
はじめに、おことわりしておきます__φ(゚▽゚*)
豚児たちが参加したスポーツ大会の参加者名簿を見て、「読み仮名がないと読めない名前」、いわゆる「キラキラネーム☆」の子供たちが、いかに多いのか気づき、驚きました。
その背景には何があるのか考えたくなり、前の二つのブログで書いてきました。
我が市は、複数の町が合併してできたので、スポーツ少年団のある地域ごとに、付けられる子供の名前に特徴があることにも気付きました。
豚児たちの学校、クラスの子供は、比較的読みやすい、わかりやすい名前の子が多い。
さらに、兄たちが秋篠宮悠仁親王殿下と同じ学年、弟たちは二つ下の学年のせいもあってか、「悠」のつく男子と女子が、それぞれの学年で1/5ほどを占めているのも特徴。
なんと、「悠○くん」「悠○さん」、オンパレード。
合併した別の町は、気性が激しくヤンキーっぽい人が多いといわれているが、
「万葉仮名系」の当て字や、「読めない名前」の子が多い。
その違いは、三世代四世代同居の家庭が多い我が町(同居する祖父母と相談してから?)と、新興住宅地で核家族が多い町(両親が独断で名付けやすい?)の違いにも、あるかもしれません。
「読みにくい名前」
「難しい漢字の名前」
「音訓読みが混在している名前」
「万葉仮名のような当て字の名前」
「漢字を英語などに変換させてる名前」
「漢字の一部だけを読ませたり組みあわせる名前」
「漢字や言葉の意味を考えず、ふさわしくない言葉を勢いで付けてしまった名前」
便宜的に「キラキラネーム☆」と総称していますが、どの名前が「キラキラネーム」で
どれが「DQNネーム」なのか、判定したり決めつけたりはしていません。
その名前のお子さんも、名付けをした親のことも、否定も非難もしていません。
親が願いを込めてつけた我が子の名前はどれも、
【ビューティフル・ネーム】 で 【素晴らしい名前】 です。
しかし、出産後のハイテンションにより「我が子にキラキラネームを付けてしまったことを後悔している」親も意外に多くいることを知り、ブログに意見や感想を転載しました。
「後悔している」という人もいれば、アン・ルイスさんのお子さんのように、自分の名前を誇りに思い、自分の子供たちにも「キラキラネーム」を付けている人のコメントも紹介しました。
「キラキラネーム」の走りとも言われる珍しい名前を、教養が高すぎる故に自身の経験から我が子にふさわしいと名付けた、明治の文豪であり医師でもある森鴎外氏の例も紹介しました。
※森鴎外氏の、自身のプライドにより<麦飯=ビタミンB1>の効果を否定し、日清・日露戦争で数多くの陸軍兵士の脚気患者を出し命を奪ったことは、許されざる行為でした。
拙ブログに転載されている名前を、否定していません。
ただ、多くの人に影響を与える芸能人が付けた「読みにくい名前」「キラキラネーム」の多さには、驚かされました。
当代一の人気者である(あった?)キムタク氏については、・・・個人的に好きな人ではないのですが・・・、やはり普通の名前ではなく、いかにもひねりのある名前をつけそうな人だと、正直思いました。
社会に与えている影響の大きさも、人気稼業の彼にとっては得意満面なのでしょう。
わたしは、はじめのブログに書いた
>「 キラキラネーム 」「 DQNネーム 」をつける方とは、
『 類友 』 にはなれないかもしれません (^-^;)
それだけです。
自分は、我が子たちに「読みにくい名前」「キラキラネーム」「DQNネーム」を付けませんでした。
自分と「考え方」や「感性」が似ていない人とは、親しくなれなくても、わかりあえなくても、一向に構いません。
むしろ、わかりあえない方がホッとするくらい。
ですから、特定のお名前の悪口を言っているなどと、筋違いのとらえ方はなさらないでくださいね。
親から愛情をたっぷり注がれ、願いを込められて付けた名前は、
どれも素晴らしい 「a beautiful name (ビューティフル・ネーム)」 なんですから (^-^*)
1. なぜわたしは、息子たちにふつうの「ビューティフル・ネーム」をつけたのか
(1)わたしの子供時代の名前事情
わたし自身の名前は、誰でも読める名前で、いわゆるキラキラネームではありません。
そして同級生にも、読むのが難しい名前の子は、ほとんどいません。
○子、○代、○美、○絵(枝・恵)、○香、○菜(那、奈)。
一文字と三文字は少なく、圧倒的に二文字の名前が多かったです。
小学校時代の金管クラブの先輩に
「○乃」さんがいて、
(かっこいいわ~。ステキ♡) 憧れのお名前でした。
”乃” がつくだけで、古風でいながら粋、垢ぬけているカッコいいイメージを抱きました。
志乃、紫乃、佳乃、綾乃、彩乃、華乃、菊乃・・・ あら。 舞妓、芸者さんのイメージだわw
じつは、わたしの母親とわたしの名前は、読み方のはじめの二文字が同じで、漢字は違う、よくにた名前です。
では、いったい、誰がわたしの名前を命名してくれたのかといいますと、地元の由緒ある神社です☆
帰省するたびに、必ずお参りします。豚児たちも一緒にうかがいます。
そこでいただいた漢字。
しかし、両親は「このままだと、飲み屋さんの名前みたいだなあ~」と
いただいた二文字をひっくり返して、今の名前にしたそうです。
はっきり言って、ひっくり返しても返さなくても、スナックの名前っぽくはないです(笑)
もしかすると、…懇意にしていたスナックでもあったのかしら(笑)!
※両親共に、お酒は全く飲めない人です。
わたしの名前は
「あ段」なので、大きく口を開けてはっきりと名前を呼ばれていました。
すると、
「あ段」からはじまる名前の子は、「強くて明るく,積極的な行動力をもつ。」ようになるそうです。
生まれもっての気質・性質と、周りの人の呼びかけが、わたしの性格をつくっていったのだと思っています。
※ご参照 拙ブログ
【言霊】名前の一音目が創る、あなたの性格【母音占い】
2015年06月17日
この占い(法則)は当てはまると思っているので、明るく元気な子に育ってほしいと願いをこめて、
豚児たちにも「あ段」の名前を付けました。
(2)キラキラネームの前身? 「外人ぽい名前」と西洋かぶれ。
子供時代。わたしの中にも、欧米に対する憧れがありました。
行ったことのない遠い外国をスマートに旅する番組
「兼高かおる 世界の旅」。
リカちゃん人形のキャラ設定やドールハウス。フランス人のパイロットのお父さん。
「エースをねらえ!」の
お蝶夫人や、「ガラスの仮面」の
姫川あゆみの服装や髪型。
欧米の映画で見た
「先進的」「エレクトリック」「自由と平等」な豊かで明るい社会。
それと同時にもっていた「西洋かぶれ」の恥ずかしさ。
『おそ松くん』自称おフランス帰り、
イヤミの「ザンス」。
『ドラえもん』
スネオのお母さん「ザマス」。
豪邸に住む、小さな座敷犬を抱いた、派手なワンピースを着た
成金おばさま。
夕方の再放送のアニメをよく見ていたので、主人公は庶民的な(ちょい貧乏)人ばかり。
ど根性ガエルのヒロシ、きょう子ちゃん、よしこ先生、梅さん、五郎。
アタックナンバーワンのこずえ、エースをねらえのひろみ。
赤胴鈴之助、おれは鉄平、一発カンタくん、ハクション大魔王のカンちゃん、
ドカベンの山田太郎、幸子、夏子はん、キャプテンの谷口タカオ・・・、
そういえば、巨人の星の『飛雄馬』は、「キラキラネーム」っぽいけど、父は一徹、姉は明子。
とうちゃんの職業が「日本一の日雇い人夫」の影響なのか、そう感じさない。

どことなく、
シャレた名前は、お金持ちのお嬢さんや御坊ちゃんのモノ?
ド庶民がキラキラネームっぽい名前を付けるのは身の程知らず、憚られ、自重する雰囲気もあったのかもしれません。
(3)我が家のペットたち。ペットの名付けと子供の名付けは、似て非なるもの。
子供のころから、たくさんの動物といっしょに育ってきました。
飼い犬の西洋犬(シェパード)には、外国人のような名前「ぺス」、二代目は「ジュン」。
愛嬌のある迷い犬(ゴールデンレトリバーの雑種)には「チビ」 ⇒のち、大型化(笑)。
野良猫のシャム猫には「たま」、学校で子供たちが拾ってきたけど誰も飼わないからうちに連れてかえった三毛猫には「みーこ」、黒猫には「クロ」、トラ猫には「チャトラ」…。
卵を温めていた鶏のお母さんに一緒に温めてもらって孵化したアヒルは、「ガーコ」。
友達が飼えなくなって預かったカルガモも、二代目「ガーコ」。
振り返ってみると、我が家にいたペットたちには、庶民的な我が家にふさわしい(笑)、
単純で、その動物の代名詞のような名前ばかり付けていたようです。
あっ、一度、母親が子ネコに「あや子」と命名してました。
なぜ? と聞いても、なんとなくそう呼びたくなったのだと・・・。
でもね。 自分の子供は、ペットとはちがう。
どちらも責任を持って生育し、保護する義務はあるけれど、
子供は自分の所有物ではない。
子供には、子供が自分自身で生きていく責任と権利と義務がある。
子供を自分の「持ち物」「ペット」のように考えてしまうと、子供が成長し、成人し、自分自身の責任において生きていくときに、
『足かせ』となってしまう『名前』を、親が勝手に与える権利はない。
(4)じつは元祖・キラキラネーム『おとめちっくラブコメディ』漫画家さんの大ファン♡
漫画、大好きです。
今は、「ブルー ジャイアント シュプリーム」に夢中です。
かつては、スポコン、ギャグ、王道の少女マンガ、なんでも読んでいましたが、わたしの原点・大好きな漫画家さんの一人が、
「陸奥 A子」さんなのです。もひとりは、「くらもちふさこ」さん☆。
陸奥 A子(むつ えーこ、1954年2月15日 - )は日本の漫画家。福岡県飯塚市出身。
1972年『獅子座うまれのあなたさま』(りぼん増刊秋の号)でデビュー。 軽いタッチが独特の絵柄で、少女心をくすぐる情緒あるラブコメディを得意とした。1970年代から1980年代にかけての『りぼん』の看板作家であった。彼女を代表とする一連の作品は
おとめちっく作品と呼ばれた。
さまざまなパロディの題材にもされ、
江口寿史の『江口寿史の爆発ディナーショー』の中にも、陸奥作品のパロディがある。
ペンネームの「陸奥」は太宰治のファンであったからの命名だと、『りぼん』誌上での沢田研二との対談(1978年1月号)で語っていたことがある。
近年は集英社
『ヤングユー』『YOU』で執筆活動を続けている。今は「少女漫画は描けない」とのことであるが、近作も「かつての陸奥作品の少女たちが正しく女性になった姿」であると評される。
モカさん
楽子さん
久里さん
セリナ
カリナ
フランソワさん(自称)
パセリ氏とニンジンさん(あだ名)
キシンくん
シギーくん
「歌い忘れた一小節」。
一人旅にあこがれ、いつかわたしも「ちろりん村」のような日本のどこかにある可愛らしい場所に行ってみたい、そう、小学校の頃からもくろんでいました。
「エキゾチック・ジャパン」も「ディスカバリー・ジャパン」。
いつか来た道、いつか行く道。
やさしい人たちが穏やかな日常をすごしている「日本のどこかにある」
小さな町や村が大好きなのも、この漫画の影響、大です!
・・・・・・・あっ
脱線してる。
陸奥A子先生のマンガにでてくる女の子の名前が、
めるへん☆チックで、かわいいんです。
でも、キラキラ☆・・・、とは
ちょっとちがうのかも。
乙女ちっくな、ポエムのようなお話の主人公だから、こんな名前がピッタリ~!
実際に、真似をしてつけてみたいとか、娘ができたら命名しようとか、
・・・ちょっとだけしか思いませんでした(笑)
ただ、マンガやアニメのキャラクターに惹かれて名前を付けちゃう気持ちは、わかります。
わたしも、
「摩莉と新吾」と付けようと、マジで思っていた時期もありますから・・・。
(5)「自意識・自己顕示欲・承認欲求」過剰なのは、・・・恥ずかしい。
オンリーワンの名前。
ちょっとひねった、オリジナリティあふれる名前。
存在感のある、ひときわ輝くスペシャルな名前。
―――― それが、恥ずかしいんです (^-^;)
自意識過剰、自己顕示欲のかたまり、承認欲求が強い人。
―――― 超苦手です。なるべく、関わりたくありません。
(6)「自己肯定感」がつよい。
日本人にうまれてよかった。
故郷に生まれてきてよかった。
両親の元に生まれてきてよかった。
今のままの自分でいい。
ありのままの自分を受け入れている。
というか、むしろ、自分で自分がすき。
(もちろん、直したい、変わりたい欠点や短所はある)
生まれ変わっても、日本人の、今のままの自分でいい。
外国人になりたいとは思わない。
空想の人物、漫画やアニメのキャラになりたいとは思わない。
外国にも憧れて何カ国か行ってみたけど、やっぱり日本が好き。
女性に生まれてきてよかった。
子供を授かり、育てることができて幸せ。
(7)我が家は夫婦で、子供につけたい名前の趣味が似ていた。
◎日本人らしい、呼びやすく親しみやすい名前がいい。
○大それた、大げさでない名前 (by 父)
※昔の中国では名前には控えめな漢字を使っていたから
○はじめの音が「あ段」の名前 (by 母)
※毎日呼ばれる名前があ音だと、無意識に明るく元気な子に育ちやすい
◎珍しい漢字、難しい漢字を使わず、誰でも読めて親しみやすい名前。
◎こんな子に育ってほしい、どう生きてほしいか、願いが込められている名前。
子供から「パパ」「ママ」と呼ばれることにも抵抗があり、「おとうさん」「おかあさん」と呼ばせたいと思っていた。
過保護、過干渉をし過ぎず、放任もし過ぎない。
親バカにもならず、バカ親にもならず。
(8)太古の縄文人、日本人の先人、ご先祖様を尊敬していて、憧れている。
過去の日本。ご先祖さま。
日本の文化、歴史、そこで暮らし生きてきた先人たちとつながりたい、つながっていることへの喜びと安心感。
日本の自然や文化、歴史、生活様式、伝統が好き。
武道、書道、華道、茶道、古典などに憧れ多少は嗜み、生活の中に取り入れている。
外国人のようなハイカラな名前を自分の子供に付けることも、そう呼ばれることも、
感覚的に、したいとは思えかった。
キラキラした、カタカナが似合うような名前が流行りつつあったけど、それに迎合したいとも思えなかった。
だからといって、「逆張り」のように、敢えて古典的な古風な名前を付けようという気持ちにもならなかった。
日本的な伝統的な漢字を使った名前をつけて、そのイメージに合う元気な子供として成長し、
日本人としての誇りを持って生きていってほしい。
(9)やっばり、個人の感覚、価値観の問題。
憧れる! ステキ! カッコいい!、と思うのか、
それとも、
気恥ずかしい・・・、と思うのか。
それは、
それまで生きてきた、その人の持つ価値観、個人の感覚。
たとえば「その名前」が、
読みにくい、
伝わりにくい、
口に出すと恥ずかしい、
人の名のイメージとかけ離れている、
自分自身のアイデンティティと剥離しすぎている
年相応でないと違和感を持たれる、
思わず笑われてしまう、
どうしてこんな名前をつけたのかといぶかしがられる。
いくら、夢がいっぱい、希望がいっぱいの名前であっても、
付けられた子供にとっては迷惑、となる可能性もある。
子供は親の所有物ではないのだから。
子供には、子供が自分自身の力で切り開いていく人生が待っているのだから。
それを力強く応援するのが親であり、願いをこめて付けた名前であってほしい。
2.子供の名付けは、極めて個人的なことでありながら、社会とつながる重要な行為
『悪魔ちゃん命名騒動』を覚えている方も多いと思います。
【悪魔ちゃん命名騒動】本人の現在と父親のその後
あの人は今 より 一部転載します
1993年に東京都昭島市のスナックを営む夫婦が生まれた男の子に「悪魔」と命名して市役所に届け出を受理されなかったことがきっかけでした。
子供に悪魔と名付けることが
社会通念上、問題があるとして、認められなかったのです。
実は、
いったんは受理されたのですが、東京法務局が
親権の濫用として不受理としました。
そしてこの両親は東京家庭裁判所・八王子支部に不服申し立てを行い、裁判の結果、勝ってしまうという結果に。
■ なぜ悪魔と名付けたのか
父親曰く、
「珍しい名前だから人の記憶に残る。人の記憶に残り、人が集まる。そうなれば普段出会わない人と出会う確率も上がるし、いろんな良い経験もできると思うんですよ」
「悪魔は悪の世界で最強。何かでトップになる、そんな子供に育ってほしいから」
と、聞けばごもっともと思われることを言っていました。
常用の漢字であれば、日本ではどんな名前にすることも自由です。
ただ、その名前が何か別なものを強烈にイメージするような場合は、
モラルとして規制されるべきですよね。
裁判が示した通り、この父親の考えは法的に間違えていませんでした。
また、この騒動でメディアから注目を浴びた結果、とんねるずの番組や、電波少年など当時の超人気番組に父親は出演。
言っていた通り、普通じゃなくて法的に間違えてないことであれば、普通ではできない体験をできてしまうという結果につながっていました。
■正式に「亜駆」くんと名付けられた赤ちゃん
悪魔という名前が裁判で認められましたが、結果的には亜駆ちゃんと名付けられました。
日本では名字を変えることは結婚で比較的簡単に可能ではありますが、
下の名前を変えるのは裁判などの手続きを経て、かなりの年月がかかります。
このまま悪魔くんと名付けられて、本人が名前の変更を申請する手間や費用を考えると、
社会的におかしくない名前にした方がやはり賢明。
騒動の後の裁判後、母親の提案で「亜駆」と名付けられましたが、その母親は亜駆ちゃんが3歳になるころ、離婚して亜駆ちゃんの前からいなくなってしまいます。
1996年、亜駆くんの両親が離婚した年、実は父親が逮捕されたとの報道がありました。
罪名は覚せい剤所持です。
ちなみにそれから数年後、再度覚せい剤所持と強盗の罪でも逮捕されています。
更生することなく、再度覚せい剤におぼれたばかりか、今度は他人に迷惑をかける行為に及んだ父親。
現在は消息は不明ですが、刑期中との見方が強いです。
<略>
実は父親が逮捕されてしまったため、施設に預けられることになってしまった亜駆ちゃん。
その後は施設で育ってきており、父親が出所してからも施設で育っているとの話です。
<以上、一部転載 了>
…………………………………………………………………・
◆まとめ
・人の名前としてふさわしくない命名を親がする。
・届け出をした役場で、職員が簡単に届け出を受理しない。
・東京法務局が親権の濫用として不受理。
・家庭裁判所の裁判では、常用漢字を使っているから問題ないとの判断。
・「悪魔」から「亜駆」に改名して手続き。
・その後、母親が離婚し、父親は覚せい剤、強盗の罪で逮捕。
・子供は、児童福祉施設で育てられる。
◆わかったこと・学んだこと
○当時、子供の名前としてふさわしくないと判断した窓口の職員に、気骨があった。
○改名を勧められても、父親は「へ理屈」を言って変えようとしなかった。のち、犯罪者に。
○常用漢字なら、どんな名前でもよいとの判決。
○苗字は簡単に変えられるが、名前の変更には裁判を経て、時間もかかる。
………………………………………………………………………………………・・
子供を授かり、無事に出産をし、名付けをして役場に届ける。
その瞬間、子供は親の子供、という存在を超えて、社会の一員にもなる。
子供への命名は、社会とつながる第一歩であり、簡単には変更や訂正はできない大変な仕事。
親として、社会に対して我が子を大切に育てていくことを宣誓するのが命名。
我が子は、自分たちの子供でもあり、社会からの預かりものでもある。
自分の子供だけがよければいいのではなく、
自分の家族だけがよければいいのではなく、
世の中、社会、地域の中で、いっしょに育ち、育てられる存在。
「名付け」は自分の趣味だけを全開にして、自己主張するだけで、本当にいいのでしょうか。
親だけの自己満足で、祖父母や身内の意見に耳をかさなくていいのでしょうか。
謙虚に
・本当にこの漢字が、名前としてふさわしいのか
・字数にこだわって、ふさわしくない漢字を選んでしまっていないのか
・昔からの謂われでは、避けた方がよい漢字や名前ではないか
・教養深い、知識が豊富な人の助言に耳を傾けた方がいいのではないか
・先祖代々、その家に伝わる知恵や伝統があるのではないか
・同音異義語に、名前にはふさわしくない意味がふくまれているのではないか
・漢字の組み合わせが、特別な読み方をするのではないか 例) 心太(ところてん)
何か問題があっても、それでもどうしてもこの名前がいいと、確固たる信念があるなら、
自信を持って名付ければいいと思います。
冷静に、他の人に意見にも耳を傾けて、丁寧に説明して納得できれば、
時間がたってから後悔することもないと思います。
「亀の甲より年の劫」
「知恵は万代の宝」
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
カッコいい速い車に乗って、夜の道をぶっ飛ばして、
「夜路疾駆!」と叫んでいるノリで命名してしまうと・・・。
いつかやってくるその時。
ゆったりと景色を楽しみながら、大切な誰かを隣にのせて、
身の丈に合ったステキな車で、お気に入りの馬力で走らせる風景には、
その名前は合わなくなってしまうこともあるかもしれません。
我が子は世界でたったひとりの特別な存在。
自分も、オンリーワンのスペシャルな存在。
それは、その通り。そんな環境で暮らせることは、幸せですよね。
でも、自分の権利や自由だけを謳歌する人生は、
本当の幸せや充実感は味わえないのかもしれません。
社会の一員として、いまの時代を生きている日本人として、
次の世代に大切なモノをつないでいく責任と義務があることも、
わたしたち大人は忘れてはいけないのではないでしょうか。
