どうも(^^ゞ
とうとうGW(ゴールデンウィーク)も最終日になってしまった。
最終日の大型連休であるが、相変わらずTVからUターンラッシュの交通情報が流れている。
中高高速:小仏付近20km
東名高速:大和トンネル付近15km
関越:高坂SA付近10km だそうだ。
新幹線もほぼ満席・・・・・今回もこのような情報に無縁な「ズボラなおじさん」である。
さて、
大阪城へ行ってみた(正確には大阪城の天守閣にはいっていない)の最終回である。
京橋口を後にして、西外堀を左手に先へ進む
大手口手前の「千貫(寛)やぐら」を通過し大手口に向かう。
大手門は西外堀(水堀)と南外堀(水堀)との境にあり、大手門まで幅が広く若干登り坂となっている。
肝心の大手門と言うと、何か幅が狭い。
狭い門をくぐると「枡形」に出る。
内側からその大手門を撮った。
バックの高層ビルとは対照的な印象を受けるが・・・・・。
この門の左右には、分かりにくいが小窓が沢山設置されている。
良く時代劇で見る鉄砲や矢を放った窓なのかね?
この枡形には、大阪城の威容を誇示する巨石が多く使われている。
門をくぐるとその枡形の先に巨石が行く手を阻むかのように現れる。
最初に目にするのは「大手見付石」(おおてみつけいし)である。
表面積は、約29畳敷(47.98平方メートル)だそうだ、それでも城内第4位だそうだ。
さらに「大手二番石」は、約23畳敷(37.90平方メートル)で城内第5位の石があったり。
「大手三番石」なる、約22畳敷(35.82平方メートル)の城内第8位の巨石が乱立している。
いずれも砕石地は、瀬戸内海の小豆島と推定されているそうである。
圧倒されてしまうのである。
巨石の左に目を向けると
「多聞櫓」だ。
大手口の枡形の石垣の上に建つ櫓である。
大門の上をまたぐ渡り櫓とその右側に直角に折れて接続される「続き櫓」によって構成されているとのことである。
ココにはこの大門をくぐって攻めてくる敵を真上から攻撃する「槍落し」なる装置が設けられていたそうだ。
とても高い防御能力を備えていた櫓だったらしい。
高さは14.7m、建物の総面積は710.25平方メートルと大きく、現存する「多聞櫓」でもあるそうだ。
この門をくぐる時、思わず真上を除いてしまった。
「槍落し」の洗礼も受けることなく、先へ進むとやはりクネクネ左右に道が続きやがて空堀に出る。
南側は、「桜門」をはさみその両側の堀は、何故か空堀となっているそうである。
ここで、初めて「空堀」なる堀を知る。
諸説あるが説明によるともともと空堀になっていたらしい。
大阪城を攻め落とした徳川が埋めたのでは?と言うことであるが、どうも違うらしい。
「多聞櫓」の「槍落し」をもすり抜けた強者たちを待ち受ける罠かね?
「桜門」にも同じような仕掛けがあると考えてもおかしくない。
そんな空堀と大阪城天守閣を左手に先を急ぐと突然広場に出る。
右側には、「修道館」なる道場が現れる。
道場からは稽古中なのか?激しい竹刀が交わる音が聞こえてくる。
更に進み、空堀を左に曲がると、東堀(水堀)が突然現れる。
右手は梅園となっているが、今回は中へ入らなかった。
この東堀(水堀)を左手見ながら進むと急な下り坂になる。
自転車も押して登らないとキツイぐらいの急な坂が100mほど続く下り坂である。
当たり前だが、反対側からは上り坂になるわけで、攻める敵も大変だったと想像する。
上の画像は、やっと平らな土地についたところから眺めた城壁(石垣)である。
手前に解りずらいだろうが、水鳥が羽を休めている。
平和な時代に暮らしていることに改めて感謝しつつ、最初に入ってきた「青屋門」に着いた。
また、訪れることを自分に言い聞かせ「青屋門」を後にした。
大阪城公園駅から大阪環状線で大阪駅へ向う。
大阪駅から新大阪へ一駅継いで、東海道新幹線で帰路についた。
次回は、また模型談義である。
以前、中断していた「ダイナマイトワーゲン」を完成させたい。
長文にお付き合い頂きありがとうございます。
GW(ゴールデンウィーク)の間の暇な時間を過ごさせて頂きました。
ではまた。
Posted at 2015/05/06 08:32:07 | |
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