
トヨタがどうやって今の再生を成し遂げたのか。元日産の黒沢元治さんの話も出てきます。クルマのドライビング好きなら読もう。ビジネス書としてはどうかな。
出会いは2001年章男さんがアメリカ現地法人副社長時代、運転のことも分からない人にクルマのことをああだこうだと言われたくない、の一言。もしその気があるなら俺が運転を教えるよ。成瀬弘さん
2005年、社内からは副社長の遊びだと言われるなか、いずれニュルのレースへ出ようと勧められた。冗談でしょう?と答えた。
2007年、中古のアルテッツァを二台購入し改造。趣味として予算は付かなかった。社内からの反対は凄かった。ニュルの初レースでは常に成瀬の後ろを走ったが、怖かった。
2009年、リーマンショックでLFAの開発が危機になり、役員会で続行を強く支持したのは章男だった。トヨタに欠けているものこそが必要だと発言
2010年、社長として急発進でのアメリカ公聴会で矢面。社内の誰も守ってくれないどころか私を追い落そうとしていた。その後CNNの番組で、私はクルマを愛している、この一言で批判が止んだ。いいクルマを作ろう、始めは社内の誰もその意味が分からなかった。
2011年、株主総会で矢面。しかし思いを素直に発言し拍手を受ける。その直前に成瀬がテスト中に事故死したことを知らされていた。
成瀬さんと公聴会がボンボンだった豊田章男さんを成長させたんですね (^^) いいクルマを作る会社に生まれ変わる。しかし、あくまで偶然か。この次の社長は大変だろう。
番外編

ニュルはドイツ皇帝がレースで勝つ為に作らせた。それを今の形に改修したのはヒトラー

本田宗一郎が作った鈴鹿サーキットには来るべき高速時代の自動車構造診断の役目があった。

成瀬はトヨタでは常に傍流、トヨタの人じゃないみたいと言われた。

成瀬はトヨタ7での事故死事件を経験

ブリジストンのポルシェ用タイヤ開発での黒沢の決意

ニュルを走っている俺達には中古のクルマしかない。

うちはホンダやフェラーリとは違うから大変だ。

飯田彰に任せたLFAニュルパッケージに惚れた成瀬

最後の成瀬の姿

BMW3との一般路での事故
著者はこの本を書くのに6年かかったそうです。
Posted at 2019/11/16 17:48:09 | |
トラックバック(0) |
自動車文化論 | 日記