質量は莫大なエネルギーと等価であることに気付いた人がいて、それなら質量からエネルギーを解放出来れば人類の未来に多大な貢献となると考えた人がいました。実際それは可能でしたが、不幸はそれが戦争の只中であった事です。
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広島の資料館は小学生の頃行きましたが、引き連れてくれた親の知人は何の説明もせず、ただ展示を隅々回らせただけでした。記録を見て事実を想像し、それをどう評価するかは先入観なく各自で行えばよい。子供が問いを出しても善悪が定まっているかの如く教えこませず、ただ「結果こうなる」と言う事実だけ見せ、後は自分の心に問いかけさせる。あの悲惨な状況を展示しているのは、只々そのためであると思います。
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Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in a not so distant past.
(なぜわれわれはこの地、広島にやって来るのか。そう遠くない過去に放たれた恐ろしい力について思案するために来るのだ。)
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思案する責任があるのはすべての人です。判っていてこの惨状を起こす事、この惨状が再び起る事を未来は許してくれるのか。許されないなら今何をするべきか。