
STAY HOME
友人S2000から頂いた本を読んで過ごしてます
子供の頃は綴りからチャパラルだと思ってました。ムスタングと思ってた頃です(^ν^)
シャパラルはジム・ホールが設計・製作・運営・ドライバーをしたレース会社です。オイルマネーの裕福な家に生まれましたがなんといっても彼の才能が凄かった。アメリカのコーリン・チャップマン(ロータス創業者)みたいなんです
1963-1970年にGFRPのモノコック、オートマ、巨大なリヤウイング、ウイングカー、サクションカーをアメリカで次々と採用しその多くが他社特に70年代欧州F1に影響を与えたのです

ホールとシェルビーは知り合いでした。シェルビーがフォードと関わりを強めていくようにホールはGMの支援を受けていきます

1964、1965年 有名な2Aと2C、Aは耐久性に優れたGFRPモノコック、なんとオートマ、Cは軽量なアルミモノコックです。2BはGMの実験車両。エンジンはシボレースモールブロックV8の5.4Lで国内チャンピオンになります

1966年 2Dは欧州スポーツカーに参戦、ニュル1000kmで優勝、クローズドの屋根にインテークが追加されてる、ルマン24はリタイヤ

1966年 2Eカンナムマシン、巨大なリヤウイング装備で予選では最速

1967年 2F欧州スポーツカー、怪鳥と呼ばれた。ついに7LビックブロックV8採用。ミッションがアキレス健。フォードGT40マーク2、フェラーリ330P3がライバル

1967、1968年 2Gカンナムにも7LビックブロックV8

1969年 2H 早過ぎたウイングカー、通称バナナ。リヤはドデオンアクスル。この頃からドライバーを引退しチームオーナーに専念します

1970年 2J サクションカー、リヤの小型エンジンで床下を負圧化。サイドスカートも装備。驚く程速かったが禁止にされた。これに失望しレースから手を引く

1973年 F5000にはローラT330で復活参戦、このマシン好きです。1974から1976までチャンピオン、これをベースにした新カンナムマシンでも1977から1979年にチャンピオン

1979年 2Kインディでチャンピオンをとります。インディ初のグランドエフェクトカー、そして1996年を最後にチームオーナーからも引退
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Posted at 2020/04/27 02:07:35 | |
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