親共産主義が強かった

シナは、戦前からアメリカでキリスト教のYMCAの組織で、日本からシナを救えと大運動を行なっているそう

それも、アメリカを反日に傾倒させる大きな勢力になった


日米戦争開戦の真実も明らかに

フーバーによれば、日米戦争は「ルーズベルトという、たった一人の狂人が引き起こした」と糾弾している。

日本との戦争はオレンジプラン言われ、ルーズベルトは眠っていたオレンジプランを掘り起こした。

人種差別主義者のルーズベルトは、「日本人全員を、温和な南太平洋の原住民と強制的に交配させて、やる気が無い、無害な民族につくり替える計画をたてたい」との研究を命じた。

改訂されたオレンジプランで、「アメリカは"白色人種"の利益を代表し、英仏蘭と連合し"黄色人種"の日本とたたかう」と公文書に目的が書かれている。


アメリカは、ドイツを叩く為にソ連を支援し巨大化させ、今度はソ連が巨大化すると、ソ連を抑える為に冷戦時代に中国共産党を支援したそう

そして今、シナが巨大化して、日本に支援する?
ここがトランプ大統領にもなって、大きく変化する可能性が高い!


しかし、南京事件の嘘をアメリカが支持すると言う事は、東京裁判を始め、アメリカがこのフーバーも残した正しい歴史を認める事にもなる

それは現在、あり得るとは思えない現実


また、それこそ正しい歴史認識をうやむやにして、今、日本がシナと向き合う事は、アメリカの今までのご都合主義に踊らされる事になるので注意が必要


そこで、安倍首相の腹のうちは( ̄▽ ̄;)

和をもって尊しとなすだね(^^;)

正しくとも、お前たちの国が間違っていると言ったところで何も解決しない
世界の列強国と言うかね、日本を善とすれば悪になるもの
インドとかアジア諸国では、正当に日本を認めてくれている国もあるけど
世界に武力をもって影響力の強い国がもう全てが善悪で言えばね〜(⌒-⌒; )

当然、日本も正しい憲法にして強い国でなければならない!

しかし、それは武力で竹島を取り返そうとか、北方領土をとかの短絡な事ではない

安倍首相は、ロシアとの北方領土交渉でも、北方領土での両国の交流の中で解決を試みようとしているんですよね

対等な付き合いの中で、ロシアや韓国から自発的に領土の返還を得ようとしている

脅しても解決にはならない、安倍首相は世界を飛び回って各国と友好を深めて国力をつけて領土返還を成し遂げようとしている

でも、アメリカでは、レビジョニスト(歴史修正主義者)は批判の言葉で、キリスト教の社会では歴史を修正しようとすると宗教裁判にかけられたり
現にアメリカでは聖書の一字一句が絶対的で、進化論は認められてなくて教えていない事は有名

なので、日本の主張がいくら正しくとも、真正面から主張してもアメリカを始め、それに連なる列強諸国は頑なに反発せざるを得ない状況なんだよね

しかし、近年はだいぶ修正されてきたけど、私も南京大虐殺を教科書で見て数年前まで信じてた、授業では近代史までいかなくて聞いた覚えはないけど

せめて日本国内では捏造された、正しくない偏った教育はやめるべき
中韓がそれでアメリカをバックに騒ぎたてる構図だったけど、ネットと地道な日本人の努力で正しい事が少しずつ拡がっている事と、アメリカが中韓と離れだしたのが捏造の南京事件なんかを封じ込めるよい機会になっているのかも

むしろ、アパの件や少女像とやらで中韓が騒ぎ立てると感心が集まり正しい歴史が明らかになる面も大きく

アメリカでも、一応共に戦ったとして抑えていたが、韓国軍のベトナムでの蛮行を非難し出した



これこそ、当に強制連行慰安婦❗️



この記事を読むたびに、憤りが心の底から湧いてくる

いよいよ、今まで南京事件のように、自分達のやった行動をまるで日本がやったかのように恥ずかしくもなく主張していた事が、巨大ブーメランとなって韓国に突き刺さり

日本へ捻じ曲げて求めてきた事を、自らが実践して反省する時が来たのかもしれない

ライダイハンの悲劇こそ非難され、ベトナム人被害者へ賠償しなければならない
長い間の日本への慰安婦とのこじつけは、このライダイハンの問題を葬らせない為であったとなる事を願いたい


真正面から、歴史の修正を迫る事は、日本が世界に今度は自ら戦争を仕掛けるのと同じようになるから、地味に粘り強く

中韓は返し技で、日本への捏造はそもそも自分達の蛮行なので、そこを攻めるのもいいかも

国連やアメリカで発言している日本人を見ると尊敬します!

みんカラは場末なんだろけど(⌒-⌒; )
ネットでじわじわ発信していく事もとても大事なんだろうね❗️

Posted at 2017/01/23 11:36:07 | コメント(3) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2016年10月31日 イイね!

硫黄島(いおうじま)の真実

硫黄島(いおうじま)の真実「硫黄島からの手紙」の映画は観たと思います!

私も、以前に観ていましたが、それから硫黄島の戦いの真実を知るにつけ
その戦いの重みが増しております。

本土への空襲を少しでも遅らせる為に死守するわけですが


アメリカ軍にとっても、実はありえない決死の攻撃になっていたのです❗️

世界の戦史上、最も苛酷な戦闘だとも言われているようです

”アメリカ軍は想定を遥かに上回る時間と死傷者を出すことになった。ノルマンディ上陸作戦の戦傷死者数を3日で上回りアメリカ軍にとっても最激戦地であったことがわかる。数字上での人的損害ではアメリカ軍のほうが多く戦争末期の状態では珍しいケースであった。”



アメリカ軍は三日間、駆逐艦やB29爆撃機により、盲めっぽう砲弾数は実に数十万発に及び島中いたるところに落下した。

こうした海と空からの交互の攻撃は苛烈をきわめ、海岸線の砂浜はほじくりされ、跡形もなく吹き飛んだ。摺山に至っては、頂上の4分の1ほどが吹き飛んで外形すら変わり果ててしまった。



これから上陸し、5日間、いやもっと早く制圧する気分でいたのが、実に36日間を要する

アメリカ軍もタラワ、ペリリュー、サイパンで思わぬ損害が出ていたので、硫黄島の攻撃は圧倒的な戦力でせまります!



硫黄島を取り囲んでいるのは、全てアメリカの艦艇ww

硫黄島には、戦闘機も軍艦もなく栗林中将は全長28キロの洞窟を掘ってゲリラ戦で挑みました。
これは、すでにペリリュー島の戦いで有効性が実証されていた。

集中砲火後の4日目の早朝、100艘ほどの上陸用舟艇の第一波が、横一線にならんでわずか幅4キロほどの砂浜目指して殺到して来た。海兵隊のある兵士は、もはや生存者はほとんどいないかもしれないと思ったという。また俺たちの仕事のために少しはジャップを残して置いてもらいたいものだと豪語した兵士もいた。事実、それほどまでに凄まじい砲火だったのだ。

映画でも表現されていますが、栗林中将の作戦で上陸時には攻撃せず、浜辺にアメリカ兵が一杯になった時をみはらかって集中砲火を浴びせます!

”突如、上空から怪鳥の鳴くような音が幾つも聞こえて来たと思った次の瞬間、大地を覆すような大音響がして、10人ほどの米軍兵士がバラバラと一固まりになって空中に吹き上げられた。それと同時に前方の無数の岩陰から金属的な破裂音がしてぱっぱっぱっと数十の砂煙りが立ち上った。日本軍の重機関銃が一斉に火を吹いたのだ。あっと言う間に5、6名の兵士がなぎ倒された。全員即死だった。
 それは、まるで嵐が来たようであった。凄まじい機関銃と爆弾でアメリカ軍はたちまち、大パニックに陥った。一体全体何が起きたのかわからなかった。頭上ではひっきりなしに、ヒィーンという金属音を響かせて何かが降って来る。それは、彼らがこれまで経験したこともないような攻撃だった。降って来る爆弾は、見たこともないような巨大な爆弾で、地面に落ちるとズシーンと腹の底に応えるような地響きがした。その度に、ものすごい爆風が起こり、兵士と言わず物資と言わずそこら中のものすべてが空中高く吹き飛ばされるのである。悲鳴を上げようが、逃げる場所などどこにもなく、ところ構わず落ちる巨弾にたちまち海岸は死体で埋め尽くされた。海水は真っ赤に染まり、もげた手足、胴体の一部、内臓らしきものが砂浜に打ち上げられている。こうして、上陸後数時間も経たないうちに千名ほどが死傷し阿鼻叫喚の地獄絵図を現出した。”



第1戦は、日本軍栗林中将の作戦勝ちと言うべきものであった

”上陸したアメリカ軍は、その後も目に見えない相手と戦わねばならなかった。上陸した第一日目の損害は死傷者数2400名ほどにもなった。これはノルマンジー上陸作戦時における死傷者数をはるかに上回るものである。この先どうなるのか誰にもわからない。日本軍が一体どこにいて、何名いるのかすらわからなかった。突然、どこかで銃声がしたかと思うと、先頭を行く相棒が頭を撃ち抜かれてバッタリ倒れるのである。会話を交わしたばかりの仲間が、振り返ると息絶えていることも珍しくなかった。
 アメリカ軍はすでに3万名の海兵隊を上陸させていたが、そのほとんどは釘づけ状態であった。夜になると、アメリカ兵は見えない日本兵におびえ、照明弾を絶えず打ち上げ、何か物音がする度にヒステリックになって銃を盲めっぽう乱射していた”

”アメリカ軍の受けた損害もまたひどいものだった。海兵隊第5師団第2大隊など死傷率が100パーセントだった。ある中隊では中隊長が次々と戦死してしまい、その都度7人も交替したほどであった。また、ある小隊では小隊長が5人も代わった。4人目の曹長が戦死すると5人目は少尉が代行した。しかしその少尉もまもなくなく死んでしまった。6人目は必要なかった。なぜならば、その小隊は全滅したからである。”

また、特攻も本土から襲撃、硫黄島の兵士をとても勇気づけたでしょうね



”スミス中将は目に涙を一杯溜めていた。そして、一言つぶやくように言った。
「ここが一番きつかったな・・・」
 今日、栗林忠道は最有能な名将として敵国であるアメリカからも絶賛されている。物資、装備全てに圧倒的で数でも遥かに上回る三倍以上のアメリカの海兵隊を向こうに回し、最後まで互角以上に渡り合い、一ヶ月以上もこの島に釘づけにしたのであった。これは栗林自身も想像できぬほどの善戦であった。”

”2万1千名のうち、2万名が死に、捕虜となったのはわずか9百名足らずであった。一方、上陸したアメリカ軍は、日本側を上回る損害を出した。死傷者数は約2万8千名(戦死は7千名)にも及び、これはアメリカ海兵隊史上最大の損害であった。
 負傷して病院に収容されたアメリカ兵の多くは、戦闘が終了した後も手当てのかいなく死亡した。これは日本軍の超重砲やロケット弾がいかに彼らに重大な致命傷を与えたかを証明するものであった。
 硫黄島の戦闘が終わった後、アメリカ軍は、今後、日本を攻撃する進路上に彼のような指揮官がいないことをひたすら祈ったという。”

硫黄島の戦いに参加した海兵隊員は、アメリカ兵に今も最高の尊敬を受けているそうである

アメリカ兵は、硫黄島の戦いがいかに凄まじかったを知っている

”戦後、硫黄島には元兵士やその遺族たちによって、永久に後世に伝えるための記念碑が建立された。1985年には、元日米兵士による最初の戦没者合同慰霊祭も行われている。日米双方の元兵士たちは複雑な心境で、40年前に殺し合ったかつての敵と対面することになった。彼らは摺鉢山のふもとにある砂丘の上で再会した。そこはかつて40年前にアメリカ海兵隊が上陸した砂浜であった。
 海兵隊の元兵士は、やって来るまで疑心暗疑の連続だった。あの阿修羅のような日本人と本当に心の交流が成り立つのかとさえ思った。しかし、会ってみると、日本人も同様に心に深い傷を負ってこれまで生きて来たことを知った。言葉など通じなくても、目を見るだけで相手の心が分かるのである。その元兵士は談話しているうちに、急に涙がこみ上げて来るのを止めることが出来なかった。40年前、私はこの島にジャップを殺すためにやって来た。今は殺し合ったことを心から悔やんでいる。この瞬間、私の日本人に対する恨みは消えてなくなった。彼は涙を拭うとかつての敵兵だった日本人と無言で肩を抱き合った。”



”現在、硫黄島の戦没者で日本に帰ることの出来た遺骨は6千柱ほど、残る1万4千柱は今なお硫黄島のどこかの砂に埋もれたままである。”



硫黄島の慰霊碑



この文字は、岸信介、ご存知のとおり安倍晋三の母方の祖父



”硫黄島の戦いは、集団の勇気および個人の勇気が問われたランドマーク(画期的事件)であった!
その戦いは、人類がおそらく二度と目撃するとは思えないほど強烈なものであった”


美輪さんは、人生の苦労を乗り越えた方だと思っていたが



この人は、根っから女なんだわ〜

自分が生き延びる事が中心の考え、それをサヨクが利用している

"太平洋戦争について「(アメリカとは)財力も何も全然違った。向こうはバズーカ砲だとか原爆を作っていたんです。日本は竹槍です。なのに一億玉砕だとか(軍の人間は)勝手なことばかり言ってね。愚かな参謀本部の連中のために、日本人が日本人を殺したようなもの。(兵士は)妻や子供や自分の恋人に会いたいと思いながらも亡くなっていった」と語った美輪。

 「大和の国とは大いなる和の国と書きますでしょう。戦うということはもうそれだけで日本ではなくなるということなんです。(太平洋戦争が激化して)まず水商売は禁止になりまして、音楽もクラシック、シャンソン、ジャズも全部ダメって。軍歌しか歌っちゃならないって。きれいな着物も警察で脱がされてもんぺに着替えさせられてね…。そういう時代に突入していってしまった」と自身の記憶を振り返り、「軍部には人格者もいましたけど、全く出世できない。サディストでこんな悪いのがというのに限って出世したりする。そういうものを間近で見てきたので軍国主義は憎むべきものだと思っています」としみじみ。"


日本兵が戦ってくれたから、今の日本があるとわからないだね!

誰だって相手の生死までかけて戦いたくはない

軍部の中枢を批判しているのかもしれないけれど

”「きな臭くなって『徴兵制度を』なんて。それだけはやめさせないと。徴兵制度って言うんだったら自分たちが行けばいいんです。自分たちが行くと思っていないからあんなこと言えるんです。だったら、言い出しっぺの責任をとって、自分たちの奥さんも共同責任者として慰安婦としてでも連れて行けばいいんです」と話し”

誰が徴兵制と言っているの?

慰安婦ww


もうろくしてきたんだね!



凄まじい戦いをしたからこそ、互いを尊敬しあえている

世界が忘れてはいけない島がある



監督のクリント・イーストウッドは、アメリカのテレビ番組において『父親たちの星条旗』で、映画をとってもう一人の英雄がいる事に気づいたと

それは、「日本兵」だと語ったとされる

だらか、二つの映画になったのか

悲惨の歴史であるけれど、それは世界の有史上、人類がおそらく二度と目撃するとは思えないほど強烈なランドマーク

そこで、日本人が立役者である事に感銘を受ける


この硫黄島の戦いを忘れる事で、また戦争が起きるのでないでしょうか

戦争の真実を知る事が、戦争を食い止める事

誤摩化しているから、おかしい話になってくるのではないか!



p.s.

プライムVIDEOで、アメリカ版の「父親たちの星条旗」も観れる



それは、勝者とかヒーローの映画ではないようだ、出だしを観ると

やはり、硫黄島の戦いは、アメリカ軍にとっても死闘だったようだ
Posted at 2016/10/31 21:18:16 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2016年10月20日 イイね!

川の流れを抱いて眠りたい

川の流れを抱いて眠りたい村橋久成の小説は、かなり寂しい感じが全体を包んでしました

北海道開拓使は、当初東京にビール工場を試験的に建設する予定でいた、それを始めから札幌にビール工場建設すべしとし、建設場所の選定、ビール技術者の雇い入れその他を全て取り仕切ったのが村橋久成でした

それから、製造したビールを売りさばく為に、東京に販売所を設けたのも

サッポロビールの礎を築いたのは、間違いなく村橋久成

今は、サッポロビールのサイトで紹介されている



それは、日本にビール産業の黎明期に筆頭になって官僚として取組んだ人物

日本のビールを沢山飲んでいる人は、必ず知らなければならないww



出身は薩摩藩、家老職につける寄合並

しかも、頭脳も優秀で薩摩藩時代に国禁を犯した第一次イギリス留学生

そこで、日本人としていち早くビールを飲んでいた❗️

更には、大規模農場も見てきていた



旧幕府軍が北海道に新天地を求め進出し占拠

新政府の中心の薩長による奪回、戦闘の中心である陸軍の参謀は薩摩藩士の黒田清隆

その下に村橋久成がいた

しかし、薩摩藩の家柄で言えば、黒田は村橋久成の配下だった


この微妙な関係が最後まで尾をひく

村橋久成が、千代ケ岡に集中砲火して函館戦争は終結した

もちろん、制圧したのは村橋側の新政府軍
千代ケ岡で、二人の息子と共に戦死したのが中島三郎助とは、以前のブログで書いた!


一旦、村橋は薩摩、鹿児島へ帰るが、陸軍参謀だった黒田清隆は新政府に働きかけ、後に北海道開拓使長官になる

そして、黒田は村橋を開拓使に呼び寄こす

村橋自身も、海外での大規模農業をイギリス留学で知っていているし、明治維新で藩が無くなって北海道開拓に夢を持った❗️

北海道開拓使は、当初に本庁は札幌ではなく東京にあった。

村橋は、トップクラスの官僚で、農業試験場なども東京にある事を批判し、自ら北海道の地で先頭に立って開拓にたずさわる

函館の隣、今の北海道新幹線の終点にある七飯での耕地の測量

私の住んでいるところに近い琴似へ屯田兵村の構築



歩いて行ってきました^_^;

でも、村橋の名はありません!
新政府軍に抵抗した東北地方の貧窮士族を屯田兵として入植させる計画
予算の都合で、満足な施設とは言えなかったようです。
だって、明治政府が出来て数年、お金がない

村橋の評判は悪いというか、一切言い訳せず批判を一身に受けている感じ

琴似の屯田兵村は、村橋が琴似への場所の選定、区画整理 、授産場所の決定
当時の授産所は、絹糸を作る施設を計画

村橋は、自己主張するタイプでなく、結局、琴似屯田兵村も企画のみで実際の構築は横取りされてしまいます。

当時は、今迄の家柄による世が破壊されて、下剋上
今の世でもでしょうが、上司に媚びをふり

うまく立ち回る人は得をする

村橋は、そんな当時の風潮に反感していたようです

うまく立ち回った薩長藩士は、官僚になり江戸時代の各藩の屋敷を払下げてもらいます

それが、現在も地主になったり、金持ちで子孫がいるのは間違いないでしょう


北海道でも、黒田長官が先頭になり、札幌に新政府が建築した施設を薩摩藩関係者などに払下げます

これは事件にもなっています



村橋は、生涯宿舎暮らしで、勧められても一切払下げは受けず!

これが、周りから良い子ぶり、逆に疎まれていたよう

想像出来ますねー

更には、払下げの阻止をも企てような動きもしている
それは、例えば札幌ビール工場を構築するにあたり、必要な敷地の確保や官舎は札幌農学校に赴任する官員の為に建設しなければならず、払下げどころではないと言う真っ当な理由



開拓使は、本庁が東京にあったのが札幌に移されます。
東京出張所は縮小、黒田長官が札幌に来ると村橋は東京へ

そして、数年して官職を辞して、行方不明になります

村橋久成さんは、北海道開拓黎明期の実務のトップであり、私の住んでいる北海道の函館から札幌が、村橋さんの構想を元に発展してきた事が、この本「残響」を読んで伝わってきました!


村橋さんは、家族からも消え、11年間失踪



雲水となって諸国行脚に出て、布切れ一枚の姿でいき倒れ、死亡広告
明治25年(1892年)


歴史からも、葬りされた



それから、100年

この小説「残響」の著者、田中和夫氏が村橋久成を掘り起こした❗️


そして、私が偶然出会い、この銅像の人物にひかれ



この胸像は、村橋久成を小説「残響」で知った鹿児島県にゆかりの彫刻家が彫刻の世界でも蘇らせたいと作成

自分の美術館に展示していたものを、希望がかなって夢を追った北の地へと移設





子孫の方がいて、死亡広告の後、事実を知った友人が葬儀を行なっていた香典台帳が現存していた

そこには、黒田長官始め、主には薩摩藩出身で出世した政府の要人名が連なり、葬儀も取り仕切っていた!



これらの、掘り起こしにより村橋久成はサッポロビールの正史に創業の功労者として加えられ

子孫が保管していたこれらの資料は、現在はサッポロビール博物館に保存されているそうなので見に行きたいものである


この要人の中に、薩摩藩出身の時任為基がいて、警察署に電報を打ち丁重な処理を依頼

時任為基は、当時は愛知県知事

以前には、函館県令、函館支庁長



子孫に時任三郎




私が高校時代に五稜郭に住み

「龍馬が行く」など幕末の歴史小説を読んだりしていた頃
寝る時は、FMラジオ番組ジェットストリーム

この時任三郎の「川の流れを抱いて眠りたい」もよく流れてきました♪


実は、村橋久成の指揮で攻めて全滅した千代ヶ岡陣屋の中島隊

中島三郎助の偉業をたたえ、千代ヶ岡(千代ヶ丘、千代台)の地域が中島町になった

それと同じく、函館県令だった時任為基にちなみ隣町が時任町になった事実も知った!ーぇー



中島町と時任町、二人を結ぶ接点は、村橋久成

そして、時任為基の孫、三郎が

歌の世界でも村橋久成を蘇らせるように小説「残響」発表と同時の1981年にこの歌でレコードデビュー

これを時任三郎は村橋を知って歌っているのかは定かではないが


コンクリートが鈍く光ってる
この街を この人ごみを
いつだって見ていただけの 見ていただけのこの俺さ

落ちてゆく あの夕陽を 追いかけて 追いつづけて
歌のない寂しい国で くたばっちまった奴がいた


oh my journey あんたそいつを
oh my journey 馬鹿だと思うのかい

今は今は あいつのそばで 川の流れを抱いて眠りたい


これらの全てを知って、俺は稲妻に打たれた

高校時代のあの場所、あの時と今とが繋がって

そして、メロディーが聞こえてきた


村橋久成の人物像に触れるに付け、自分の想いと共通する部分も強く感じ

まさに、「川の流れを抱いて眠りたい」の歌のように残響が残りました


名も無き先人が実は沢山いて

しっかり仕事をした人は、死してからでも、このように発掘され感銘を受ける
Posted at 2016/10/21 21:47:09 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記

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「またAmazonから何が届いたのか❓

ルンバのバッテリーで痛い目にあったのに

またバチモンに手を出してしまったww

購入する前に、既に購入品で、まだ装着してしていないグッズが多数〜

新車が来て、購入意欲が収まらない(⌒-⌒; )」
何シテル?   08/24 08:11
ホワイトコウキです。よろしくお願いします。 アルファロメオ145に乗ったら楽しくて!楽しくて! 気がついたら、こちらにお邪魔していました。 何故か...
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