この週末は梅雨の中休み。
朝起きてベランダでたばこを吸いながら、どんよりと曇った空を見ていたら、なかなか身も心もシャキッとしなかったが、とにかく家でゴロゴロするだけの休日は嫌なので相変わらずのゆっくりスタートながら11時過ぎに家を出る。
九州にいるからには行っておかねばならないと思っていたが、世界遺産の候補になってドドーッと人が集まるようになってちょっと行くのを躊躇っていた三池炭鉱の宮原坑跡と万田坑跡へ行ってみることにした。
まずは九州道を走る。
久々の高速道路なので周りの車の迷惑にならないようにエンジンの回転数を上げてみたり、加速の具合を確認しながら走り、まずはみやま柳川ICで降りて「道の駅みやま」に寄り道。
お目当ては去年この時期にここで買った大ぶりのらっきょう。スライスして生で食べたら美味しかったので、今年も食べたいと中を探したら、地元産ではなくて鹿児島産だけどちょうどよさそうならっきょうを発見。
地元産の出始めのすもも、キャベツ他を購入。
今回は、国内で唯一生産しているという線香花火は購入せず。コレ、中国物の倍以上の時間楽しめます。綺麗だし。
すでにお昼は過ぎていたが、何の当てもないまま大牟田へ行けば何か食べられるだろうと車を走らせ、ちらっと目に入った洋食屋さんが気になって一旦通り過ぎたのに戻って入ってみた。料理はなかなかに凝っていた。
お腹を満たした後に向かったのは大牟田市石炭産業科学館。
間違いなく日本の発展に石炭、炭坑が大きく寄与した時代があったことをあらためてお勉強。
応仁の乱の頃、たまたま「燃える石」として見つかったことが始まりなんだとか。
今では国内生産は1%にも満たないが、製鉄では石炭から作られるコークスが必要だし、東北の震災以降は発電での依存度も上がっている。
また、大牟田市周辺は石炭の生産だけでなく、石炭から化学製品を作る事でも発展した街。
港も石炭の運搬の必要性から発展したとのこと。
次に三池炭鉱の宮原坑跡へ。
坑内に入る前に精神を落ち着かせるための待合所であったらしい。ベルトなどがそのまま残されていた。
炭都ボランティアの酒見さんが、施設の当時の役割から当時の社会的背景など多方面にわたっていろいろなことをを極めて丁寧に説明して下さった。
こちらも疑問に思ったことを聞いたりしたので、おそらく他のグループの倍以上の時間、お話しを伺ったのではないだろうか。
坑内での作業は危険と隣り合わせで、いつ事故がわからないということから、自分の身を守るためにも仲間との協力・協調が不可欠。
炭坑で働く人達には、今は希薄になりつつある、優しさ、人間らしさがあったとのこと。
石炭産業科学館には当時採炭で使われていた機械が部分的に動く状態で保存されているので、炭坑で働いた方はそれを見ると当時にタイムスリップしたかのように状況を思い出すそうである。
いまだに昭和38年の事故でCO中毒になり、その後遺症に苦しめられている方がおられるとのこと。
最後に、炭鉱閉山で自信を失ったが、炭鉱で生まれた文化や最先端の技術や研究などがあったことも事実であり、世界遺産登録を機に自信を取り戻してほしいと言われたことが特に印象的であった。
酒見さんに感謝!!
その後、万田坑跡へ向かったが、到着した時にはすでに16時を回っており、十分に見学することができないため、施設の外から撮影したのみ。
次回は時間に余裕を持って見学に来たい。
そうそう。
近いうちに吉報が届くらしいです。
Posted at 2015/06/21 21:06:01 | |
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