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momo太のブログ一覧

2015年05月06日 イイね!

大阪城へ行ってきた(#3)

どうも(^^ゞ

とうとうGW(ゴールデンウィーク)も最終日になってしまった。

最終日の大型連休であるが、相変わらずTVからUターンラッシュの交通情報が流れている。

中高高速:小仏付近20km
東名高速:大和トンネル付近15km
関越:高坂SA付近10km  だそうだ。

新幹線もほぼ満席・・・・・今回もこのような情報に無縁な「ズボラなおじさん」である。

さて、

大阪城へ行ってみた(正確には大阪城の天守閣にはいっていない)の最終回である。

京橋口を後にして、西外堀を左手に先へ進む



大手口手前の「千貫(寛)やぐら」を通過し大手口に向かう。

大手門は西外堀(水堀)と南外堀(水堀)との境にあり、大手門まで幅が広く若干登り坂となっている。

肝心の大手門と言うと、何か幅が狭い。

狭い門をくぐると「枡形」に出る。

内側からその大手門を撮った。



バックの高層ビルとは対照的な印象を受けるが・・・・・。

この門の左右には、分かりにくいが小窓が沢山設置されている。

良く時代劇で見る鉄砲や矢を放った窓なのかね?



この枡形には、大阪城の威容を誇示する巨石が多く使われている。

門をくぐるとその枡形の先に巨石が行く手を阻むかのように現れる。

最初に目にするのは「大手見付石」(おおてみつけいし)である。

表面積は、約29畳敷(47.98平方メートル)だそうだ、それでも城内第4位だそうだ。

さらに「大手二番石」は、約23畳敷(37.90平方メートル)で城内第5位の石があったり。

「大手三番石」なる、約22畳敷(35.82平方メートル)の城内第8位の巨石が乱立している。

いずれも砕石地は、瀬戸内海の小豆島と推定されているそうである。

圧倒されてしまうのである。

巨石の左に目を向けると



「多聞櫓」だ。

大手口の枡形の石垣の上に建つ櫓である。

大門の上をまたぐ渡り櫓とその右側に直角に折れて接続される「続き櫓」によって構成されているとのことである。

ココにはこの大門をくぐって攻めてくる敵を真上から攻撃する「槍落し」なる装置が設けられていたそうだ。

とても高い防御能力を備えていた櫓だったらしい。

高さは14.7m、建物の総面積は710.25平方メートルと大きく、現存する「多聞櫓」でもあるそうだ。

この門をくぐる時、思わず真上を除いてしまった。

「槍落し」の洗礼も受けることなく、先へ進むとやはりクネクネ左右に道が続きやがて空堀に出る。

南側は、「桜門」をはさみその両側の堀は、何故か空堀となっているそうである。

ここで、初めて「空堀」なる堀を知る。

諸説あるが説明によるともともと空堀になっていたらしい。

大阪城を攻め落とした徳川が埋めたのでは?と言うことであるが、どうも違うらしい。



「多聞櫓」の「槍落し」をもすり抜けた強者たちを待ち受ける罠かね?

「桜門」にも同じような仕掛けがあると考えてもおかしくない。



そんな空堀と大阪城天守閣を左手に先を急ぐと突然広場に出る。

右側には、「修道館」なる道場が現れる。

道場からは稽古中なのか?激しい竹刀が交わる音が聞こえてくる。

更に進み、空堀を左に曲がると、東堀(水堀)が突然現れる。



右手は梅園となっているが、今回は中へ入らなかった。

この東堀(水堀)を左手見ながら進むと急な下り坂になる。

自転車も押して登らないとキツイぐらいの急な坂が100mほど続く下り坂である。

当たり前だが、反対側からは上り坂になるわけで、攻める敵も大変だったと想像する。

上の画像は、やっと平らな土地についたところから眺めた城壁(石垣)である。

手前に解りずらいだろうが、水鳥が羽を休めている。

平和な時代に暮らしていることに改めて感謝しつつ、最初に入ってきた「青屋門」に着いた。



また、訪れることを自分に言い聞かせ「青屋門」を後にした。

大阪城公園駅から大阪環状線で大阪駅へ向う。



大阪駅から新大阪へ一駅継いで、東海道新幹線で帰路についた。



次回は、また模型談義である。



以前、中断していた「ダイナマイトワーゲン」を完成させたい。

長文にお付き合い頂きありがとうございます。

GW(ゴールデンウィーク)の間の暇な時間を過ごさせて頂きました。

ではまた。

















Posted at 2015/05/06 08:32:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 気まぐれ | その他
2015年05月05日 イイね!

大阪城へ行ってきた(#2)

どうも(^^ゞ

GWも残りわずかとなったが、ゆっくり休むことが出来そうである。

家族からもお誘いの声がかからず、1日中ウダウダしているのである。

箱根方面はなにやら立ち入り禁止の区域があるそうだ。

温泉たまごも販売中止とか?観光業界には厳しいGWになってしまったと思う。


さて、

大阪城の続きであるが。



内堀に沿って先へ進む。

この内堀は本丸を囲む北側にある堀であるが、見て分かる通り水堀である。

※水堀である・・・・と言うことは水の無い堀もあるのか?(この時はその存在が解らなかった)

寛永元年(1624年)の徳川幕府による大阪城再築の第二期工事により、豊臣時代の本丸の土地を盛り土をして城壁(石垣)が築造されたそうだ。

第二期?・・・・・・この時代にも第一期や第二期といった工事の仕方をしてたのかね。

この堀の総延長は約2.7kmで東側の城壁(石垣)の高さは水面から24mだそうだ。

訪れたとき水面の量が少ないようにみえたので、それ以上あるのかもしれない。

本丸内には堀の角地に三層の櫓が11棟、二層の櫓が2棟あったそうだが、明治維新の大火で全て焼失したらしい。

更に進むと道は、その内堀から離れるように右に曲がり森の中へと続いていく。

左側にはコケに覆われた石垣が見える。

内堀から離れ、左右に曲がりながら進むと、突然明るく視界が開ける。

京橋口の枡形なのかもしれない。



しかし、なんとどでかい石が出迎える。

その巨石が半端ないのである。

ここの正面にある巨石は、表面積がなんと畳33畳敷きだそうだ。

現代ふうに表現するなら、54.17平方メートルあるらしい。

この数値にピンとこないが、都内では1戸建てが建てられるスペースかもしれない。

この大きさでも城内では第2位の巨石らしい。



この枡形の区画の石は、「肥後石」であると言うことであるが、さらにここには畳22畳敷の巨石もあるらしい。

現代ふうに表すと36.00平方メートルだ。

城内で第7位だそうだ。

なんでわざわざこんな巨石をここへ持ってきたのか不思議である。

どうやって「肥後」から石を運んだのかね。

そんなことを考えながら「京橋口」から外堀の外側に進む。

確かにどデカイ巨石だけど、敵の攻撃には十分耐えるだけの効果があったのだろう。

家臣や周囲の武将たちに披露して権力を誇示したのかもしれない。

戦艦「大和」などで行った砲艦外交みたいな「武器などの装備をみせて強さをアピール」する効果があったのかもしれない。

※「ズボラなおじさん」の勝手な考えである。

さて、

京橋口は、大阪城の西北の出入り口だそうだ。

北方の寝屋川「旧大和川」に京都へ通じる「京橋」があったことから「京橋口」または「京口」と呼ばれていたらしい。

右側は北外堀、左側が西外堀を見ながら先へと進む。

ここにある枡形はさらに先にある「大手口」同様に多聞櫓と言う櫓の名所があったそうだが、昭和20年の空襲いよって全焼してしまったそうだ。



西外堀を左手にみて先へ進むと現代の建造物と堀を隔てて過去の世界を同時に見比べる空間がしばらく続く。

大阪城の城壁(石垣)の角にあるのが「乾やぐら」だそうだ。

外堀は過去には敵の侵入を阻止する役割をしていたのかもしれないが、現在は殺伐とした現代空間から清楚な空間を守っているのかもしれない。

更に進むと「大手口」の手前から、ちょっと天守閣が顔を覗かせる。



色々な角度から眺める天守閣であるが、正直天守閣までの距離感覚が解らなくなる。

近くに見えたたり、遠くに見えたりと敵の目をだましたのかもしれない。


ようやく大阪城を半周したところである。

この続きは次回へ

次回は、「大手口」から紹介したい。












Posted at 2015/05/05 07:39:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 気まぐれ | その他
2015年05月04日 イイね!

大阪城へ行ってきた

どうも(^^ゞ

今日も朝から各高速道路の渋滞予想が流れている。

「ズボラなおじさん」とは無縁の話題である。

が、渋滞の中に居る方は事故の無いよう注意していただきたい。


GW(ゴールデンウィーク)も後半であるが、この連休前に大阪城へ行ってきた。


<概要>

通称「太閤さんのお城」とも呼ばれているが、1959年(昭和34年)の大阪城総合学術調査において、城跡に現存する櫓や石垣などは徳川氏、江戸幕府によるものであることが分かっている。

大坂城は、上町台地の北端に位置する。

かつて、この地のすぐ北の台地下には淀川の本流が流れる天然の要害であり、またこの淀川を上ると京都に繋がる交通の要衝でもあった。

元々古墳時代の古墳があったと言われ、戦国時代末期から安土桃山時代初期には石山本願寺があったが、1580年(天正8年)に石山合戦で焼失した。

石山合戦終了後、織田信長の命令で丹羽長秀に預けられ、後に四国攻めを準備していた津田信澄が布陣したこともあったが、信澄は本能寺の変の際に、丹羽長秀に討たれた。

その後、清州会議で池田恒興に与えられるも、ただちに美濃へ国替えとなり、秀吉によって領有された。そして秀吉によって大坂城が築かれ、豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となったが、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失した。

徳川政権は豊臣氏築造のものに高さ数メートルの盛り土をして縄張を改め再建した。

その後、江戸幕府が大坂城代を置くなど近畿地方、および西日本支配の拠点となった。

姫路城、熊本城と共に日本三名城の一つに数えられている。
<Wikipedia より>

なるほど。

度々、修復は行われていると思うが現存していることに驚く。

現在は、人々の憩いの場所であったり、社交の場でもあるが、過去には色々な人々の手で拡張されてきたり、改築されてきたことがこれによりわかる。

そんな大阪城を訪ねた。



コースはこんな感じで1周してみた。



現在は幕末期の櫓や門などが現存し、城跡は国の特別史跡に指定されている。

昭和初期に復興された天守は登録有形文化財になっている。
<Wikipedia より>

と言うことなので、重要な文化財であることを頭の片隅に入れてさぁ「行ってみよう」

まず、大阪環状線の京橋駅(大阪城へは大阪城公園駅からが便利)方向から攻めた。

淀川の枝川の橋を渡り、右手に大阪城ホール、左手に野球場・太陽の広場を見て進む。

200mほど歩くと東外堀に出る。

その外掘りを右に曲がり、今回は反時計回りで進むことにする。

左側に外堀の城壁を眺めつつ、ほどなくして北外堀との境に当たる北の入り口「青屋門」が見える。



この「青屋口」は大阪城の二の丸の北側に位置している。

各門には枡形区画なる敵の侵入を防ぐ区画があるそうだが、この「青屋口」の枡形区画はほかの二の丸にある各門とは異なり外側にあるそうだ。

この枡形のことを「外枡形」と言っているらしい。

かつては、この「外枡区画」の外側に水堀があり、そこには出し入れ自在な「算盤橋」があったそうである。

非常時以外は引き込んでいたそうだが、それを考えるとその「算盤橋」が一つの入り口で、内側に「枡形区画」があって、さらに「青屋口」があったと思えばなんとなくその造りも理解できる。

これは、あくまで「ズボラなおじさん」の想像にすぎないことを付け加えておく。

その「青屋門」をくぐると内堀に出る。



なんと高い石垣なのかここを攻めるのは厳しいと思う。

良くもこんなに沢山の石を積み上げたものだ。

その内堀を左手にみて先へ進むと「大阪城」の天守閣を見ることができる。



外堀からは天守閣が見えなかった。

敵もどこに天守閣があるのか解らないように高低差の地形を上手く利用したのだろう。

防御を考えて天守閣が造られたのではないかと想像しながら先へ進む。

すると大きな橋が見えてくる。

「極楽橋」だ。

変わった名前であるが、内堀にかかる唯一の橋である。(南門があるが橋ではないので)

今回は渡らなかったが、今度わたってみよう。

「極楽浄土」ができるのか?

先へ進むその「極楽橋」のさきからの天守閣だ。



内堀とはいえかなり幅があり深そうだ。

すいとんの術を使ってもなかなか渡りきれなかったろう。

渡りきったとしてもあの城壁(石垣)では体力の消耗も激しかっただろう。

とても敵陣に潜入して格闘する体力もなかったのではないかと想像した。

「この城へ入るのは疲れるな」と敵に思わせるのも戦術の一つだったかもしれない。

何処から攻めるか攻めあぐんだに違いない。




天守閣を左手に眺めつつ内堀に沿って進む。



ここから眺める天守閣の下には高い城壁(石垣)が幾重にもあるようにみえる。

攻める敵も攻めやすい場所を狙う作戦に出ると思うがここは目の錯覚を利用した防御なのか?

攻める気にはならないな・・・・・・。

そんなこんなことを考えながら先へ進む

この先は次回へ


また始まったかって言わないでほしい。







Posted at 2015/05/04 08:20:55 | コメント(2) | トラックバック(0) | 気まぐれ | その他
2015年05月03日 イイね!

Mercedes-Benz 300SL(完成)

どうも(^^ゞ

昨日納期に合わせ模型屋へ納品に行ってきた。

ほぼ、毎日時間の空いている時にコツコツ組み立てた。

製作日数は1ヶ月ぐらいだろうか?

そんなに組み立ては難しくなかった(切ったり削ったりが無いので)方だ。

実車には手が出ないが、模型(プラモデル)でしばし夢を見させてもらった。




さて、

シャーシとボディーを合体



合体には少々コツがいるようであるが、カッチっとハマる。

実車もこのようにシャーシへボディーを被せて行ったのか?

そんなことを考えながら組み立てをした。



細かなパーツを(ワイパーやバンパー、サイドミラーなどなど)取り付け

完成である。





<Wikipediaより拝借>

これは実車である(笑)





で、これが模型(プラモデル)である

なかなか特徴を掴んでいると思う←(自画自賛である)



流石、「TAMIYA」さん

実車の特徴でもある「ガルウィング」の開閉もその部分の合わせもバッチリ出している。



カッコいい

大勢のセレブ達を「とりこ」にしたのもわかる気がする。


<Wikipediaより拝借>

実車は相当に魅力的だったんでしょうね。



角度は違うが模型(プラモデル)の方も

いい感じぃ



コックピットへ入る時はまさにレーシングカーへ乗るんだと言う気分になっただろう。

※ちょっと乗り降りが大変そうだが(笑)




大変長々とお付き合いをいただきありがとうございました。

模型談義はこれで終了。


<追伸>
この模型(プラモデル)は5月16日頃某ホビーショウに展示する予定である。

(静岡方面)

何時も集まる模型仲間も作成中と聞いているので、おそらく数台展示されると思う。

もし、ご興味があれば足を運んでみてはいかがでしょうか?

それではまた。




Posted at 2015/05/03 06:41:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | 模型 | 趣味
2015年05月02日 イイね!

Mercedes-Benz 300SL(#10)

どうも(^^ゞ

長いシリーズとなってしまったが・・・・・・・。


いよいよ今日が、納期の日である。

何とか「Mercedes-Benz 300 SL」が完成した。

納品に模型仲間の集まる集会場へ持ち込む予定である。

普段、納期などと言う期限付きで模型(プラモデル)制作したことは無いのである。


結構、緊張と焦りを感じていた。



さて、

完成前の状況と言うと。←(まだ引っ張るのか?と言う声が聞こえてきそうだが)

今しばらくお付き合いください。



パイプフレームのシャーシへガシャガシャとコックピットを乗せてみた。

いつも思うのだが、ばらばらのパーツをくみ上げて良く形になる。

たかが模型(プラモデル)であるがその設計製作の精度には脱帽である。



成型の金型を見てみたい。



なかなかレトロな雰囲気である。

されど「Mercedes-Benz」なのだ。

この2シータが高性能スポーツカーの証。




さてと。

ボディであるが、上手くいかない。



失敗である。

メタリック塗料は扱いが難しいうえ、メーカーによってもその性質が異なる。

最近はメタリック系の塗料も改善され塗装しやすい物も出回っているようである。




が、「ズボラなおじさん」は在庫しているオーソドックスな塗料を吹き付けた。


一応クリアーやリターダーを添加したが、上手くいかなかった。



缶スプレーの塗料もあるが、塗膜が厚くなるだけでなく吹き付けの際、コツがいる。

たぶん「ズボラなおじさん」の腕が無いだけなのだが(笑)



エアガン(ピースコン)なるものを駆使して、何とか3回目で形になった。

※どんだけ時間が掛かってるんだ!!

制作は進んでいる。

さらに細かなパーツを取り付けていく。

バンパーはこの時代らしくスチール製のメッキと思われる。

模型(プラモデル)もメッキされている。

このメッキが厄介なのである。

接合部分のメッキを剥がさないと接着が利かないのである。


制作の時間が結構必要なうえ、カスがでて後で大変だ。

なので、最近、「ズボラなおじさん」は「セメダインSUPER X G クリア」なる接着剤を使う。

これ・・・・・超 多用途・高機能

だそうだ。

模型などのプラスチックにも使っていいのか良く分からないが、今のところ問題は無い。

飛躍的に作業スピードが向上する。


次回最終回を予定している。

ボディーの作業を紹介するのと、今回の模型屋での叱咤激励のなどの模様をお伝えしたい。

では。





Posted at 2015/05/02 07:11:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 模型 | 趣味

プロフィール

「DATSUN フェアレディ 280Z シャーシ編 http://cvw.jp/b/2076100/48493706/
何シテル?   06/19 07:08
momo太です。1958年型です。よろしくお願いします。
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