
先日。
拙ブログに「イイね!」をつけてくださった方のブログにおじゃましたところ、思いがけない記事に出会いました。
そこには、ある動画が紹介されていました。
再生してすぐの、NHK阿部渉アナウンサーのおしゃべりにつづき、聞こえてきたのは、あの声!
そして、その方の話す内容に、おどろきと同時にこみあげてくる熱いものが・・・。
すこしかすれた声。
オフコースの、鈴木康博さん。
もう、70歳目前なのですね。
阿部アナ
「よくインタビュ―受けてくださったなあと。」
- 小田から手紙をもらった借りがあるから・・・
今回、やっぱり、それに答えなくてはならないということで。
2010年に、NHKの名古屋放送局のトーク番組の中で、
小田和正さんからの手紙が届いたのだそうです。
阿部アナ
「オフコース時代は、2人のころからを含めて濃密な時間をお過ごしになったと
思いますが、その頃を今ふりかえって、どんなふうに思われますか?」
- 宝です。オフコース時代があったから音楽に情熱をもってやれているし。
いい時代だったと思います。
それを今に、これからに、どれだけいかしていけるかみたいなとろこでやっていますからね。
どれだけ長くできますかね。
ホントに先が、これからの道が見えないという、何があるかわからないというとこなんで。
ずっと声が出る限りはやりつづけられたらなあと思っています。
鈴木康博が語る、小田和正(Audio) 小田和正が語る、『ひとりで生きてゆければ(12:39~♪)』
82年に脱退後初!小田和正、オフコースの盟友・鈴木康博と35年ぶり“共演”
SANSPO
2017.11.24
シンガー・ソングライター、小田和正(70)が23日放送のNHK FM「今日は一日“小田和正”三昧」(後0・15)で、1989年に解散した伝説バンド、オフコース時代の盟友、鈴木康博(69)と35年ぶりに“共演”した。
小田の番組に鈴木がメッセージを寄せる形で実現。小田とツインボーカルだった鈴木は82年にバンドを脱退しており、同じ番組に“出演”するのは鈴木の脱退後初だ。
番組では鈴木が当時について「声を聴いただけで小田って分かるのが(同じボーカルとして)悔しかった。
オフコース時代は宝です」と述懐。小田に向けて「声がかすれたり、それなりに(体調に)気を使うところがお互いある。頑張ってほしい」と激励した。
盟友からのエールに小田は「
ビックリです。あり得ないですね。これは消化するのにしばらく時間がかかりそう。感動しちゃって…」と感涙。オフコースについて
「宝物だよね」と言い切り、
「当時はありふれた幸せに背を向けるしかなかった。強がりでね…」と懐かしそうに振り返った。
<以上、転載 了>
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小田和正から鈴木康博への手紙
青山シゲル さんのブログより 転載させていただきます
2010年12月20日
NHK名古屋のお昼の番組「情報フレッシュ便 さらさらサラダ」に先日ヤスさん(元オフコース、鈴木康博)が生出演されました。
そこへ小田さんからお手紙が届けられたのです。表に「ヤスへ」裏に小田和正。
手紙の内容は以下の通り。
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ヤスへ
久しぶりです。
そうですか、もう40年になるんですね。
音楽を始めた頃、30歳を越えて歌をうたっているというイメージすら持てなかった。
きちんと学業を修めた者が、いい歳をして歌なんて、そんな時代。
アーティストという言葉もありませんでした。
予想はしていましたが、それよりずっとはやく時は往きました。
でもそのあっという間にいろんなことがありましたね。
高3の聖光祭で初めてステージに立ったあの時。
ただ洋楽をコピーして歌っていればそれだけで楽しかったあの頃。
そして自分たちで歌を作り初め、いつか多くの人たちが僕等の音楽を受け入れてくれていったあの頃。
思いはどんな場所にもすぐに帰れます。
そんな数えきれないキラキラした思い出を共有してくれている人がいるということを心から嬉しく思います。
いつかそんなことを語り合うような時が来るのでしょうか。
身体に気をつけて。楽しく歌い続けていかれるよう心から祈ってます。
2010年10月
小田より
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大変な事ですよ、これ。オフコースと言えば再結成していない最後の大物グループの一つです。(他にはキャロルとBOOWY)
オフコースは1982.6.30に武道館史上初の10日連続コンサートの最終日を持ち一時活動停止します。そして主要メンバーの一人鈴木が脱退します。1年をおいて残りの4人で活動再開しますが、小田はこの時点で(鈴木がいないなら)解散を考えていたそうです。
絶頂期に出したアルバムタイトルが「We are」(Yes No 収録)、そしてその次にでたアルバムが「over」(言葉にできない 収録)。当時はアルバムタイトルの意味はよく分からなかった。
伝説の武道館の最終日中盤、小田は「言葉にできない」で声を詰まらせ歌えなくなります。色んな思いがこみ上げて来たのか途中目頭を押さえる。
なんとか持ち直して、万感の想いを込め、絶唱する中、背景のスクリーンには一面のヒマワリ畑の映像が流れる。そしてアルバムタイトルが続けて映る。
We are over = 僕たちは終わった
14歳の夏、コンサートのチケットは取れなかったがかろうじてフィルムコンサートを見に行く事が出来た。衝撃的だった。あのとき、はっきりと「ミュージシャンになる」と決めた。
4人の活動はさておき。。。オフコースはこのとき伝説として終わったのです。小田は何度も「オフコース再結成はない」と言っています。鈴木は「オフコース再結成は、巨大なビジネスとして金が動き色んな輩が寄ってくる。純粋に音楽を楽しむだけでの再結成なら良いが難しい。それに小田の目指す音楽と自分の目指す音楽のベクトルは必ずしも同じ方向を向いていない」と言っています。
ファンの間ではある種タブー視されてきましたが、NHKぶちかましてくれました(笑)小田、鈴木両氏の公の場での接触はこれが解散後初めてです。なんとも想いのこもった文章で、それが「直筆の手紙」だというところがポイント高いです。
それがいきなり再結成に繋がるとは思えないですが、もう一度だけで良い、2人のハーモニーが聞いてみたい物です。
<以上、転載 了>
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鈴木康博
セルフカバーアルバム「FORWARD」発売(2004年12月8日) 東芝EMI
旅の空の下で再会したい
産経WEB
なくした場所へ帰る
昔別れた人と再び会いたいと思うものだろうか。心の片隅で願っても実際に会おうとするものだろうか。
「旅の空の下で、だったらいいんじゃないかな」
鈴木康博が、はにかみがちにいう。アルバム「FORWARD」を出した。再会を主題にした新曲「明日の風に吹かれて」をのぞく12曲はオフコース時代の楽曲をセルフカバーした。昭和57年にオフコースを脱退して以来の封印を解いて、なぜ今、カバーしたのか。
その前に、オフコース脱退の経緯を確認しておこう。オフコースは鈴木が、小田和正(57)らと3人で結成したグループ。昭和45年にシングル「群衆の中で」でデビューし、50年代半ばからは構成人員も増え日本の軽音楽界を代表するバンドになる。鈴木が脱退した57年は、東京・日本武道館での10日間公演を実現するなどバンドは活動の頂点を迎えていた。
「オフコースに自分の居場所がなくなっていた。違う土俵で自分の音楽をやりたくなっていたんです」
3人組でスタートしたオフコースは、鈴木と小田の2人だけの時期もあったが、どんどん巨大な存在になっていく。その過程でバンドは、自らのイメージを明確にするために小田の楽曲を中心にすえることを決める。
ビートルズやローリングストーンズのようになんでもやってみたい、と考えていた鈴木にすれば枠をはめられた気分だった。オフコース=小田和正というイメージ戦略にはついていけなくなった。小田の楽曲に勝るものを提示できない自分にジレンマを感じもした。このままではつぶれてしまうのではないか。「辞めたい」。55年ごろからもう口にしていた。
「55年から57年にかけて出したアルバムタイトルが「We are」「over」「I LOVE YOU」だったのは、もう僕ら(We are)はおしまい(over)。みなさんを愛しています(I LOVE YOU)という気持ちだったから」
オフコースを辞めた後、振り返るのはやめようと決意した。前だけを向いて進もう。オフコース時代の歌は封印した。
「後ろを向いていたら自分のエネルギーをロスしてしまうような気がした」
「さよなら」を歌ったっていい
封印から22年。「FORWARD」ではオフコース時代の12曲をセルフカバーしている。「潮の香り」「雨よ激しく」「青春」の3曲は、完全コピーに挑戦したという。オフコースの録音を聴き直し、全楽器の演奏をそっくりそのまま再現したのだ。コンピューターによるいわゆる打ち込み部分をのぞいて全楽器をひとりで演奏した。
「ひとつのきっかけは、年齢です。50歳を超えたころから、過去を振り返ろうという気持ちになった」
平成13年に、ソロになってからの楽曲をセルフカバーした「Reborn」というアルバムを作ったとき、オフコースの楽曲にも挑戦してみたいという気持ちが芽生えた。コンサートで、ギター1本でオフコース時代の歌をつま弾いたら大歓声を浴びた。尋常な量の拍手ではなかった。
「突っ走っているから、自分では分からないけど、オフコースの曲は、お客さんにとって大きな意味をもっているんだ。それを認めざるをえなかった。自分が通ってきた現実でもあるし、客席と一体になれるのならライブに欠かせないレパートリーになる。今では、喜んでもらえるのなら『さよなら』を歌ったっていいとさえ思っている」
「さよなら」は54年のオフコースの大ヒット曲だが、小田和正の作品なのだから驚くべき発言だ。が、本人は淡々という。
「喜んでもらえるなら、なんでもやりますという気持ちになった。年相応の自然な変化だと思う」
そして昨年暮れから、セルフカバーの作業に着手した。
「全部の楽器を自分でやったら非常に心地よかった。自分の居場所をみつけてじっくりと取り組んでいるという感じがした。完全コピーもやってみたらおもしろかった。『こんなふうにしていたのか』と改めて分かったこともたくさんあった」
オフコース時代は録音スタジオを自由に使うことができたという。スタジオにある楽器を手当たり次第に使って音を重ねた。和楽器にまで手を伸ばした。
「改めていい時代だったなと思いながら作業した。しかし、単に“Looking back”しているだけだと懐古趣味になってしまうので、『Forward』=前へという題名にした。これまで自分は前を向いていよう。先に進もうとやってきたのだから」
FORWARD 前進
「FORWARD」は、12曲のオフコース時代の楽曲のカバーに1曲の新曲「明日の風に吹かれて」を加えた構成だ。「明日の風に吹かれて」は、♪君に今会いに行きたい 僕から言い出した別れなのに身勝手だよね 君の仕事に感じてしまったjealousy…と歌う。「小田の楽曲に勝るものを書けない自分にジレンマを感じた」という発言に照らせば、ここで歌われる「君」は、小田のことではないのか。オフコースのことではないのか。
「もしもオフコースがまだ存在していたら、こんな新曲を書いていただろうという前提で曲作りに着手したのですが、結局、うまくイメージがわいてこなくて、しばらくは放置していました。その後、ごく一般的な再会を主題にして再着手。昔の恋人にちょっと会ってみたいなという気持ちは、だれにでもあるんじゃないかな。それも旅の空の下でフッと会うのなら、重くなくていいのではないか。確かに、おれにとってその相手はオフコースだったりするかもしれない。オフコースのことが頭から離れたことはないですから」
小田が自分のテレビ番組「月曜組曲」(TBS、深夜0時半)で、オフコース時代の写真などを“小道具”としてさりげなく用いたことも、無意識のうちに眠る気持ちを刺激したのかもしれない。
「歳なんだと思います。小田も『人生の締めくくりの時期を迎えた』というようなことをいったらしいですから。僕らは間もなく60歳を迎える。60歳になるまでに何をしようかとみんな考えるわけです。こんなこと今までは考えたこともなかった。これからどうしようということばっかり考えていましたから。これは“60歳の壁”というやつなのかもしれませんけどね」
60歳の壁を前にして、やれるうちにやっておくべきことは何かを考えているということだ。ならば、オフコースを再結成してしまえばいいではないか。再結成したいといえばいいではないか。だが、そこまでは断言できないのだともいう。少なくとも、自分の思いだけで口にでることではない、と。
大物バンドの再結成は巨大なビジネスになる。純粋な音楽的理由だけで集まりたくても、カネのにおいに敏感な有象無象があっという間に群がってくるだろう。そんな事態は避けたい。それでは、旅の空の下でフッ会うことにはならない。新潟県中越地震の被災地に、小田とふたりでふらりと出かけて被災者を励ますために歌うようなことができたらいいなあ、ともいうが、もちろん、それも難しい。
ただ、気持ちだけは、オフコースの時代に立ち返った。自分から去ったオフコースという場所が無性に懐かしいし、わだかまりはなくなったといってよさそうだ。そのうえでさらなる前進をしたいと思っている。そのことは、これからの作品づくりのうえで大いにプラスに働くに違いない。
「今、自分が感じることは何か。新しいものは何かを考えながら次の曲を作っていきたい。時代のこと、自分の気持ちを歌にしていきたい。それがFORWARDということだと思う」
<以上、転載 了>
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言葉にできない オフコース ← ニコニコ動画で再生
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3139437


鈴木康博さんがオフコースを脱退したのが1982年。
もう、35年が経つのですね。
小田さんと鈴木さんの二人のオフコース、そして、五人のオフコースがステキすぎて、
わたしの中で止まったままの、永遠に美しい音楽と映像。
「それぞれが目指す音楽の方向性の違い」
「オフコースというバンドの中での存在感」
「作詞作曲、楽曲、作品の評価・・・」
オフコースのレコードのA面が、小田さんの作品ばかりになっていた晩年。
音楽家、芸術家、作品を紡ぎだすアーティストの葛藤。
鈴木康博さんの脱退は、「オフコース」の音楽や世界が大好きなファンの一人として、
簡単に想像したり語るのは憚られるものがありました。
アーティストにとって、男の人にとっての矜持・・・。
(自分が好きな音楽、追い求めている音の世界が、離れてきてしまったのだろうな)
そんな風に思って心を紛らわせていた私の中にはなかった視点。
それが、アーティストを取り巻く巨大なマーケット、お金や人がうごめく魑魅魍魎の世界。
純粋に音楽が好きで追い求めたい。
純粋に一緒に演奏したいから集まりたい。
それを叶えるのに邪魔をする、お金を巡るビジネス、マーケット。
上で紹介した「青山シゲルさんのブログ」のコメントの中に、ヤスさんの現在の活動と応援する方の声がありました。
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>先日、YASSさんのライブを観てきましたが、たった14人位の客でも、熱唱するYASSさんは素敵でした。
ドームを満員にする小田さんが幸せなのか、14人を魅了するYASSさんが幸せなのか むしろ、やりたいことができているのはYASSさんなのかもしれない。
そう思ったりもするのです。
>先日イオンでのヤスさんのミニコンサートに行きました。子供の叫び声の聞こえる中でもお客さんの拍手が鳴りやまないことに来てよかったですと感激してくれました。演奏後の握手会でオフコースからのファンです!と言ったら、今度はコンサートを見にいらしてください。と笑顔で握手していただきました。地味な活動をあえて行っているようで小田さんとは確かに別の道を歩んでいるのだと思いました。歌詞も見ずに計7曲ほどでしたが一人での演奏は正直小田さんよりすごかったです。
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「旅の空の下で再会したい 」
「『さよなら』を歌ったっていい」
そんなことを話す鈴木さん。
1982.6.30。
あの「言葉にできない」で嗚咽した、小田さん。
お二人とも、素敵です!
商業的な成功やお金もうけのみを企む「薄汚い輩たち」に利用されて巻き込まれることがないなら・・・。
誰も知らない場所で、
偶然をよそおえる何処かで、
また再会して、ギターを持って、歌ってほしい。
どこか鄙びた温泉地や静かな草原で、一緒に歌をつくって、こっそりと聴かせてほしい。
男気のある、才能あふれるイイ男たちが、誰の目も気にすることなく、
好きな音楽を思いきり楽しめたなら、なんて素晴らしいことでしょう!
そんな日が、あまり遠くないいつかどこかで、実現するような気がしています。