この記事は、
シェア 拡散希望!!!について書いています。
特に知り合いとかではありませんが これは拡散したいと思いまして。
元記事の方 勝手にトラバ申し訳ありません。
温故知新。 古きをたずねて新しきを知る。
自国文化の一部である。機械文明の一翼であると思う。
わが国のみならず 人類にとっての大いなる発明である車。
文化を大事に守らないと いつか文化だけが一人歩きする。
それは核開発と同じ危険性をはらんでいる。
最終的な処分の方法さえ確立せず 新しいものだけに飛び付いた結果
人類は滅亡の危機にさえ曝されている。
巨大な火が山を焼き尽くすように。
過去 数え切れないほど火の怖さを味わいながら
過去にも記憶にも記録にも目を背け 目新しい巨大な「火」
を手に入れたいと願い 巨大な火が手に余っている状況にさえ目を背けた
結果を想像することさえも拒絶する。古きをたずねれば容易に理解できる
はずなのに 山は再生する などと 夢物語の希望だけを抱いて。
エコカー乗りの方を否定するつもりはない。
けれど。 本当の意味で車を理解し 機械を理解し 愛情と責任を持って
乗っているのだろうか。 と 思う。自分がそれらすべてを理解しているとは
思わないが 愛情と責任はもっているつもりである。
新型はきっといろいろ便利なのだろう。
だが 本来 車は自動ではない。人が操作してはじめて動く機械でなければ
ならない。 オートマチックトランスミッション アンチロックブレーキシステム
にはじまった自動化。 それがなにを産み出したか。
未熟なドライバーが氾濫し さらなる安全性の追及を余儀なくされた。
車が人を選べない。 マニュアルに乗れないということは 未熟である と
断言したい。運転操作が出来ない と。 いや 怒られそうではあるけど。
でも そうでしょ? 複数の動作をしなければ危険な物を どうにかこうにか
安全に近づくようにして売っちまおう って魂胆がなかったはずはないでしょ?
まぁなんとなく違う気もするけど 間違い では ないはず。
身近すぎちゃだめなのよ。
MTしかなかったころ 車に乗れること自体がすでに 技術 だったはず。
技術を身につけた者だけに操作が許されるからの免許でしょ。
その技術を持つものだけが乗れた車を大事にしなければ
とりかえしのつかない事故が起きるでしょ。 いやすでに数えきれない
くらいの不幸と悲劇を起こしてるでしょ。
かつての車はこんなに技術が必要だったんだ と だれでもが知らなければ
危険なことでしょ。その文明や文化の記憶を消し去ろうってのは
とんでもない間違いでもあるワケでしょ。
・・・・話 飛躍しすぎ?w
でも 完全な勘違いでもなさそうな気がするのさ。
大事にしなくちゃいけないものだと思うのさ。
直しながら乗り続けていくことの なにが悪いのか。
よりよく の意味をもう一度考えなおしたほうがいいと思う。
誰でも乗れる じゃ だめな気がするのさ。
だからこそ 限られた者だけが乗れた証は大事にしないと。
安全はすべてに優先する。
安全のために とか 環境のために なんて言葉に
だまされちゃいけないのさ。 安全も環境も乗り手が責任を
負うものでなければだめなのさ。罰則はきびしくていい。
だけど規制は モラルに委ねていかなければ いつまでたっても
効果はでないのさ。 税で縛る なんて 愚策以外のなにものでも
ない。
なんか ぐちゃぐちゃだねw 要するに 的外れな税であると。
残念な言語力で申し訳ない。
Posted at 2014/01/15 10:18:31 | |
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