
2015年、明けましておめでとうございますm(_ _)m前回の自動織機に続き、トヨタ産業技術記念館の自動車館です。名古屋駅から近いです。
事業として成功しましたが自動織機は何十年も寿命があり買い替えは期待できません。欧米視察でこのままでは斜陽産業になると危機を抱き自動車を決意したのが息子の豊田喜一郎。喜一郎は優秀な織機設計者でもありました。因みに豊田はとよだと読みます。大昔のエンブレムはTOYODAでした。
まずは創業期の工場が再現してあります。
AA型乗用車、トラックです。手で鈑金。シャーシは当時の悪路でも丈夫だったフォードT型のコピー、ボディはクライスラーの流線型エアロフローを参考にしました。いいところ取り。
AA型エンジンでは当時日本では技術的に困難だった鋳造に苦労しました。シボレーエンジンをコピーしたのは当時フォードとシボレーは日本中で修理部品が入手できたからです。世界を米車が制覇していた時代です。まだフォードは4気筒の時代でシボレーは6気筒で優勢でした。起死回生のフォードのV8が出るのは1932年からです、このV8一体鋳造はとても困難でこの後1950までGMでさえ生産できませんでした。
戦前のAA型の生産工場が再現してあります。

結果戦前は商売は成功とは言えず、なんとかなるのは戦後1950年の朝鮮戦争での特需でした。米軍へのトラック供給で厳しい納入検査に鍛えられました。
日本車は米車の真似から始まり、米車の生産方式、米軍への納入と、アメリカに育てられました。やがて国内生産過剰でアメリカへの輸出が1970年代から始まります。ちょうどオイルショックが来て燃費が良い日本の小型車の助け船になりましたね。
戦後成功した乗用車初代クラウン1955年の別体式ハシゴフレームです。米車は70年代まで長くこの構造でした。頑丈で乗り心地が良いが重い。因みにマスタングは初代1964年から最新モノコックフレームでした。(≧∇≦)
クラウンと三輪トラックを駆逐した四輪トラックのトヨエースです。商用車の成功の秘訣は価格を半ば強引に下げた事でした。

クラウンはアメリカへの輸出で高速走行のトラブル多発で輸出中止になります。しばらくはランクルやトラックを輸出して凌ぎます。日本にも1964年に高速道路が出来ると対策されトラブルもなくなります。撤退した欧州車と違いサービスパーツ供給体制を全米に築き成功します。(^O^)日産も同じ。日本車の躍進の始まりです。
最新エンジンの鋳造中子です。複雑。
館内全景です。広いです。(^O^)
有名なトヨタ自動車博物館は世界のクルマ展示ですが、ここは生産工程の展示、産業技術記念館です。
お土産は豊田自動織機で織ったトヨタトラック
そしてトヨタ2000GTの柿の種(≧∇≦)美味しく頂きました。えっ!勿体無い?

じゃ又m(_ _)m
Posted at 2015/01/03 23:25:49 | |
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