
作者は開発者の原さん。図書館で見つけました。

ここは本には無い話。
日産の前身は1911年の快進社ダット号と戦犯となった鮎川氏が創業した戸畑鋳物。しかしこの事は日産内ではタブー。日産社史の創業は1933年となってます。

1939年戦前のダットサンです、後藤敬義さん設計。戦後もこれの改良から始まります。個人のお医者さん用でした。ボディは外注。

エンジンは720ccのサイドバルブ、2ベアリングだから低回転です。

1955年新しいボディのダットサン110は820cc、しかし北米輸出ではパワー不足で撤退します。北米では田舎向けダットサントラックで生きながらえます。ボディは内作。

1957年有名なオースチンベースのストーンエンジンOHV1000cc 5ベアリングで何とか走るようになります。国内タクシー業界からも好評。

1958年オーストラリアのラリーにも参戦。好結果を残し自信をつけます。ダットサン210

北米向けにはまだパワー不足。1200ccが必要なのはフリーウェイへの登坂合流加速だから。

1963年北米で初めて好評に受け入れられたダットサンブルーバード410 初のモノコック軽量ボディ

1967年北米でも有名なブルーバード510、エンジンは日産製の新型OHCのL13とL16です。カウンターフロー。北米では箱レースでピートブロックが活躍。

サスペンションは合併したプリンススカイラインと基本設計は共通だが、専用のブッシュが国内市場でトラブル。
ここは本には無いはなし。
だから社内的には510は失敗作とされているそうです。ブッシュの大きい桜井真一郎設計のプリンススカイラインはトラブルフリー。

実は510より先に開発されたが販売が後回しになったローレル。だからスタイルが似てるのは510の方です。

エンジンはプリンス製のG18OHCクロスフローエンジンを採用。スカイラインも4気筒はG16とG18でした。

スポーツカーのフェアレディはベースはダットサンです。最初は試作FRPの丸いボディ、次のSRは量産スチールの角ばったボディ。素材に合わせたスタイルです。欧州車と並び北米でそこそこ売れました。

非公式な開発をしていたフェアレディZが陽の目を見たのはプリンスの高性能S20エンジン6気筒の搭載事件から。普及エンジンはセドリック用6気筒L20と輸出用にL24も搭載。

1969年主要部品はダットサンからの流用、クローズドモノコックボディに4輪ストラットで軽くて安かったので北米で大ヒット。L20は84〜105万円で似た形のトヨタ2000GTの238万円の半額以下、240ZG150万円、S20エンジンでも182万円。北米で欧州製のオープンスポーツカーを駆逐し日本車の名声を確立した。発音はダッツン ツーフォーティ ズィー DUTSUN 240Z
ここは本には無い話。
左遷のはずのアメリカ日産社長の片山さんが240Zの企画者だがフェアレディブランドを使わずダットサンブランドを使い続けた。そのせいか本社社長は片山氏さんを苦々しく思っていたらしいです。その後片山さんは本社役員になることも無く、引退後はダットサンのブランド毎消滅します。社内権力闘争は怖ろしい。(^^)ちゃんちゃんと。
その後片山氏のゴーンへの直訴でフェアレディZが復活します。そのゴーン氏も今や・・・ 皆んな居なくなり残ったのはフェアレディZのブランドだけですねー。
Posted at 2019/01/25 23:46:16 | |
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自動車文化論 | 日記