
10月も下旬になると、涼しいを通り過ぎて寒いという言葉が適当になってきます。暑さへの戻りがきっとあると予想したのですが、気温は多少の上下こそあるものの、今のところは順調に秋深くから冬へと向かっているようです。
さて、今回は書庫から一掴みの回となります。
車種・年代がランダムで詰まれているカタログ棚を見ていて、面白いお題かなと思いまして。
今回取り上げるのは、B14型サニーとなります。
タイトル画像に用いた"12マイル・サニー"のコピーを懐かしく思い出される方も多いかなと。
すっかり頭の片隅に追いやられた感こそ拭えないものの、そんなに昔ではないと認識していたのですが、数えてみたら登場から28年目に突入中。経過年数だけなら、旧車の域に片足入っている気もしてきます。
1990年代の日産車は総じて1980年代のモデルよりも評価が低い感が強いのですが、このクルマもその一台と言っていいでしょうね。同年代の日産車の中では、良くも悪くも目立たない感があるのも特徴の一つ。実際、販売成績の方も特筆すべきものは残せていません。とは言いながらも、モデル末期となる1997年以外はベスト10内に留まっていたのですから、不人気という判定も妥当ではなく。
忘れかけていたモデルを思い出す的にお付き合いいただければ幸いです。
今回は早めに、1994年1月に発行されたリーフレットを引用しつつでご紹介に入っていきます。
最初の見開きに代表グレードとなる2つが並べて掲載されています。
左側は、サニーの本流となるスーパーサルーン。
B12で従前のSGLエクストラに相当するグレードとして登場。以降は、サニーセダンの代名詞存在となってきました。
カラーは、ライトブルーイッシュシルバー。前期型のイメージカラーでもあり、この代のサニーで真っ先に思い浮かぶカラーというのは私感。それまではあまりイメージカラーに選ばれる事のなかった域のカラーであり、それが新鮮でもありました。イメージ構成に寄与はしたものの、販売比率自体はあまり高くはなかったような。まぁ自車にかなり似た色を選んでいる以上、私的には嫌うことのできないカラーではありまして。
右側には、スーパーツーリング。TypeSということで、さらにスポーティな装いとなっています。
先代ではGT-S、もっと歴史を遡るとGX系に辿り着く系列ですね。こちらは1600と1800のみの設定。1500のスーパーサルーンでもTypeSは選択可能で、タイヤ&ホイール等相違点もありますが、これに近い装いとすることは可能でした。TypeS自体、あまり見かけなかったように思いますけれど。
この後の歴史からすると、ブロアムとグランツーリスモ、メダリストとクラブS的な対比をここで狙うもありだったかもしれません。グレード設定があまり上手くなかった感は否めず。
こちらのカラーはダークグレー。濃色系はこの色のみということで、スーパーサルーンやEXサルーン等でも結構見かけたような記憶があります。
左側を開いた状態です。
その1のデザインは、B14で大きく変わったものの一つだと言えます。
B11からB12に変わる際、デザインやパッケージングをオーソドックスと言うべきか保守的な方向に振り、B13もB12の基本のまま進化させたという経緯でしたから、この変わりようは結構な驚きでもありました。
初代プリメーラが、日本のセダンの形を変える契機となり、それが好評だったことも後押しとなったのだろうと推測。
イラスト図にある変化のさせ方は、正しくプリメーラ的手法と言えまして、唯一ロングホイールベースが目新しくあり。出た時には、視覚的も含めて随分ロングホイールベースと感じましたが、その後のセダンの進化からすると、正しい選択だったと言えます。Cピラーを寝かせているのは、後輪の位置を後ろ寄りと感じさせない効果も狙ってと映りますが、トランクが短い点も相まって、何となく近年のセダンの造形への継続性も感じられたりします。
リヤコンビランプの位置も影響しているのか、リヤクォーター周辺だけ見ているとキャバリエ風味も感じられるのは興味深いところ。北米もマーケットの一つでしたから、海の向こうを意識したがあるのでしょうね。
その2の実用性として、大きなトランクルームと最小回転半径の小ささが挙げられています。
トランクの短さを補うべく、低い所から大きく開けることで補う構図ですね。プリメーラではリッドのステーを工夫した点も高評価の一つでしたが、こちらは従前からの構造。リヤクォーターは絞られていますので、開口部の広さを取ったという見方はできそうです。容量もありそうですが、サイズの記載はありません。
最小回転半径の小ささは、サニーの伝統でもありました。B11でFF化される際も、挙げられていた特徴となります。B14も2,535mmのホイールベースで4.6mですから、かなり頑張ったと言っていいと思います。さすがにこの数値は、13インチタイヤ仕様のみの限定だったようです。
その3の居住性はパッケージング一新で効果が現れたことの一つ。特に後席の足元スペースは、先代よりかなり広くなりました。2ドアのルキノの後席で移動したことがあるのですが、頭上空間こそ厳しいものの、お尻を前に出して座れるだけの余裕があったことを思い出します。後席足元の拡大は、前席シートを新開発したことも寄与しています。先代比でシート素材はかなり素っ気なくなりましたが、これは当時の精一杯でしょうね。
その4には、乗り心地の記載。
先代までのパラレルリンク式ストラットに替わり、新開発のスコット・ラッセルリンク機構を用いたトーションビームをFFのリヤサスに採用しています。同機構は、この後登場する日産の前輪駆動車でも多く採用されていますが、お初はこのB14サニーでした。
”マルチリンク”ビームと名付けたのが結構なポイントで、よく解らないけれど何となくスゴイ新時代の足回りと思わせる効果は絶大だったように記憶しています。S13以降のリヤサス、R32やP10のフロントサス、どちらもマルチリンクは高性能と認識させるに充分な成果を挙げていましたし。このマルチリンクビームは、性能よりも合理化優先での開発だったというのは、今振り返っての私感です。
記載の通り、ロングホイールベースはここでも効果を発揮しますね。
その5には、経済性として燃費の良さが謳われています。
この少し前に燃費計測の方法が、10モードから10・15モードに変更され、数値が上がる要因となったのですが、それを加味しても19.6km/L(スーパーサルーン MT車)の燃費は結構な驚きでした。サブネーム的に”12マイル”を謳った由来ですね。この代で1300と1500がインジェクション化されたことも数値に寄与している筈。
参考までに同時期のライバル車の燃費をMT同士で比較すると、カローラ SEリミテッド:17.0km/L、ターセル VX:19.0km/L、ファミリア RS:17.2km/L、インプレッサ CSエクストラ:15.8km/Lという具合でサニーは頭一つ抜け出ていました。
最後のその6には、当時注目を集めていた安全性が書かれています。
設計年次の新しさで、一早く助手席エアバッグが選択可能という有利はあったものの、運転席エアバッグとABSも含めてまだオプションでした。この後登場した2代目セフィーロの運転席エアバッグ標準が売れた理由の一つとなったことからすると、ここで安全装備の充実を謳うはありだった気はします。詳しくは後述しますが、コストの厳しいこのクラスでそこまでやれなかった事情も理解はしつつ。
この後、エアバッグやABSの標準化が急速に進むことになります。
裏表紙にはビジネスユースを想定したFEを除く全グレードが一覧で掲載されています。
この時期、トヨタの同クラスには4速MTと3速ATが廉価グレードに残っていたことからすると、全車5速MTと4速ATというのはユーザーフレンドリーでありました。
先代は豪華装備や質感の高さをアピールしていましたが、この時点では少し後退。スーパーサルーン名は継続ながらも、先代と比較すると、パワーアンテナやオートエアコンは落とされていました。スーパーサルーンGは、そうした点を補え、さらにカセットも標準となりますが、スーパーサルーンに17万円強のプラス。
価格こそ先代と同等ながらも装備を落とすという、こうした装備設定は不評で、僅か半年足らずのルキノ追加時に装備内容を見直したVシリーズが投入されることになります。
見開きと異なり、こちらはマッドガードレスだなと気付きました。調べてみると、サウンドパッケージに含まれるオプションだったようで。全く無関係に思えるサウンド類とのセットは不可思議で、さらに豪華になるラグジュアリーパッケージのみセット、あるいは標準でもよかったように思います。
スーパーツーリングのtypeS非装着の姿はこちら。フロントバンパーとタイヤ&ホイールが異なるくらいでスーパーサルーン以下との識別点は知る人ぞ知るの感はありました。
スーパーツーリングのこの姿は、機動捜査用の車両を思い出される方も多そうではあります。
こちらのマッドガードもサウンドパッケージに含まれるオプション。ただし、スーパーサルーンと異なり車体同色になる特典あり。走り系の装備は充実しますが、快適装備はスーパーサルーンに近い設定でした。
初期型のリーフレットからの紹介はこのくらいで。
このB14、初期の印象では決して悪くなかったように思います。先代の豪華で質感高く、さらにお買い得といったキャラクターからは大きく転換しましたが、シンプルで合理的というキャラクターは充分伝わるものがありました。歴代を振り返って考えてみると、実はB14での訴求は初代由来の伝統芸が久方ぶりに復活した形とも言えて。
プリメーラに続いてサニーがこのクラスの姿を変えるのかもという予感すらもあったのですが。
そんな予想とは裏腹に、このB14、初動から販売で躓きます。
最大の理由は、このクラスはモデルの魅力云々よりも価格競争の局面に突入していた点かと思います。
価格競争は三菱が最初に仕掛けて、トヨタと日産が大幅値引きで応酬、そこに価格破壊を掲げた値引きのマツダが加わるという構図が出来上がっていました。ホンダとスバルは価格競争からやや外れていた感はあるものの、完全に無視できたとも言えず。(関連話の回は
こちら)
B13は、当初こそ高級を掲げたものの、中盤以降は特別仕様車の設定等でお買い得を前面に出して、この大乱戦を善戦していた訳です。
そこに合理的な新型で魅力を訴求する、ここまではいいのですが、肝心の価格競争力が落ちては最後の選択に残れなかったのです。上で書いたVシリーズは、そうした初動販売の不振への対策でもありました。
何となくモデルチェンジを急ぎ過ぎた印象はあって、ルキノと同時に最初からVシリーズの陣容で登場していれば、もう少し状況は変わっていたのかも、なんて思ったりします。
ルキノはセダンとは一転して、お買い得価格を訴求していました。
特に最廉価のMMは、商品力と価格の両立の点で、ライバル車で対抗できるグレードは思い浮かばずの域にありました。最大のライバルとなるミラージュ アスティVよりお値段はやや上がるものの、+200cc、ATは4速、アスティ程女性向け訴求ではないといった理由で選ばれ易く。MMの価格(MTの東京地区車両本体価格が88.7万円)は、一クラス下のコンパクトとも重なるぐらいでしたし。
私事となりますが、このMMを買われた方が職場界隈で複数名。古い車からの代替だったり、お初の車だったり、プロフィールは多々でしたけれど、何れもお値段が最大の決め手というのは一致していました。当時オーディオを取り付けたり、乗せてもらったりというのもありまして、記憶に残る一台ではあります。インストパネルを外したりするとお値段の理由が垣間見えてくるものの、全般的には破綻もなくお値段の割にはよくできていたという印象も強く。
ルキノ話のまま、脱線しそうなのでセダンに話を戻します。
販売の不利は日産の陣容にも理由がありました。
プリメーラはプリンス店(チェリー店を含む)、プレセアはサニー店、モーター店というのが両車の発売時の配置でした。この両車、当初はプレセアの方が売れますが、翌年サニー店でもプリメーラを扱うようになると販売台数が逆転することになります。ブルーバードがU13へのモデルチェンジで台数を落とすと、さらにプリメーラの販売台数は伸びてもいます。
プリメーラ、市場評価も高く、売り易いモデルだったと言えます。そんな車がB14が登場した時点ではモデル後半に突入していて大廉売中。1.8Ciをベースにした特別仕様車が連発されてもいました。サニー、特にスーパーツーリング系で商談を始めるとプリメーラをいかが?となったことは容易に想像できます。スーパーツーリングが機捜に大量投入された背景でもありますね。
一方、下にはK11型マーチが存在。
こちらもコンパクトカーとして評価が高く、販売もサニー以上の台数を毎月計上していました。特に車には拘らない、あるいは最初の一台として選ぶには最適な存在でした。
上と下に売り易いモデルがあるのですから、販売系列名に掲げるくらいの主役でありながらも、販売に全力とならないのも当然ではあったのです。
B14の開発時点では、B12、B13とモデルを経る中で高齢化が進んでいたであろうユーザー層の若返りが視野にあったろうと推測します。B14の構成には、そうした思想の反映を感じもするところです。ところが、販売側はこんな事情ですから、新規ユーザーは系列内の他銘柄に流れ、結局は先代以前からの代替ユーザーに頼らざるを得ないとなる訳です。
B12やB13の既納顧客視点で見たB14、特に初期型は、その変わり方が受け入れられなかっただろうと思います。明らかに大きく変わり過ぎたなと。
もちろん日産は、そんな状況は即座に把握できますから、早速改良に乗り出します。Vシリーズ以降も、比較的大きな規模での変更が何回か入っていますね。
最終型と思わしき姿を、1997年12月に登場したリミテッドシリーズのリーフレットでご紹介。
初期型と比較すると、Cピラー以降を中心に結構大きく手が入ったことがご理解いただけるかと。プロポーションは変えず、ディテールの変更が主でここまで見え方が変わった点も特筆すべきでしょうね。
安全装備の充実ぶりも目を引きます。約4年の間で安全装備の水準が一気に上がったことの反映です。初期型でこの域を頑張っていればと感じさせる理由でもあり。
内外装色の設定も初期型からは大きく変わっています。明らかに想定年齢層が上がったことを感じさせる一方、歴代のサニーを乗り継いだカスタマーには安心をさせる設定とも言えそうです。
初期型と最終型、どちらがいいというのは見解が明らかに分かれる予感です。私的にはチャレンジ精神を評価して初期型に一票。
初期型に投じる理由は、この世代の変遷がE80カローラ/スプリンターのセダン系と重なって映るからもあります。初期型で挑戦し過ぎて、幾多の修正となる。挑戦の背景、理知的なパッケージング等、共通点も多かったりしますし。
かくして、日産は屋台骨の一つであるサニーを残すべく多大な尽力を払うのですが、時代背景はそんな尽力を軽く飲み込むほどの勢いで変遷していきます。
90年代初頭にブームとなったRV車は、一時的な人気という予想は外れ、セダン離れを加速させていきます。カローラ ツーリングワゴン、サニー カリフォルニアといった従前はサブの扱いだったモデルが注目を集めるようになるのが、この頃になります。
日産はそうした需要に応えるべく、ルキノハッチ、ウイングロードとこのシリーズに追加していくのですが、元々全く別のシリーズだったパルサー一族との境界線は曖昧になり、結局大きな成功とは言い難くありました。
この頃には、年々日産自身の財務状況が厳しくなり、やりたくてもやれないが段々増えていったという事情も存在しているのでしょうけれども。
結局、サニーはB14末期の方向性を受け継いだ次世代B15が最終となります。B14での混迷と迷走、特にユーザー層の若返りの期を逃したがサニーの終焉を早めてしまった感は否めずとも思うところです。
もっとも、少々厳しく書きつつ、B14って、意あって力足らず、あるいはコマが上手く揃わなかった一台と認識しています。少なくとも、同年代に多く見られた、従前の基本構成のままコストダウンを最優先にしたと映るクルマ達に含めるのは異議ありでして。サニーの私的歴代ベストは他の世代かなと思いつつも、B14を嫌いにはなれない理由です。
何れにしても、あまり顧みられることのない一台。ここでの取り上げが振り返りのきっかけとなれば幸いです。