
ミニの本はモールトンが書いた本が有名でしたが、これは新しい内容が沢山あります。2013年本国発行、2019年日本語翻訳 是非どうぞ!

BMIHT博物館員が埃を被っていた設計者イシゴニスの机から発見した新たな資料を元に調査して新しく出版された
トルコで生まれ30歳でモーリス入社まで
そして大型車マキシの失敗で左遷後
祖父と父はイギリス国籍を持つギリシャ系トルコ人、母はドイツ系トルコ人。1906年トルコで生まれたイシゴニスは機械好きだか数学嫌いの少年となる

やがてオスマントルコがパキスタンに滅ぼされ、マルタ島、イタリア経由でイギリスへ母と逃げる。母と生涯2人暮らし、そして幼馴染のメイ。父とは死別

イギリス政府からの亡命補助金で裕福に暮らしサイクルカーを入手、機械会社で製図工として働きオースチンを手に入れレーサーに改造
ハンバー社ルーツグループを経て1936年モーリス社で製図工として働き独立サスペンション設計で頭角を現す

1946年小型車の開発を行うが社長に拒否され、車体を真ん中で切り100ミリ幅を広げ、エンジンを新設計やめて流用として承認を貰ったのがモーリスマイナーで大成功

オースチンとの合併に嫌気がさして転職しV8エンジンの大型車を試作

モーリスに復職してピニンファリーナデザインの大型車FRを試作するが、これのスタイルが後のミニに似てる

1956年スエズ運河危機で急遽小型車を開発、限られたスペースにエンジンを収める為に横置きFFを考案、ミッションはエンジン下でオイル共用

しかし小型車に横置きFFのアイデアは誰から?
開発開始わずか8ケ月の試作車で量産決定の社長判断に、かなりビビったイシゴニス。1959年発売トラブル多し
イシゴニスは少数精鋭チームで独善的に振る舞い、社内に敵も多かった。名を残す方はこういう人が多いです
かなり頑固で生涯、窓ガラスはシンプルなスライド式に固執し、顧客からのクレームにも耳を貸さなかった

スモーキーミニ

同じく頑固者エンツォ・フェラーリと仲良し

初めは売れなかったが、友人が王女マーガレットと結婚しクラスレスの象徴としてミニが売れ始める

ミニは安過ぎて9年間赤字だった、1968年マークⅢはコストダウンして赤字から脱却、マークⅡのハイドロからラバーサスへ戻した

1969年開発したマキシの販売不振で左遷、ラバーサスのモールトンと訣別。1971年定年後はコンサルタントとして1981年まで社内に残る。母と死別1972年

開発だけに終わったX9のエンジンはKシリーズと同じスルーボルトのブロックサンドイッチ構造で軽い。無段階変速ギヤレスのトルコンも開発したが不採用
1981年自分の伝記作成を友人へ依頼、病気のせいもあり晩年は引きこもる、支援したのは幼馴染のメイで夫に先立たれていた。1988年81歳でイシゴニスは亡くなる

1997年ローバーはイシゴニスの精神を受け継ぐミニスピリチュアルRRを発表するが、新しい親会社BMWは商売の為デザイン優先FFを新型ミニとし大成功
2000年に10ポンドでフェニックスへ工場ごと売り払われるが現行ミニを生産中止することが契約だった
この本なかなかの力作ですね(^。^)

Posted at 2021/01/15 12:48:43 | |
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自動車文化論 | 日記