週末は鹿児島へ。
今回の旅行の最大の目的は知覧特攻平和会館へ行くこと。
戦後70年を迎える今年、今の日本に生きるものとして過去の戦争のことを改めて知っておかねばならないと思った次第。
鹿児島へはこれまでに出張で2度行ったのみでプライベートで行ったことはない。
鹿児島のどこへ行くのも新鮮でいろんなところを回ってみたいのだが、地図を見る限り、1泊2日で薩摩半島と大隅半島を回るのは明らかに無理。今回は薩摩半島をできるだけ見て回ることにした。
それでも博多からの距離を考えると好奇心のままに寄り道をして回るには難しく、必ず行っておきたいところを押さえ、週末の天気からして晴れが予想される土曜日にウロウロ散策し、雨予想の日曜日に知覧の特攻平和会館へ行くことにした。
土曜日は8時前に家を出て、まずは洗車。
洗車しても翌日には黄砂などにまみれてしまうので、ここのところ洗車機をかけてから出発することが多い。
知らないところへ行くのに高速道路だけで行くのはつまらないので、八代で高速を降り、下道を走り、水俣市に入る。
人の命を大切にせず、経済活動最優先だった時代に起こったことも戦争と同様にしっかりと知っておかねばならないこと。
たっぷりと時間を取って近いうちに来たい。
阿久根の「うずしお館」で刺身定食を注文。
美味しい鯛と鰺に舌鼓を打つ。鰺の塩焼きも最高に美味しく、骨までしゃぶってきれいに食べないと申し訳ないと思ったぐらい。
隣の席に座られた方はGolden Wingに乗って毎月来られているとのこと。
周辺のお店には行き尽くし、このお店に行き着いたらしい。
おそらく相当な地位まで上り詰められた方とお見受けした。心地良い会話をさせていただいた。
店主さんとも話し込み、楽しい時間を過ごした。
鹿児島といえば甘い醤油。
甘い醤油はどうも合わないので、MY醤油を持ってきたが、阿久根あたりは嗜好が違うのかそれほど甘くない醤油であった。
人間の脳ミソは面倒なことは嫌いらしく、いくつも覚えていた電話番号は携帯電話のメモリーに登録したらすっかり忘れ、パソコンを使うようになったら漢字が全然書けなくなった。
1回通った道は忘れなかったのにカーナビを付ければ道を覚えられなくなり、方向感覚まで鈍ってしまった。
電気の供給が止まったらただのボケオヤジ。
道を間違えて天草長島へ。
橋のたもとの道の駅では新鮮なのに激安な魚介類が並んでいた。
クーラーボックスも持ってきているので買い込みたいところだが、翌日もあるので断念。
海岸線を走りたいと思ったが、国道は少し内陸側を通っていた。
川内市内に入ると道路が立派になった。
電力供給に対する見返りの支援はどこも手厚い。
今回のお目当ての一つである指宿の砂蒸し風呂に余裕を持って入るためにはリミットが近づいてきたが、さつま湖の名前を見て心が騒ぐ。
中学生の頃、雑誌で鹿児島大学水産学部がさつま湖でブラックバスの研究をしているという記事を見て、自分も鹿児島大学に行って研究をしたいと思ったものだった。
その後、高校に入り、ブラックバスではなく、サケ・マスのふ化放流に携わりたいと思って進路を変えたのだけど、釣り場の少なかった当時、さつま湖は憧れのバスポンドの一つであった。
今回、釣りができなくて後悔しないようにバスタックルは一式車に積んできたが、湖面を見るだけで満足。
先を急ぐ。
この時点で薩摩半島一周は諦め、錦江湾へ抜け、海岸線を走る。
曇り空のせいで桜島が綺麗に見えないのが残念。
JX日鉱物日石の喜入石油基地は壮観であった。
貯油量は原油735万KLで、日本の消費量の約2週間分にあたるとのこと。
道路沿いに「天璋院篤姫」の名を見たのでちょっと寄り道。
散策せずに看板だけ見て移動。
そうこうするうちに指宿到着。
今日のお宿は「指宿フェニックスホテル」。
何はともあれ砂蒸し風呂へ。
デトックス効果が高いらしい砂蒸し風呂は順番待ちの満員状態。
順番が回ってきて、温かい砂の上に寝転びシャベルで砂をかけてもらう。
暑すぎず気持ち良い。
10分を目途にとあったが、そんなんでは汗がしっかり出ないので20分間砂に埋もれていたら誰もいなくなっていた。
溜まっていた疲れが汗とともに抜けたようでスッキリ。
砂蒸し風呂の後は温泉にゆっくり浸かる。
指宿温泉はナトリウム塩化物泉の温泉。
これがまた体がポッカポカになって非常によろしい。
私は身体が硬く、日頃は前屈しても床から15cm上ぐらいまでしか曲がらないのだが、試しにやってみたら、なんと床に手が着いた。高校生以来の快挙に驚愕。
おそるべし砂蒸し風呂!!おそるべし指宿温泉!!
汗をかいたらビール。
鹿児島といえば芋焼酎。そして締めに「白くま」(笑)。
またデトックスしに来ないといけなくなった。
日曜日の朝は5時半に目が覚めた。
温泉に浸かり、美味しい朝食を食べて8時に出発。
「指宿フェニックスホテル」は建物は新しくはないものの、部屋は掃除が行き届き、清潔感があり、食べ物も美味しく、スタッフの気配りが行き届いていて快適に過ごすことができた。
先ずは名前に惹かれた鰻池と鰻温泉へ行ってみる。
鰻温泉は西郷どんも愛したらしい。
硫黄の匂いが漂う公衆浴場はほのぼのとした空気があり、なかなか良い感じ。
次回は入ってみたい。
知覧の基地を飛び立った若い特攻隊員の目に最初に映ったであろう薩摩富士開聞岳。
そう思うとグッとくるものがある。
長崎鼻からその開聞岳を見ようと向かった。
ここは竜宮城伝説があるらしいが、竜宮城は中国人に占領されていた。
知覧に向かう前に池田湖畔を走る。
九州最大のこの湖にはかつてイッシー伝説があった。
イッシーより湖畔のアコウの方に興味深々であった。
何かが憑いているような、妖気のようなものを持っていた。
知覧の町に入ったら、石灯籠が並んでいた。車で走りつつ見たので、はっきりとはわからなかったが、特攻平和会館に隣接して並んでいる石灯籠を見るとやはり特攻隊員の顔が刻まれていた。一つ一つ表情が違うように見えた。
特攻平和会館に入る前に石碑や三角兵舎を見る。
心は悲しみと怒りで膨み、特攻平和会館に入った時点で涙が溢れ出た。
愚かな為政者により奪われたたくさんの若きいのち。
尊皇という言葉も目にしたが、父母への思いや妻や子への思いを綴られた遺書や手紙が多かった。本当の思いは当時の情勢から書ききれなかったであろう。
そういうことを書くことを潔しとしなかったということもあるのであろう。
特攻平和会館を訪れ、ここに書ききれない思いがたくさんある。心の整理もできない。
しかし、再び戦争を引き起こしてはいけないということだけは言い切ることができる。
戦禍に散った若者のの尊い命を無にしてはならない。
桜が日本人にとって特別なものであることを改めて感じさせられた。
富屋食堂を見学して、また涙を流した。
菩薩のような心を持つことはできないが、周りの人への優しさや思いやりの心はいつ何時も忘れてはいけないと自分を戒めた。
特攻平和会館を2時間ほど見学したが、この時間ではごく一部しか見ることができない。じっくりと時間をかけて見たいが、これ以上は平静を保つことができないというのも事実。
しかし、また訪れたい。
お土産に知覧茶を購入した後、強風が吹き荒れ、雨も降り出したので知覧を後にした。
途中、地域産品を売っているところに何カ所か寄りたかったのだが、鹿児島市内に近づくと渋滞が始まったので、九州道に乗り、そのまま帰宅。
私は阪神工業地帯のど真ん中の尼崎で育ったが、同級生の両親が鹿児島や沖縄の出身者が圧倒的に多かった。
今回、その名前と同じ地名のところをいくつも通過した。
小学校の途中まで一緒だった阿久根君は自衛隊に入ったと聞いた。
高校まで一緒だった喜入さん、中学の途中に転校していったちょっと根性の悪かった霜出さんは今どうしているのだろうか。
指宿に入ったら尾曲という名を見つけた。中学まで一緒で仲良くしてくれていた手先の器用な尾曲君も今どうしているのだろうか・・・
次回は2泊以上して、下道をゆっくり走って鹿児島を探索したい。