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1970年代

初の量産4気筒マルチ、ホンダCB750fourのチューンで有名になったポップ吉村。やがてカワサキのDOHCのZ1、Z2のチューンを手掛ける。ホンダとは不仲になりアメリカへ進出。ヨシムラ集合マフラーが評判になる、軽量化を目的としたが脈動効果でパワーアップ(専門化は懐疑的だった)

会社乗っ取りで苦労するもアメリカでスズキと出会う。きっかけは雑誌に掲載されたスズキ初の4スト新型DOHC4バルブエンジンの透視図、一目でそのポテンシャルを見抜きコンタクトしたという(初の4ストということで耐久性を2倍にして開発された、しかも軽い)

1977年ついに北米スーパーバイクレースでZ1で優勝ライダーはボールドウィン。ついでスズキGS750を改造した944ccでも優勝ライダーはクーリー。年間チャンピオンもヨシムラエンジン車だった。BMWやモトグッツイ、ドカティのワークス2気筒勢を打ち破った

1978年スズキGS1000の北米デビューレースでも優勝この勢いで鈴鹿8時間耐久にも参戦。当時世界耐久ではワークスホンダRCB1000(後のCB900FのDOHC4バルブ)が活躍で本命だった。ヨシムラは予選2位スプリント仕様のままで8時間を走りきって優勝

焦った予選4位のホンダはエンジンの回し過ぎでリタイヤ。2位はポールポジションだった市販2ストレーサーのヤマハTZ750、3位は吉村の娘婿のモリワキZ1。ヨシムラGS1000はゴール後あちこちが壊れていたことが判明、薄氷の勝利だった。こうして因縁のワークスを破って優勝したヨシムラの名は日米で響き渡った

この時に日本人は腰を内側に落とすハングオフという乗り方を目にした、しかもアップハンドルのスーパーバイク仕様だ。GPレーサーのフルカウリングや耐久ハーフカウリングとの混走だから余計目立った。

(GS1000はスタイルが野暮ったかったのが逆にワイルドに見えた覚えがある。当時私はスズキの2ストGT380に乗っていたからかも)

Posted at 2024/07/06 14:52:17 | |
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バイク | 日記