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2021年10月31日 イイね!

1977年発行 トヨタオート店のパンフレット

1977年発行 トヨタオート店のパンフレット少し前まで、あれほど騒がれたコロナ禍も最近はすっかり沈静化したようです。これまでの我慢もあって、世間的にはかなり開放感が溢れているような。

平日の通勤電車、休日の高速道路、共にその混雑ぶりは、大分戻っているようにも感じます。行楽地に向かう高速道路では、僅かながらも観光バスの姿も見受けられるようになりました。これまでのマイナス分もありますし、経済を動かす方向に振れるのは決して悪いこととは思えずです。

そんな動きに水を差しそうなのが、最近のガソリン高。ハイオクは150円をあっていう間に超えて、今では170円越えでも驚かなくなりました。まだまだ上がるという予想が主流で、さてどこまでいくのか心配ではあります。一時のように月末のスタンドに給油の車が殺到する姿はあまり想像したくないのですけれども。


前段話はこのくらいで、本題に入ります。
今回取り上げるのは、表題の通り、1977年に発行されたトヨタオート店の総合パンフレットとなります。これまでトヨペット店を主に取り上げてきて、時折カローラ店を挟むくらいでしたから、たまにはオート店もいいかなと思いまして。

今のネッツ店に至る系列となりますが、始まりは少し前に取り上げた通り、カローラ スプリンターの発売時。トヨタの販売系列の中では、4番目の系列となります。ネッツ店は5番目に発足したビスタ店と統合した関係で、他系列よりも販売拠点数が多いという特徴を持ちますが、オート店時代にはあまり販売力が強い印象は無かったりします。今回の取り上げで、40年以上前の空気感が少しでも伝われば幸いです。

それでは当時の取扱車種が網羅されたパンフレットの紹介に入っていきます。



最初の見開き、左頁に掲載されているのは、登場したばかりの初代チェイサー。
3代目マークIIのモデルチェンジから、半年遅れで追加された兄弟車という成り立ちでした。

発表前のスクープ記事には、新しい高級車あるいはマークIIベースのスポーティサルーン等、派手な推測が飛び交ったものの、発表された実態はマークIIのバッジエンジニアリングということで、拍子抜けという話もあったようです。
同時期には、日産もバイオレットのモデルチェンジを行い、同時に兄弟車オースターを追加していまして、この辺りが販売店違いの兄弟車が本格的に増え始めた時期と言えそうです。マークIIはトヨタ東京オートでの販売実績があり初代バイオレットはチェリー店でも扱っていたという経緯がある点、派生車種はスポーティな性格が売りという点も似通っていますね。

オート店は、スプリンターユーザーの上級移行を受け止められる新型車を望んでいました。加えて、カローラの姉妹車となるスプリンター以外に切札ともなる収益源を持ちたいというのは、念願でもあったのです。




3代目以降は独自のボディシェルを持つようになるチェイサーも、初代では前後のデザイン変更のみで基本となる部分はマークIIと共用していました。
ボディカラーは全8色中5色がマークIIと共用。イエローとグリーンはマークIIにはなく、ベージュはマークIIと別色とされていました。

内装は、外観以上にマークIIと共用。シート縫製と表皮、メーターの囲いが丸→角が主な変更点となります。

グレード体系は、SXL以下はスタンダードとコラムシフトの設定がチェイサーにないくらいでマークIIとほぼ同じ。上級となるSGSとSGツーリングはマークIIの同等グレードとは装備の設定を微妙に変えることで、独自性を主張していました。この構成は独自性が不足と判断されたようで、翌年のマイナーチェンジの際には、SGSの装備をSXL並に省略する代わりに独自のハーダーサスペンションを与えることで、新たなイメージ戦略が行われることになります。
結局SGSは初代のみに留まりますし、その後の売れ筋も考慮すると、むしろ4気筒系に6気筒並みの仕様を備えたXLエクストラ等を設定した方が、売り易かったのかもしれません。

発売当初は、最上級の6気筒2000EFIのみ53年規制に適合で、その他は51年規制に適合。続いて、最廉価の1800がMTのみ53年規制に適合となっています。この時期、MTのみ53年規制に先行して適合、ATは51年規制のまま併売し、少し遅れて53年規制に適合というのは、トヨタ車では比較的多く見られました。





最初の見開き、右頁にはオート店の看板車種だったスプリンター。掲載されているのは1974年4月に発売された3代目。この時期は1977年1月にマイナーチェンジされた中期型となります。中期型に変わった時の主要変更点である、”ハードトップが追加されたことに伴う4ボディ構成”、”衝撃吸収バンパーの追加”、”新たなエクストラインテリア”は、この部分だけで表されていますね。

元々、オート店はスプリンターの発売を機に立ち上げられた販売系列でした。
当初はクーペ系のみ持っていたスプリンターも、1971年8月の一部改良時にカローラとはデザインを変えた4ドアセダンを新たに追加。以降、やや若者寄りのカローラの姉妹車という位置が定番となります。




左頁にはセダン。
元々クーペのみでスタートしたスプリンターですが、セダンの追加以降、販売の主力はセダンに移っています。カローラとスプリンターの関係においては、少なくともセダンは別ボディを持つのが伝統であり、その関係は最後まで続くことになります。

当時のスプリンターセダンは、カローラセダンではなくハードトップとフロントガラス等を共用することで、やや車高の低い設定となっていました。カローラと異なり、2ドアを持たず4ドアのみの点、よりノッチバック風味が強くなる点もスプリンターの特色。屋根の低さと相まって、ミニコロナ的にも映るというのは私感。

右頁にはハードトップ。
3代目の当初はカローラのみに設定されていましたが、中期型以降トヨタオート店にも並ぶことになります。

フルオープンになることが売りでしたが、セダンと多くを共用するパッケージングは、少なくともスプリンターにおいてはやや中途半端な立ち位置だったように感じます。次世代のハードトップでは、さらに車高の低いクーペ系の骨格を共用することで、居住空間よりスタイリング重視の方向に振れることになります。

内装は、こちらもカローラとはシート表皮が異なり、セダンとハードトップのみシート縫製とメーターの囲いも変えられています。カローラの囲いは角で、スプリンターは丸。マークII・チェイサーとは逆の設定ですね。

グレード体系は、チェイサーと異なり、スタンダードがない以外、カローラと名称違いだけの同じ構成となっていました。




左頁にはリフトバック。
3代目の当初はセダンとクーペという、共にカローラとは異なるボディシェルで独自性を主張していましたが、1976年1月に追加されたリフトバックでは、フロントマスクやリヤテール等を変え、両者に設定されることになります。

リフトバックという名称、クーペベースでリヤハッチゲートを備える点は、先行したセリカと同じでしたが、こちらはもう少しユーティリティ寄りの設定。デザイン含めて、ボルボ1800ESからの影響が少なからずあると見受けますが、日本初のシューティングブレークに思える成り立ちは極めて先進的と今視点では感じます。商品企画や営業側が主導して企画が進んだクーペとハードトップと異なり、リフトバックは当時の主査だった佐々木紫郎氏の提案だったようです。先進的に繋がる理由でしょうね。

リフトバックの余談。
唯一リヤテールが変更されていないこともあり、前期と中期の判別は難易度高の一つ。ボディカラーを別とすれば、フロントのエアカットフラップ程度かなと。

右頁にはクーペ。
当初は、ハードトップよりもさらに低いパッケージングは独自の存在であり、特徴でもありました。カローラ店が扱うセリカにも対抗できるスポーティなボディ形状が望まれたという背景があるからですね。

同じ理由で当初は1200を持たず、1400と1600のみで構成されていました。省エネの風潮が強まり、少し遅れて1200が追加されています。

中期型では、50年規制の導入時にラインナップから落とされたトレノが、ソレックスキャブに替わりEFIを採用することで51年規制に適合した状態で復活したことが話題となりました。この時、同時にリフトバックにもGTが追加されています。

スプリンターにハードトップ、カローラにクーペが追加されて以降、スプリンターはカローラの姉妹車としての立ち位置が強くなっていきます。クーペ系は、フロントマスクとリヤテールを別形状とするは、最後まで続く伝統ともなります。

1977年8月に1600がシリーズ初の53年規制に適合、続いて1200が1300に拡大され53年規制に適合しています。先に書いた通り、共に適合はMT車のみであり、AT車は51年規制のまま発売を継続。翌78年4月の一部改良時に遅れての適合となっています。




続いてはスターレット。この時の正式名称はパブリカ スターレット。
スプリンター同様、1973年4月にクーペが先行して登場。同年10月に4ドアセダンが追加されてシリーズが完成となっています。翌年2月には2代目が登場していますので末期型での掲載となります。

当初はベーシックカーとしての位置づけだったパブリカも、2代目以降は若年層を主としたエントリーカーとしての要素が強くなり、市場のスポーティ化・個性化指向を背景に追加されたのがパブリカ スターレットでした。

ジウジアーロの関与が噂されるスタイリングは、同年代の他車よりも明確さが感じられ、モデル末期ながらもあまり古い印象は感じられません。モデルチェンジを強いられた理由は、デザインよりパッケージングの方で、この頃台頭し始めていた2BOXと比べると一世代前の感は否めません。約5年の間にこのクラスに求められる姿が大きく変わったという言い方もできそうです。
デザイン的にはセダン、クーペ共にハッチバックが成立しそうではあり、仮にそうした設定としていたならば、もう少し延命できたのかもしれませんけれど。

当初は、1000と1200の設定がありましたが、51年規制の適合の際に1200のみに。クーペのみ設定されていたフリーチョイスも同時に廃止されています。モデル末期という事で1300への変更は行われていません。





トヨタのボトムレンジを受け持っていたのがパブリカでした。
初代は1961年の登場ですから、トヨタの中でも古参車種であり、この時点で既に16年が経過していました。

1969年4月に登場した2代目は、1972年1月、フロントに加えてセダンのみリヤのボディパネルを大幅に一新。元々はノッチバックだったデザインはセミファストバックへと変更されています。

一時期はスポーティなグレードもあったパブリカも、スターレットの発売後はベーシックなグレードのみに回帰しています。排ガス規制の導入まで1000が主力で1200が上級という設定でしたが、この時期には1200のみとなっていて、スターレットやスプリンターとの分けが曖昧になった感は否めません。

もっとも、2代目のスターレットは初代との継続性よりパブリカ後継の感が強かったりしますから、その成り立ちは否定できるものではなく。翌年のスターレットのモデルチェンジにより、パブリカはトラックのみ継続生産とされています。





オート店の隠れたドル箱が、このライトエースだったように思います。
カローラ店のキャブ型は、ミニエース → タウンエースという経緯ですし、他系列にも同クラスの取り扱いはなく。実際、街中でもよく見かけたように記憶しています。

当時のキャブ型によく見られたとおり、トラックが1970年11月に先行して登場。翌71年2月にバンとワゴンが追加されています。排ガス規制の緩かったバンとトラックは継続されたものの、ワゴンは50年規制の導入時に廃止されています。当時の同クラス他車と横並びで比較した時、先進性を感じるのはハイルーフの設定で、ワゴンを含めて後年にはハイルーフが主流となっていきます。

一時的ながらも、タウンエースをオート店でも扱っていた時期がありました。
タウンエース登場時のプレスリリースでは、バン1600もオート店で扱うとあるのですが、既にワゴンのみに絞られています。

こうして並べて見ると、タウンエースはライトエースをベースとして誕生したことは明らかで、フロントドアとスライドドアは共通部品にも映ります。K型エンジンしか搭載できなかったライトエースをベースに、T型エンジンを搭載できるよう、フロントセクションを中心にワイド化したのがタウンエースという関係。K型とT型のエンジンの高さの違いだけは吸収できず、1600ではフロントセンターシートが省かれ、替わりにコンソールボックスが置かれていました。乗車定員が一人減るのは、この種では結構痛い点にも関わらず、セパレートシートによる乗用車感覚というアピールに置き換えたのは宣伝の上手さですね。

バンとワゴンは、2代目・3代目とタウンエースとは独立した関係を続けた後、1992年に2代目タウンエースの兄弟車となります。トラックも別キャビンの時期を経て、やがて兄弟車の関係に。この2車、販売系列の撤廃により、昨年後発のタウンエースに統合となっていまして、両車の歴史からすると感慨深いものがあったりです。ワゴンの系譜、ノアとヴォクシーは統合の噂を経て、どうやら併存となるようですが。





裏表紙には各車の主要諸元表を掲載。
タウンエース ワゴンが外されている点に緩やかな主張を感じたりします。各車の掲載グレードは、最上級に限らず、売れ筋とも異なっていて、選抜が謎という話はあるのですけれども。

パンフレットに貼られていた販売店名は、トヨタ南東京オートということで初耳に近い存在。都区内の南部地域をエリアとしていたと推測しますが、軽くの検索では会社情報を得られずでした。港営業所として記載されている住所も、10年程前にタワーマンションの建築に伴う街区整理が行われているようで、当時の面影は皆無のようです。


以上が当時のトヨタオート店の総合パンフレットの全内容となります。

小型車上限の2000ccから200cc間隔で刻んでいき、ボトムの1200ccに達する所謂フルラインナップが構成されていたことが解ります。細かく見ると、ミドルクラスが不在となるのですが、チェイサーの廉価グレードで補うというのがお約束でもありました。

こうしたフルラインナップは、メインとなる車種を前面に出した販売系列が新時代に入った象徴であり、オート店は一早くその体制を整えたことになります。もちろん他系列がその動きを傍観で済ませる筈はなく、翌78年にはトヨペット店がコルサで大衆車クラスに参入、1980年にはカローラ店もセリカ カムリでミドルクラスに参入という形でフルラインナップに向けた動きが活発になっていきます。同年には、同じくフルラインナップを揃えたビスタ店の設立もあり。

もちろん、全て別車種では成立するはずもなく、その過程ではニューネームを掲げた兄弟車や姉妹車がどんどん増えていきます。それを受け止める販売側は顧客を系列内に留め置きやすくなる一方、他社以上に他系列との競合が激化していきます。新車の販売台数が右上がりの時期には、”戦いは数”が正義でもあったのですが、やがて台数が飽和し新車市場の縮小過程に入ると、こうした兄弟車は開発側のリソースを圧迫するようになります。

近年では、ビスタ店の統合程度で長らく販売系列を維持してきたトヨタすらも、他社に追随する形で系列を撤廃するに至ってしまいました。当時とは別の形で近隣の他社と競合を強いられてもいます。
今の市場環境からすると、系列があり兄弟車があるというのも、決して悪いことばかりではなく、特にバブル前後の時代には必要な存在だったとも認識するのですが、将来を含めて再現されることはないだろうとも思うところです。

当時の製品単体だけではなく、そんな時代背景も含めて懐かしんでいただけると、ありがたく思います。
Posted at 2021/10/31 07:09:04 | コメント(7) | トラックバック(0) | カタログ話(雑談編) | クルマ
2021年10月22日 イイね!

B14サニーのリーフレット

B14サニーのリーフレット10月も下旬になると、涼しいを通り過ぎて寒いという言葉が適当になってきます。暑さへの戻りがきっとあると予想したのですが、気温は多少の上下こそあるものの、今のところは順調に秋深くから冬へと向かっているようです。

さて、今回は書庫から一掴みの回となります。
車種・年代がランダムで詰まれているカタログ棚を見ていて、面白いお題かなと思いまして。

今回取り上げるのは、B14型サニーとなります。
タイトル画像に用いた"12マイル・サニー"のコピーを懐かしく思い出される方も多いかなと。
すっかり頭の片隅に追いやられた感こそ拭えないものの、そんなに昔ではないと認識していたのですが、数えてみたら登場から28年目に突入中。経過年数だけなら、旧車の域に片足入っている気もしてきます。

1990年代の日産車は総じて1980年代のモデルよりも評価が低い感が強いのですが、このクルマもその一台と言っていいでしょうね。同年代の日産車の中では、良くも悪くも目立たない感があるのも特徴の一つ。実際、販売成績の方も特筆すべきものは残せていません。とは言いながらも、モデル末期となる1997年以外はベスト10内に留まっていたのですから、不人気という判定も妥当ではなく。

忘れかけていたモデルを思い出す的にお付き合いいただければ幸いです。


今回は早めに、1994年1月に発行されたリーフレットを引用しつつでご紹介に入っていきます。


最初の見開きに代表グレードとなる2つが並べて掲載されています。

左側は、サニーの本流となるスーパーサルーン。
B12で従前のSGLエクストラに相当するグレードとして登場。以降は、サニーセダンの代名詞存在となってきました。

カラーは、ライトブルーイッシュシルバー。前期型のイメージカラーでもあり、この代のサニーで真っ先に思い浮かぶカラーというのは私感。それまではあまりイメージカラーに選ばれる事のなかった域のカラーであり、それが新鮮でもありました。イメージ構成に寄与はしたものの、販売比率自体はあまり高くはなかったような。まぁ自車にかなり似た色を選んでいる以上、私的には嫌うことのできないカラーではありまして。


右側には、スーパーツーリング。TypeSということで、さらにスポーティな装いとなっています。
先代ではGT-S、もっと歴史を遡るとGX系に辿り着く系列ですね。こちらは1600と1800のみの設定。1500のスーパーサルーンでもTypeSは選択可能で、タイヤ&ホイール等相違点もありますが、これに近い装いとすることは可能でした。TypeS自体、あまり見かけなかったように思いますけれど。
この後の歴史からすると、ブロアムとグランツーリスモ、メダリストとクラブS的な対比をここで狙うもありだったかもしれません。グレード設定があまり上手くなかった感は否めず。

こちらのカラーはダークグレー。濃色系はこの色のみということで、スーパーサルーンやEXサルーン等でも結構見かけたような記憶があります。





左側を開いた状態です。

その1のデザインは、B14で大きく変わったものの一つだと言えます。
B11からB12に変わる際、デザインやパッケージングをオーソドックスと言うべきか保守的な方向に振り、B13もB12の基本のまま進化させたという経緯でしたから、この変わりようは結構な驚きでもありました。
初代プリメーラが、日本のセダンの形を変える契機となり、それが好評だったことも後押しとなったのだろうと推測。

イラスト図にある変化のさせ方は、正しくプリメーラ的手法と言えまして、唯一ロングホイールベースが目新しくあり。出た時には、視覚的も含めて随分ロングホイールベースと感じましたが、その後のセダンの進化からすると、正しい選択だったと言えます。Cピラーを寝かせているのは、後輪の位置を後ろ寄りと感じさせない効果も狙ってと映りますが、トランクが短い点も相まって、何となく近年のセダンの造形への継続性も感じられたりします。
リヤコンビランプの位置も影響しているのか、リヤクォーター周辺だけ見ているとキャバリエ風味も感じられるのは興味深いところ。北米もマーケットの一つでしたから、海の向こうを意識したがあるのでしょうね。


その2の実用性として、大きなトランクルームと最小回転半径の小ささが挙げられています。
トランクの短さを補うべく、低い所から大きく開けることで補う構図ですね。プリメーラではリッドのステーを工夫した点も高評価の一つでしたが、こちらは従前からの構造。リヤクォーターは絞られていますので、開口部の広さを取ったという見方はできそうです。容量もありそうですが、サイズの記載はありません。

最小回転半径の小ささは、サニーの伝統でもありました。B11でFF化される際も、挙げられていた特徴となります。B14も2,535mmのホイールベースで4.6mですから、かなり頑張ったと言っていいと思います。さすがにこの数値は、13インチタイヤ仕様のみの限定だったようです。


その3の居住性はパッケージング一新で効果が現れたことの一つ。特に後席の足元スペースは、先代よりかなり広くなりました。2ドアのルキノの後席で移動したことがあるのですが、頭上空間こそ厳しいものの、お尻を前に出して座れるだけの余裕があったことを思い出します。後席足元の拡大は、前席シートを新開発したことも寄与しています。先代比でシート素材はかなり素っ気なくなりましたが、これは当時の精一杯でしょうね。





その4には、乗り心地の記載。
先代までのパラレルリンク式ストラットに替わり、新開発のスコット・ラッセルリンク機構を用いたトーションビームをFFのリヤサスに採用しています。同機構は、この後登場する日産の前輪駆動車でも多く採用されていますが、お初はこのB14サニーでした。
”マルチリンク”ビームと名付けたのが結構なポイントで、よく解らないけれど何となくスゴイ新時代の足回りと思わせる効果は絶大だったように記憶しています。S13以降のリヤサス、R32やP10のフロントサス、どちらもマルチリンクは高性能と認識させるに充分な成果を挙げていましたし。このマルチリンクビームは、性能よりも合理化優先での開発だったというのは、今振り返っての私感です。
記載の通り、ロングホイールベースはここでも効果を発揮しますね。


その5には、経済性として燃費の良さが謳われています。
この少し前に燃費計測の方法が、10モードから10・15モードに変更され、数値が上がる要因となったのですが、それを加味しても19.6km/L(スーパーサルーン MT車)の燃費は結構な驚きでした。サブネーム的に”12マイル”を謳った由来ですね。この代で1300と1500がインジェクション化されたことも数値に寄与している筈。
参考までに同時期のライバル車の燃費をMT同士で比較すると、カローラ SEリミテッド:17.0km/L、ターセル VX:19.0km/L、ファミリア RS:17.2km/L、インプレッサ CSエクストラ:15.8km/Lという具合でサニーは頭一つ抜け出ていました。


最後のその6には、当時注目を集めていた安全性が書かれています。
設計年次の新しさで、一早く助手席エアバッグが選択可能という有利はあったものの、運転席エアバッグとABSも含めてまだオプションでした。この後登場した2代目セフィーロの運転席エアバッグ標準が売れた理由の一つとなったことからすると、ここで安全装備の充実を謳うはありだった気はします。詳しくは後述しますが、コストの厳しいこのクラスでそこまでやれなかった事情も理解はしつつ。
この後、エアバッグやABSの標準化が急速に進むことになります。





裏表紙にはビジネスユースを想定したFEを除く全グレードが一覧で掲載されています。
この時期、トヨタの同クラスには4速MTと3速ATが廉価グレードに残っていたことからすると、全車5速MTと4速ATというのはユーザーフレンドリーでありました。

先代は豪華装備や質感の高さをアピールしていましたが、この時点では少し後退。スーパーサルーン名は継続ながらも、先代と比較すると、パワーアンテナやオートエアコンは落とされていました。スーパーサルーンGは、そうした点を補え、さらにカセットも標準となりますが、スーパーサルーンに17万円強のプラス。
価格こそ先代と同等ながらも装備を落とすという、こうした装備設定は不評で、僅か半年足らずのルキノ追加時に装備内容を見直したVシリーズが投入されることになります。
見開きと異なり、こちらはマッドガードレスだなと気付きました。調べてみると、サウンドパッケージに含まれるオプションだったようで。全く無関係に思えるサウンド類とのセットは不可思議で、さらに豪華になるラグジュアリーパッケージのみセット、あるいは標準でもよかったように思います。

スーパーツーリングのtypeS非装着の姿はこちら。フロントバンパーとタイヤ&ホイールが異なるくらいでスーパーサルーン以下との識別点は知る人ぞ知るの感はありました。
スーパーツーリングのこの姿は、機動捜査用の車両を思い出される方も多そうではあります。
こちらのマッドガードもサウンドパッケージに含まれるオプション。ただし、スーパーサルーンと異なり車体同色になる特典あり。走り系の装備は充実しますが、快適装備はスーパーサルーンに近い設定でした。



初期型のリーフレットからの紹介はこのくらいで。
このB14、初期の印象では決して悪くなかったように思います。先代の豪華で質感高く、さらにお買い得といったキャラクターからは大きく転換しましたが、シンプルで合理的というキャラクターは充分伝わるものがありました。歴代を振り返って考えてみると、実はB14での訴求は初代由来の伝統芸が久方ぶりに復活した形とも言えて。

プリメーラに続いてサニーがこのクラスの姿を変えるのかもという予感すらもあったのですが。

そんな予想とは裏腹に、このB14、初動から販売で躓きます。
最大の理由は、このクラスはモデルの魅力云々よりも価格競争の局面に突入していた点かと思います。

価格競争は三菱が最初に仕掛けて、トヨタと日産が大幅値引きで応酬、そこに価格破壊を掲げた値引きのマツダが加わるという構図が出来上がっていました。ホンダとスバルは価格競争からやや外れていた感はあるものの、完全に無視できたとも言えず。(関連話の回はこちら
B13は、当初こそ高級を掲げたものの、中盤以降は特別仕様車の設定等でお買い得を前面に出して、この大乱戦を善戦していた訳です。

そこに合理的な新型で魅力を訴求する、ここまではいいのですが、肝心の価格競争力が落ちては最後の選択に残れなかったのです。上で書いたVシリーズは、そうした初動販売の不振への対策でもありました。
何となくモデルチェンジを急ぎ過ぎた印象はあって、ルキノと同時に最初からVシリーズの陣容で登場していれば、もう少し状況は変わっていたのかも、なんて思ったりします。

ルキノはセダンとは一転して、お買い得価格を訴求していました。
特に最廉価のMMは、商品力と価格の両立の点で、ライバル車で対抗できるグレードは思い浮かばずの域にありました。最大のライバルとなるミラージュ アスティVよりお値段はやや上がるものの、+200cc、ATは4速、アスティ程女性向け訴求ではないといった理由で選ばれ易く。MMの価格(MTの東京地区車両本体価格が88.7万円)は、一クラス下のコンパクトとも重なるぐらいでしたし。

私事となりますが、このMMを買われた方が職場界隈で複数名。古い車からの代替だったり、お初の車だったり、プロフィールは多々でしたけれど、何れもお値段が最大の決め手というのは一致していました。当時オーディオを取り付けたり、乗せてもらったりというのもありまして、記憶に残る一台ではあります。インストパネルを外したりするとお値段の理由が垣間見えてくるものの、全般的には破綻もなくお値段の割にはよくできていたという印象も強く。


ルキノ話のまま、脱線しそうなのでセダンに話を戻します。

販売の不利は日産の陣容にも理由がありました。
プリメーラはプリンス店(チェリー店を含む)、プレセアはサニー店、モーター店というのが両車の発売時の配置でした。この両車、当初はプレセアの方が売れますが、翌年サニー店でもプリメーラを扱うようになると販売台数が逆転することになります。ブルーバードがU13へのモデルチェンジで台数を落とすと、さらにプリメーラの販売台数は伸びてもいます。

プリメーラ、市場評価も高く、売り易いモデルだったと言えます。そんな車がB14が登場した時点ではモデル後半に突入していて大廉売中。1.8Ciをベースにした特別仕様車が連発されてもいました。サニー、特にスーパーツーリング系で商談を始めるとプリメーラをいかが?となったことは容易に想像できます。スーパーツーリングが機捜に大量投入された背景でもありますね。

一方、下にはK11型マーチが存在。
こちらもコンパクトカーとして評価が高く、販売もサニー以上の台数を毎月計上していました。特に車には拘らない、あるいは最初の一台として選ぶには最適な存在でした。

上と下に売り易いモデルがあるのですから、販売系列名に掲げるくらいの主役でありながらも、販売に全力とならないのも当然ではあったのです。

B14の開発時点では、B12、B13とモデルを経る中で高齢化が進んでいたであろうユーザー層の若返りが視野にあったろうと推測します。B14の構成には、そうした思想の反映を感じもするところです。ところが、販売側はこんな事情ですから、新規ユーザーは系列内の他銘柄に流れ、結局は先代以前からの代替ユーザーに頼らざるを得ないとなる訳です。

B12やB13の既納顧客視点で見たB14、特に初期型は、その変わり方が受け入れられなかっただろうと思います。明らかに大きく変わり過ぎたなと。

もちろん日産は、そんな状況は即座に把握できますから、早速改良に乗り出します。Vシリーズ以降も、比較的大きな規模での変更が何回か入っていますね。


最終型と思わしき姿を、1997年12月に登場したリミテッドシリーズのリーフレットでご紹介。




初期型と比較すると、Cピラー以降を中心に結構大きく手が入ったことがご理解いただけるかと。プロポーションは変えず、ディテールの変更が主でここまで見え方が変わった点も特筆すべきでしょうね。




安全装備の充実ぶりも目を引きます。約4年の間で安全装備の水準が一気に上がったことの反映です。初期型でこの域を頑張っていればと感じさせる理由でもあり。




内外装色の設定も初期型からは大きく変わっています。明らかに想定年齢層が上がったことを感じさせる一方、歴代のサニーを乗り継いだカスタマーには安心をさせる設定とも言えそうです。

初期型と最終型、どちらがいいというのは見解が明らかに分かれる予感です。私的にはチャレンジ精神を評価して初期型に一票。
初期型に投じる理由は、この世代の変遷がE80カローラ/スプリンターのセダン系と重なって映るからもあります。初期型で挑戦し過ぎて、幾多の修正となる。挑戦の背景、理知的なパッケージング等、共通点も多かったりしますし。


かくして、日産は屋台骨の一つであるサニーを残すべく多大な尽力を払うのですが、時代背景はそんな尽力を軽く飲み込むほどの勢いで変遷していきます。

90年代初頭にブームとなったRV車は、一時的な人気という予想は外れ、セダン離れを加速させていきます。カローラ ツーリングワゴン、サニー カリフォルニアといった従前はサブの扱いだったモデルが注目を集めるようになるのが、この頃になります。

日産はそうした需要に応えるべく、ルキノハッチ、ウイングロードとこのシリーズに追加していくのですが、元々全く別のシリーズだったパルサー一族との境界線は曖昧になり、結局大きな成功とは言い難くありました。
この頃には、年々日産自身の財務状況が厳しくなり、やりたくてもやれないが段々増えていったという事情も存在しているのでしょうけれども。

結局、サニーはB14末期の方向性を受け継いだ次世代B15が最終となります。B14での混迷と迷走、特にユーザー層の若返りの期を逃したがサニーの終焉を早めてしまった感は否めずとも思うところです。

もっとも、少々厳しく書きつつ、B14って、意あって力足らず、あるいはコマが上手く揃わなかった一台と認識しています。少なくとも、同年代に多く見られた、従前の基本構成のままコストダウンを最優先にしたと映るクルマ達に含めるのは異議ありでして。サニーの私的歴代ベストは他の世代かなと思いつつも、B14を嫌いにはなれない理由です。

何れにしても、あまり顧みられることのない一台。ここでの取り上げが振り返りのきっかけとなれば幸いです。
Posted at 2021/10/22 19:50:58 | コメント(13) | トラックバック(0) | カタログ話(雑談編) | クルマ
2021年10月16日 イイね!

カローラクロス・アクアへの私的感想文ほか

年末での閉館が決定していることから、機会のあるうちにとお台場まで。

時間が限られていたこと、ビッグサイトで開催されたイベントの影響なのか意外と来場者が多かったことから、今回は特に気になった車だけを厳選。

ゆっくりと見るは、次の機会を待つことにします。





先ずは、こちらから。
今一番旬な車なのかなと思います。
ヤリス クロスではやや小さく、RAV4では大きすぎる、という要望の隙間を埋める、ど真ん中の企画と言いましょうか。受注は好調のようですが、部品供給不足の影響を受けて、納期が出せない状況となっているようです。キャラクターはやや異なることは理解しつつも、ポジション的にはトヨタ版CX-30とも言えそうで。

国内展開するにあたり、フロントフェイスを大きく変える等、スクープ記事から予想していたよりも力が入っていたりします。売れ筋という認識があるからこその変更なのでしょう。
売れる前提なら、1.8Lの展開のみに留めず、2.0Lの新世代ダイナミックフォースエンジンを搭載したグレードもあっていい気はします。この辺りは順列の枠内に収めている感は拭えません。生産体制が整った頃合で要望が強ければ、検討するとなるのかもしれませんが。

セダンとツーリングは国内を見据えてナローボディを仕立てましたが、こちらはスポーツ同様、ナロー化せずでの展開。
全高1,620mmは立体駐車場で制約される場面が想定でき、さらに全幅1,825mmとなると都内で使うには狭所や駐車等、大き過ぎて使い辛いと感じることはありそうです。絶対的なサイズは変えようがないものの、見下ろし方のポジションからはボンネットの大半が視覚に入りますし、乗降性も腰を上げるでなく足がそのまま着く感じ等、日常の使い勝手は他シリーズより使いやすいと感じる箇所も多かったりはします。
運転席から後方を振り返った時、クォーターピラーの太さには少々驚かされましたが、BSMや各種モニター等で補足すれば、直接の目視は少ないと考えられ、欠点という指摘には至らないかなと。

軽く眺めていて少々驚いたのは、履いていたタイヤの銘柄で、展示車は”MICHELIN PRIMACY4"を装着していました。自車と同じ銘柄であり、もう少しSUV寄りの製品が装着されていると思っていた次第。

ボディサイズに話を戻して少しの余談。
カローラ クロスのサイズ設定が、次期国内セダンとツーリングのボディサイズ拡大も見据えた観測気球に映るというのは、穿った見方でしょうか。こちらがシリーズ内の最多量販となると、このサイズが許容されたという論理展開がされ、次のセダンやツーリングはワールドサイズを共用するのかもと、何となく危惧したりするのです。

危惧と言えば、もう一つ。
私感だけで書くと、カローラ クロスよりカローラ トレックの国内展開を望ましく思っていました。現行ツーリング以上の後席や荷室スペースに加えて、SUVの順列から外れた新たな選択の提示に映ったのではないかなと。

トヨタが並べるSUV、特にハリアーからライズに至る各車が今のトレンドに乗っていることに異論はありません。ブームの先兵を務めたと理解するC-HRを除けば、統一感もある。でも、今の揃え方、人気には、過去の4ドアハードトップやミニバンの盛衰を重ねずにはいられません。どちらもユーザーが望むからという理由で、次々に新車種が投入されフルラインが形成されました。フルラインは終わりの始まりであるかのように、その後は下降線を辿り、前者は根絶やしに近い形で消費尽くされ、後者も多彩性は失われ一定の様式に収束することになりました。

SUVは流行ではなく既に定番、そんな見方もされていることは承知しています。この先の人気の推移は、、、今の新車マーケットで気になることの一つになります。






続いてはこちら。
実はモデルチェンジが行われると知った時に驚いた車でした。

プリウスCとして、海外へも展開されたのは既に過去の話。私的には、国内専売でヴィッツから転じたヤリスと併存させる必要性も将来性も見出せなかったのです。聞くところによると、先代が10年にわたって売れ続けたことで、既納ユーザーが多数存在。その数はモデルチェンジを行っても十分ペイするという判断だったようです。市場調査を入念に行うこのメーカーですから、恐らくヤリス等の他銘柄では吸収しきれない層が存在するのだろうなとは。

先代よりはるかに保守的に映り、またターゲットユーザーが不鮮明に思えるのも、既納ユーザーが多数存在するが故かと思います。先代が出た時点ではハイブリッドというキーワードに吸引力があり、特に初期はクラスレスの感すらありました。その点がダウンサイザーをはじめ、ユーザー層を拡大することに寄与したと理解しています。

それから10年という年月が経過した今となっては、ハイブリッドは既に当たり前の存在と化していて、むしろSUVというワードの方がクラスレス感に利いているように映ります。初期のアクアの役割は、今はヤリスクロスが担っていると考えています。
かつてのハイブリッド的な商品力を再びアクアに担わせるには、PHEV等の追加も考えられますが、現時点では時期尚早と判断されたようです。新型にはバイポーラ型ニッケル水素バッテリーという新技術が存在しますし、将来的にはPEHVも視野なのかなと推測するのですが。

私感だけで書いてしまうと、アクアの新型は、ターゲットユーザーをダウンサイザーに絞ってグレード設定をG以上のみとし、Zの更なる上級を設定した方がキャラクターも明確になり望ましかったと思っています。今の形なら、フリートユースはヤリスで吸収できたように思えて仕方ないのです。逆にフリートユースを重視するなら、カローラアクシオとフィールダーの新型の方が余程喜ばれたとも思いますし。

発表が重なった日産のノート・オーラ。車種数が限られるという今の日産特有の事情も垣間見えますが、プレミアム コンパクトという主張はノートからの変更点も絡めて理解しやすいと感じます。それだけに新型アクアで同じ領域を問うのもありだったのでは、とも。

先のカローラクロスと同様に、上にはカローラスポーツ、下にはヤリスが存在する中で中間にねじ込まれた感は否めません。車種構成全体を通しで見た時の収まりとしては良いのでしょうが、個の主張としては弱くなるような。

実はこういった車種構成、みん友さんが先に書かれて、なるほどといたく納得したのですが、以前のカローラII/ターセル/コルサの再来のようでもあるのです。
強力な上と下に挟まれて、独自性の確保に苦慮する、何となく新型アクアの姿とも重なります。

運転席に座って感じた点としては、一つはインパネはもう少し開放感重視でよかったのでは、もう一つはパワーシートを挙げることにします。
後者は、マニュアルと異なり無段階調整が可能になったのは加点対象と思うのです。問題は、ワンモーターに伴うスイッチ操作後のタイムラグで、マニュアル、パワーどちらにしろ従前の直ぐ動くに慣れた身には、どうしても違和感がありました。動き出せば滑らかに感じていて、慣れで補えればいいとは思うのですけれどね。

パワーシート関連でもう少し書くと、専用シート表皮になるのはいいのですが、内装色がブラック×ダークネイビーだけでは、オプションを選択させるには弱い感もあります。ライト系の色が選べたりすれば、特別感がさらに増すと思うのですけれど。先代の多彩な内装色を記憶しているだけに、今の内装色の設定は新型を保守的に感じる一因と思わざるを得ません。40系のカローラII/ターセル/コルサは、内外装のデザインやカラーバリエーションだけでも選択の理由として成立していた存在に映つるのですけれど。

厳しい書き方が続いてしまいました。。。
私事情を挟むと、そろそろ上がりのクルマというのを意識し始めなければいけない年齢に差し掛かりつつあります。都内在住や車庫事情等の理由もありますが、大きい車よりも小さい車へのダウンサイジングの可能性の方が段々高くなってもいます。ダウンサイザー予備軍の一人として、こうした層を狙う商品というのは、どうしても気になりますし、評価は自分目線も加わってきます。

少し擁護すると、成り立ちは決して悪くないと思います。扱いやすい5ナンバーサイズで、贅沢過ぎず、かといって我慢も感じさせないイイ線を突いているように映ります。自分が15歳年上でクルマ選びをすると仮定するなら、有力な候補の一台だったろうと思うのです。





MEGAWEBで、目に付いた展示車その1です。
初代プリウスは、量産型ハイブリッドの始祖という点が挙げられがちですが、パッケージングも実は特筆すべきところで、今見てもコンパクトセダンの理想形と強く感じます。近年は、このサイズのセダンがほぼ選べなくなってしまっただけに尚更とも。20年以上の年月の経過をあまり感じさせなかったりもしますね。

大荷物を滅多に積まない環境で暮らす身としては、トランクは室内と一体ではなく独立していた方がありがたいですし、後方や高さ等が限られたスペースにおいてはバックゲートよりトランクフードの方が開き易かったりもします。コンパクトセダンのこれまでの販売実績は知りつつも、需要がないの一言で片付けられるのも、今一つ納得は致しかねるのです。





MEGAWEBで、目に付いた展示車その2です。
ナンバープレートのとおり、トヨタ博物館の所蔵車ですね。

初代プリウスもそうなのですが、今の車と比較するとデザインはシンプルですし、何よりサイズの小ささに驚かされたりします。共に、今も車名が続くクルマ達ですが、随分大きくなったものだなと。

当時のEVですので、性能は推して知るべしの感はありますが、注目すべきはSUVベースで仕立てているところ。床の高さはBEVにとって都合が良いのでしょうね。



といったところで、緊急事態宣言が解除になったことで、最近休館から明けたMEGAWEBの展示車をお題に書いてみました。

冒頭に書いた通り、このMEGAWEB、残念ながらこの年末での閉館が決定しています。オープンは22年前で当初は10年間の予定だったことからすると、よく続いたとも言えるのですが、2013年に閉じたAMLUXの後を追うかのような首都圏の展示施設の閉館は残念でなりません。

22年はあっという間に感じますが、当初は車種数&ボディバリエーションの多さから全ての展示車が収まらなかったのに、今では車種数も絞られ、むしろ展示スペースを持て余している感があるのですから、年月は確実に経過しているのですね。

私は通勤や住居の関係から、AMLUXと併存していた時代にはこちらを訪れる機会は少なく、足を運ぶ回数が増えたのはAMLUX閉館後。新型車が見たくなったらここに、という感じでふらりと立ち寄れる場所でした。車に限らず駅に近いという便利さもありました。
先日の閉館の発表に驚いたのも束の間、緊急事態宣言に伴う一時閉館が続き、そのまま閉館となるのではと危惧していただけに、残り僅かながらも最後の開館となったことを今は喜んでいます。
年末までには、何とか再び訪ね、心の中で閉館を惜しみながら見送ろうとも思っています。

今の施設は周辺も含めて再開発により、数年後には新たな姿でお披露目となるようです。東京地区は、販売店の統合に伴う余剰施設ありと見受けていますが、MEGAWEBの後を継ぐような展示施設がどこかにできるのか、注視しているところでもあります。
Posted at 2021/10/16 06:49:34 | コメント(7) | トラックバック(1) | 新型車雑感 | クルマ
2021年10月12日 イイね!

1975年(昭和50年)のトヨタ新東京カローラの新車価格表から(後編)

1975年(昭和50年)のトヨタ新東京カローラの新車価格表から(後編) 当初想定していた以上に長くなったことで急遽2回に分けた話、今回は後編となります。

前編ではカローラを取り上げましたが、後編ではカローラ以外の当時の取扱車種と付属品や諸費用等に関する話となります。

それでは、前回の続きから。


先ずはミニエース。
1967年(昭和42年)に先ずトラックが登場。翌年にバンとコーチが追加されてバリエーションが完成しています。1975年末で生産中止となっていますから、この時期だと終期間近となりますね。

前回参考としたこちらの話によると、オート店の専売とありますし、オート店で取り扱っていたことを裏付ける看板の写真も掲載されています。一方で、車種別の紹介では取扱店はパブリカ店とありますし、この時期のオート店では取り扱っていなかったことも確認できています。
考えられる可能性は、当初はパブリカ店とオート店の併売でライトエースの発売に伴いカローラ店の専売となった、あるいはライトエースの発売と同時にオート店からカローラ店へ移行のどちらかかと思います。後者ならライトエースをカローラ店に投入する方が自然ですから、恐らく前者が正しいのだろうと推測します。

1975年末の生産中止の理由は排ガス規制の適合困難とされることが多いようですが、乗用車登録のコーチは別としてトラックとバンは継続可能だったろうと思います。軽自動車枠の拡大が決まっている中にあっては、古参モデルのミニエースを継続しても競争力が乏しくなることは確実、という判断があったのだろうとは。

それにしても、今視点でミニエース、特にコーチのスペックを眺めると、結構驚きではあります。全長3,585mm × 全幅1,380mm ×全高1,630mmのサイズで7人乗りですからね。車幅は今の軽自動車より狭く、車高だってワゴンR同等なのに、セカンドシートは3人乗り。このミニエースとドミンゴの7人、もう少し範囲を広げると初代バネットロングの10人やハイエース標準コミューターの12人、この辺りが多人数乗車の究極パッケージングと思っています。

もちろんキャブオーバーのバンを失ったままというのは販売店にとってはあり得ず、ミニエースが廃止となった翌1976年10月には、ライトエースを拡大したタウンエースが新たに投入されることになります。同じく排ガス規制の関係で生産中止となったライトエースワゴンの替わりに、バンの1600とワゴンのみオート店にも併売。この辺り、強かな商売と見るか、苦しい中の商品展開と見るか、見解は分かれそうですね。






続いてはセリカ。
当時のモデルはこちら。


LBが追加後、クーペのノーズがLBと同じデザインに変更された後となります。
50年規制が導入される直前のこの時期が、初代セリカの一番良かった時期と個人的には思っています。初代セリカのマイベストは、この時のクーペ2000GTを挙げます。LBの方が人気かなとか、クーペならノーズが変わる前というご意見も多そうですけれどね。
50年規制適合と同時に、フロントセクションを一新して、ノーズとホイールベースを延長、フロントトレッドを拡大したのはカリーナと同様。スタイリングだけなら、50年規制以降のも良いのですが、性能面の低下は如何ともしがたく。

価格表に掲載されている内、1400だけは内装デラックスということで、価格重視の仕様となっていますが、その他は組合せが固定となるGT系を除いても、外装STで内装カスタムSWということで豪華仕様で掲載されています。
初代セリカは、GT系以外は内外装のチョイスが可能ということを売りにしていたのですが、意外と売れ筋は偏っていたと聞いています。この掲載は、その辺りの反映があるのかもしれません。全てMTというのも、スポーティ寄りのスペシャルティと認識されていたセリカらしいと言えそうで。

STも多くはラジアルタイヤで掲載されていますが、GT系以外は本来オプション設定。ラジアルタイヤがチューブ付という点が珍しく映るかもですが、当時はまだスチールラジアルではなくテキスタイルラジアルというやつで、チューブ付で設定されていました。スチールラジアルとなるのは、この後の3代目マークII辺りと認識しています。

下級グレードだとカローラハードトップから少々の背伸びで買えて、最上級のLB2000GTとなると当時のスカイライン2000GTやフェアレディZと同等の価格設定でした。それでも、LB2000GTにエアコン付けて、今の価格で換算すると350万円相当ですからね。当時の若者には中々手の届かなかった存在と認識するのですが、今視点だと意外に安く映るのは、昨今の新車価格と絶版車の流通価格の両方の影響なのでしょうね。


当時のカローラ店の取扱車種は、これで全てとなります。80年代以降のカローラ店を知る方からすれば、何とも取扱車種が少なく感じられるでしょうね。
カローラでカーライフに入門し鍛えられたユーザーは、しばらくすると上級移行を望むようになります。そんなユーザーの指向に対して、カローラの高級化・上質化だけでは他系列流失を食い止められないと悟ったカローラ店の上層部は、やがてカローラよりも上級となる4ドアの追加投入を開発側に要望するようになります。カリーナEDの限定車の回で軽く触れたセリカ カムリに繋がる話ですね。





続いては、前編で既にコメントを頂戴したエアコンとクーラーの話です。
コメントの返信で既に書いてしまったのですが、ここで言うエアコンとクーラーの違いは、インダッシュか吊り下げの違いと同義です。
機能的には、どちらも冷房の単機能であり、暖房とのエアミックス機能は備えていませんでした。当然、除湿や頭寒足熱といったことは不得意で、夏の暑さから解放されるものの、雨の日の曇り取り等では難しい調整や寒さへの我慢を強いられました。同機能が登場して空調が一気に進化するのは、これまた3代目マークII辺りからとなります。

セリカのエアコンを今の価格に換算すると約40万円弱。最も安いカローラのクーラーでも約25万円強ですから、当時の車両価格と比較しても高額なオプションであったことは間違いありません。それだけに、見た目はエアコンの方が収まりがいいことを知りつつも、価格の点でクーラーを選択される方も結構いました。
機能観点で比較すると、どちらも単機能であり、エアコンも助手席足元には大きなエバポが鎮座、さらに吹き出し口はまだ高い位置に置かれる前となりますから、然程大きな違いはなかったりもしましたし。
クーラーは、さらにお安くで付けるなら、社外品という選択肢もあり、これだと当時10万円前後だったと記憶しています。

それでも新車時の装着率、セリカは若者が多数のスポーティカーということで少なく、カローラは1600でようやく検討されるぐらいで1200だと装着される方はかなり少ないだったのではないでしょうか。冷房を付けると動力性能が落ちて燃料も喰うという認識がされていました。当時のAT同様、大排気量の方が相性がいいとされていたのです。

冷房について、もう少し話を拡げてみます。
実は新車時だけの話では収まらず、この年代だと非冷房で購入したものの冷房が欲しくなる、あるいは中古車で商品価値を上げるのに冷房を装着するという事例も多くありました。中古車だとエアコン装着というのは、プライスボード脇の札で掲げるくらいのアピールポイントでしたし、頭に”純正”と付くのは尚更高評価となりました。後付だとお値段重視となり、社外品の出番も多かったですけれどね。

完全に余談ですけれど、父の初代マークIIのブレーキ換装をした友人、夏前には冷房取付請負人となり、同じく親戚・知人界隈では何人かお世話になっていました。「趣味半分でやっているから手間賃は気持ちだけで」とかでしたから。

そんな感じで本体は純正と社外が混在、ついでに取り付ける方の腕も職人と素人が並立といった具合で、折角付けた冷房の効きはある意味天任せなのかもというのも、時折聞いた話です。父の界隈、冷房の調達は純正から野良まで様々でしたけれど、寒くて助手席に乗っていられないくらい効くと全く効かない、両方あったことを懐かしく思い出すのです。

一時期のカーコンポやカーナビに近い印象を抱いた時期もありましたが、高額にも関わらずユーザーの多くが根狂した用品というのは、このエアコンがやはり空前絶後と言えるでしょう。カーエアコンでカー用品に商機を見出した家電業界は、純正化が進んだ80年代以降、新たな金脈をカーコンポに見出した、というのはあながち見当外れでもなかろうと思うところです。

エアコンはこの後、量産効果も効いて、標準装備が多くなる90年代初頭までほぼ同じくらいの価格で推移していますね。





ここまで取り上げてきた新車価格(店頭渡し価格)は、実は付属品込みの価格でした。公正取引委員会が介入して「車両本体価格の表示義務付け」「付属品価格の明記」「希望しないユーザーへの付属品抱き合わせ禁止」といった今に至る販売ルールが定まったのは、この後80年代初頭だったと記憶しています。導入初期は、指導対象にも関わらず、特に地方で従来の風習を踏襲していたディーラーがいくつかあったことが、今も続く月刊自家用車誌の値引きレポート等で書かれていました。明確な違反は、編集部が別途取材していたりもして。

その付属品ですが、セリカ用が30,000円、カローラ用が25,000円と当時の標準的な内容。トヨタ新東京カローラは愛車セットとフロアマットを一体で記載していたようで、分けて記載していた東京トヨペットの価格表を見慣れている身には、新鮮に感じます。

洗車用具や緊急措置用の用品は、必要に応じてカー用品店で揃えるのが今の主流となりますが、当時は新車付属品に含めるのが常識であり、またそれがディーラーの収益の一つでもあったのです。こうした愛車セットが外されるようになるのは、90年代半ば以降かと思います。


諸費用については、検査登録費用の安さが明らかな一方、車庫証明費用と納車費用はあまり今と変わらない気がします。下取り車の査定料も書かれていませんね。
あと、何より気になるのが、ライトバン乗用改造費。金額的に主に申請書類の作成費用と推測しますが、詳細は謎ですね。





本体に係る税金や自賠責保険料の一覧表となります。
代表的なカローラ1600で抜き出すと
 ●自動車税:24,000円(補正後:55,200円)
 ●重量税:20,000円(補正後:46,000円)
 ●自賠責保険料:35,350円(補正後:81,305円)
となります。

「自動車関連の税金がとにかく高い。」というのは、昨今よく聞く話です。そもそも当時と比較するのが妥当かという論はあるかもですが、その論は脇に置いた上で比較すると、相対的には決して高くないという結論になります。
当時は、自動車は生活の一部というより贅沢品と見做される事の方が多かったというのが理由の一つかと思います。高い維持費を覚悟の上で、それでも購入したくなる魅力があったという見方もできますけれどね。

乗用より貨物の方が税負担が少ないというのは、当時から今に至るまで変わりません。この辺りを指摘される方はあまりいませんが、生活の一部と位置付けるなら議論の余地はあるように感じます。物流優先という言い分も一理ありますから、是正すべきという結論とはしませんけれども。





価格表には、こんなものも掲載されていましたので、最後におまけ的にご紹介。

GE(ゼネラル・エレクトリック)のエアコンと冷蔵庫の価格表となります。
当時は自動車と直接関係のないこんなものも取り扱っていたのですね。東京トヨペットの価格表では掲載のないもので、これもまた驚きの一つでした。

昨今の両製品の価格と比較すると、実は一番価格差が生じているのかもしれません。ルームエアコンの冷房能力は今とは格段の差ですし、冷蔵庫は当時としてはかなりの大容量。半世紀近い年月の経過は、こうした部分にも明確に現れますね。



といったところで後編はいかがだったでしょうか。
前半と異なり、内容雑多かと思いますので、様々な視点でお楽しみいただければ幸いです。個人的には初期の冷房思い出話が書けたのが、少々嬉しくもありまして。

ここで販売されたクルマ達は、70年代末までは未対策車として中古車市場で人気を集めた後、80年代前半くらいから多くが淘汰されていきます。10年後も残っていたというのはかなり少なかったであろうことも、当時の街中の風景から思い返したりします。「新車の進化が速い」「耐久性も今よりはるかに弱い」「10年以上経過すると1年車検」等の理由から、今よりもはるかに短期間で街中から消えていきました。量産車の宿命の感もありますが、やはり大量に売られ、思い出だけを残して大量に消費される運命にあったのです。

今も残る極一部というのは、そうした時期を経過しそれでも残り続けたからこそ価値が見出されたのだと言えます。


半世紀近く前の新車販売最前線、当時を懐かしむ、あるいは当時を想像する一端となれていれば、ありがたく存じます。


【画像の出展】
FavCars.com
Posted at 2021/10/12 18:22:26 | コメント(6) | トラックバック(0) | カタログ話(雑談編) | クルマ
2021年10月07日 イイね!

1975年(昭和50年)のトヨタ新東京カローラの新車価格表から(前編)

1975年(昭和50年)のトヨタ新東京カローラの新車価格表から(前編) 忘れた頃に時折取り上げるものの一つが、当時ものの新車価格表を検証してみる話。今回はそんな回となります。

取り上げた理由としては、これまで取り上げた年の隙間ということもあるのですが、実は見れば見るほどに貴重な資料なのかも、と気が付きまして。カタログの付属物と見做して、あまり気にしていなかったのは不徳の至り。


参考までに、このシリーズで過去に取り上げた年のリンクを貼っておきます。
 1992年1985年(前編)1985年(後編)1978年1972年1968年

続いては、これまで通り、国家公務員の初任給から補正数値を算出してみます。

 ○平成31年 総合職(大卒):186,700円、昭和50年 上級(甲):80,500円(2.32倍)
 ○平成31年 一般職(大卒):182,200円、昭和50年 上級(乙):77,300円(2.36倍)
 ○平成31年 一般職(高卒):150,600円、昭和50年 初級:66,000円(2.28倍)

となります。2.3倍くらいを補正指数にして計算すると、現在の価値に換算できることになりますね。


1980年前後から、各販売系列はそれまでの半ば専売から、兄弟車を増やす形でフルラインナップ体制に移行していくことになるのですが、まだこの時期はその前夜でした。

今回取り上げるのは、これまでの東京トヨペットではなく、トヨタ新東京カローラの1975年(昭和50年)7月時点版。近年、トヨタの東京地区のディーラー網は、多くがトヨタモビリティ東京に統合となっていますが、それ以前にもあまり聞き馴染みのなかった社名です。

軽く調べてみたところ、カローラ店の前身となるパブリカ店は、設立の際にオープンテリトリー制を掲げたため、販売店が乱立。その後、東京地区はトヨタ東京カローラが今も残るトヨタ西東京カローラ以外のカローラ販売店を吸収合併し続けたという経緯のようです。今回のトヨタ新東京カローラは、吸収合併の最後となった社で1987年(昭和62年)まで存続していたようです。

当時の店舗所在地等は不明ですが、そんな歴史からすると、今のトヨタモビリティ東京には、トヨタ新東京カローラ由来の店舗があっても不思議ではないような。これまでの調べでも、系列が変わっても店舗の場所は同じという事例が多数確認できていますし。

調べたついでで判ったことも、備忘録的に記載してみます。
【パブリカ店からカローラ店への店名変更の経緯】
 1.パブリカ発売に際して新系列となるパブリカ店を設置
 2.パブリカ店に、新型車カローラを追加
 3.カローラ販売開始後、パブリカ店の販売規模が急激に増大
 4.カローラの増販計画は、パブリカ店の増強を超える恐れが出てきたため、新型車カローラスプリンターの発売に合わせて新系列オート店の設立を決定
 5.オート店は当初、カローラセダンとパブリカセダンを併売
 6.2代目パブリカはオート店の専売に移行。同時に既存のパブリカ店はカローラ店に店名を変更。

 ※この部分、参考とした資料はこちらこちら

スプリンターは1971年(昭和46年)のマイナーチェンジまで2ドアクーペのみで販売されていましたし、4代目コロナのハードトップ(RT90)は当初従前からのトヨペット店に加えてオート店も取り扱っていたという経緯があったりします。取扱車種からすると、カローラ店とオート店で取り扱うクラスこそ重複するものの、前者はファミリーユースを重視、後者はヤングユーザーを重視という大まかな分けがあったことを想像させられます。間もなくモデルチェンジが行われる予定のノアとヴォクシーにはその片鱗が残っていたりしますね。

軽い前段のつもりが長くなってしまいました。
ここからは本題の価格表についての話に入っていきます。
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先ずは当時の代表的取扱車種となるカローラセダン。
当時のモデルはこちら(ただしカローラ20は輸出仕様)
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この時点では、現行モデルに加えて、廉価グレードのみ先代モデルが併売されていました。形式名から、前者が「カローラ30(さんまる)」、後者が「カローラ20(にーまる)」 という呼び名の分けが便宜的に行われてもいて。

併売の理由に価格上昇を挙げられることが多いのですが、当時の価格で2.5~3.0万円弱、今の価格に換算しても5~6万円ですから、これだけを理由とするのは苦しい感が否めず。
カローラ店の入門車かつ屋台骨でもあったカローラですから、モデルチェンジに伴うサイズアップへの懸念も理由に添えてあげるのが妥当なように思います。この時のサイズアップは、全長こそ3,965mm → 3,995mmの30mmプラスに留まるものの、全幅は1,505mm → 1,570mmへと65mmという結構なプラス。ホイールベースとトレッドの拡大に伴い、最小回転半径も4.5m → 4.7mに増えたりもしていますし。
パブリカとスターレットを扱っていたオート店では、その辺りの懸念は無用と言え、事実スプリンターは併売という選択はされていません。

販売の最前線では、サイズアップに伴う重量増(1200デラックスで755kg →795kg)を逆手に取って「にーまるの方が走りも燃費もいい」というセールスも行われていたようです。オイルショックの影響から、ガソリン価格の急騰や休日の休業等が生じていましたから、意外と効果のあるアピールだったであろうと推測。

併売の理由をさらに書き添えると、モデルチェンジ直前に勃発したオイルショックに起因するモデルチェンジ不要論もその一つに入れたくなります。余談の感もありつつで記してしまうと、モデルチェンジは4年毎、マイナーチェンジは中間にあたる2年というのは、21世紀初頭まで長く続いた風習ですが、そのサイクルが決まったのは、この時が切っ掛けとなります。オイルショックの前までは、アメリカに倣ったモデルイヤー制が行われていて、ほぼ毎年のように変更が行われてもいました。

本題のカローラ30は、そんな世論に反してのモデルチェンジと受け取られたことから、駆け込みの認可申請&許可ではないのかと、国会で取り上げられた経緯もあったような。20の併売は、単なるモデルチェンジではないと位置付けるためという理由も含まれていたという話を読んだような、おぼろげながらの記憶があります。

世論に反しての強行にも映るこの時のモデルチェンジは、商売的には大正解で、オイルショック直後の販売不振からの立ち直りに新型車効果が相乗。排ガス規制前の駆け込みも加わって、カローラ30は絶好調の販売を続けることになります。カローラの販売台数の最高記録は1990年となりますが、この年もそれに匹敵する販売台数を計上していたり。(というか、1990年の販売においては、それまでの最高台数だった1975年を超えろというお達しがあったことを想像させられるような)

車幅の拡大は、厳しくなることが予想された排ガス規制への適合に際して、特にエンジンルームへの補機類の追加を見込んだというのが主な理由だったようです。実際、カローラ20は、生産が継続されたバンを除いて50年規制の導入時に生産中止となっています。もっとも20のコンポーネンツを流用したダイハツ シャルマンは、その後53年規制まで適合して長らく生産されてもいますから、先の見通しが立たない中で厳しめに見込んだのだろうという推測も立ちますけれど。販売面からは、特にセダンの方はほぼ30への移行が受容され、20は当初の役目を終えていたため、50年規制への対象から外されたが大きいように思います。

大型化を主とする上級移行は、それまでカリーナやコロナ等、上級車種を扱う他系列へ流出していた顧客層を一時的に繋ぎ止める効果がありました。ユーザーが日増しに豊かになる中では、それでも上級車種への要望を完全に抑止したとは言い難く、後年オート店にはチェイサーが、カローラ店にはセリカカムリが投入されることになります。

実質的なファミリーユースのエントリーグレードとなる30の4ドア1200DXが70万円、最上級の4ドア1600GSLが90万円ですから、今の価格だと160万円~210万円相当となります。価格からすると、現行カローラというよりはルーミーの方が売れ方も含めてポジションとしては近いのかもしれません。

価格表内の()は、MOP設定を店頭渡しの時点で装着していた装備となります。スタンダードのラジオはビジネスユースでも需要が高かったでしょうし、Hi-DXの熱線や時計は、このグレードを選択するなら含むべきという認識だったのでしょうね。



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続いてはカローラハードトップ。
当時のモデルはこちら
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先代まではスプリンターと前後のみ変えたクーペボディを共用していましたが、この代になって、スプリンターにはセンターピラーを残しつつも低全高対応でパッケージングを変えたクーペ、カローラにはセダンのパッケージングを踏襲しつつもセンターピラーレスとしたハードトップという形で仕分け整理が行われています。

ハードトップの車高は、カローラセダンとの対比では25mmのマイナスとなりますが、実はスプリンターセダンとは同数値。スプリンタークーペはそこからさらに40mmのマイナスでした。スプリンタークーペには、オート店版セリカの役割も担わせたかったのでしょう。この辺りは販売店主導の感もあります。

セダンに近いハードトップというのは、意外と巧みなコンセプトだったようで、2ドアセダンの一種として、ファミリーユースで使われる事例も当時は多く見たように記憶しています。セダン同様、ハードトップもSLやGSLよりDXやHi-DXの方が多かったように思いますし。セダンの価格表で判る通り、当時は2ドアと4ドアが並列で選択可能だったのですが、50年規制の導入後は2ドアセダンの設定が縮小されていきます。この点も2ドアセダンの需要がハードトップやクーペに移行したことを想像させます。

20のクーペは、セダン&バンと異なり先代の併売は行われませんでした。生産工場の都合があり、またこの種のボディはスタイリングが命でもありますから、必要性は少ないと判断されたのでしょう。クーペで先代を一番惜しんだのはモータースポーツ界隈であり、ボディの大型化に伴い先代比で55kg重くなったレビン&トレノは、同界隈では先代の活躍が続いたという点は書き添えておくことにします。

レビンの価格は、後編で掲載する予定のセリカGTVの価格に匹敵。37レビンの販売台数が少ないというのは比較的有名な話ですが、こうした当時の資料を調べてみるとなるほどと思わされるものがあったりします。もっとも、今の価格換算では250万円未満となるのですから、隔世の感は一際です。末裔にあたる86は、もっと上の価格帯となりますからね。





前編の最後はバンとなります。
当時のモデルはこちら


バンも廉価グレードのみに絞る形で先代モデルの併売が行われていました。まだ幼い時分に貰った1977年版のカローラ店の総合カタログでは20バンの掲載が当然あって、今回記したような事情を知らない子供心には「何で旧型が掲載されているのだろう?」と不思議に思ったということを思い出します。
一方の30バンは、従前からの1200の他、新たに1400を加えたことがトピックに。1400ではATも選択可能となりました。先代も後期モデルにおいて、Hi-DXを追加していましたので、バンであっても上級指向は存在していたのでしょうね。

今回の資料で最大の発見だったのは、5No.改造の文言。60年代等でバンを5No.登録できたというのは知識として持っていましたが、この年代でも可能だったというのは意外な驚きでした。

当時、クラウン、セドリック、マークII、スカイライン、ブルーバードU等にバンとボディを共用したワゴンがバリエーションにあるのに、もっと台数が見込める筈のカローラやサニーに設定がなかった点が長らくの謎だったのですが、これで納得も出来ました。

商用車の排ガス規制は、乗用車よりも先延ばしの形が取られていますので、この年代が最後に5No.登録が出来た時期と判断して間違いないでしょう。商用車はしばらく触媒レスが続いていますから、排ガス適合が可能だったとは思えませんし。

制度上で5No.登録が可能だったことは判ったものの、実際に5No.登録した例がどれぐらいあったのかは謎です。当時の記憶でも5No.で見かけた記憶はないのです。税金が上がる選択ですからね。長い年月が経過した後には、NOx規制の適用可否の分かれ目となるのですが、当時は想像もつかなかっただろうなとは。

この型のバン、当時も乗用車と同じくらいの頻度で見かけましたし、その多くは社用車や個人事業主でした。父の知人・友人界隈だと、セダンでは望めぬユーティリティが評価されて、乗用でバンを乗っているという人も散見されたりはしましたが。当時のカタログで比較しても、最上級となる1400Hi-DX等であれば、セダンとあまり変わらずの装備が揃っていて、ワゴンとしての使い方が可能だったように思います。

当時の価格、60万円~80万円は、今の価格で換算すると140万円~180万円相当となって意外と今のプロボックスの価格と重なったりします。


といったところで、前編はここまでとし、残りは後編として先送りすることにします。書き始めた段階では、一回で完結する想定だったのですが、あまり取り上げないカローラ店がお題ということもあるのか、思った以上に文量が膨らんでしまいまして。

数えてみると、もう数年で半世紀に達しようかという年。ここを見ている方でも当時を実体験されている方は少ないような気もします。そんな年に想いを馳せる端緒となり、また後編への備えとしていただければ幸いです。


【画像の出展】
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Posted at 2021/10/07 22:23:38 | コメント(8) | トラックバック(0) | カタログ話(雑談編) | クルマ

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