昨日3/11の15時前、大きな地震が発生しました。
僕が勤めている会社のビルは8F建てで、ちょうど外壁の工事を行っていて、ビルの周りを足場が組まれていて、10数名の作業員が作業していました。
ビル内にはおそらく、5、60人ほどの人がいたと思います。
僕の部署は4Fで、当時このフロアには人が6人いました。
僕を含めた5人の従業員(男2名、女3名)はデスクで事務処理中で、部長1人がレンタル用のルータを出荷前準備で100台をテーブルに置いて作業していたところでした。
緊急地震速報はありませんでした。
「あ、地震」誰かがつぶやきました。
そして揺れが徐々に大きくなり、テーブルや棚にに積んでいたルータや一部の資材が床に落下しました。
揺れは2分くらい続いたでしょうか。
最初の大きな地震ではみな誰も動くことができず、動揺していました。
テレビをつけて情報を確認しました。
地震が東北の震源で、しかも強い地震であったことがわかりました。
何人かが外に出ようとしましたが、外に出ないように呼び止めました。
外壁工事の足場が崩れてくる可能性があるためです。
そうしているうちに、再び大きな地震が発生しました。
女性従業員はみなデスクの下にもぐりこみました。
これも長く揺れました。
揺れがおさまって、おびえているの人たちに声をかけました。
大丈夫、落ち着いて対処しようと。
今、外に出るのはかえって危険だと話しました。
通信規制がひかれるのを考え、やたらにケータイを使用せず、NTTの災害伝言ダイヤル171とiモードの災害伝言板があることを話しました。
会社の状況を把握するため、外階段(ウチのビルは小さいため、エレベータは1機。内階段はありません。)に出て様子を確認しに1Fに下りました。
1F(ビル外)には外壁工事の作業員と、テナント借りしていた会社の方々が多数いて、みなケータイで情報収集や安否確認を行っていましたが、すでに通信が混み合っている状態のようで、みな確認がとれない不安の顔をしていました。
総務部の人に状況を報告し、他の階の状況も見て周りました。
他の階でも一部の資材や資料などが崩れたようですが、けが人はいませんでした。
一旦4Fに戻ると、2Fの女性従業員が来ていて、4Fの仲のいい女性従業員と「どうしよう~。」とか話していました。
そこへ、みたび大きな揺れがきました。
2F女性従業員は泣きながら4F女性従業員にすがりつき、デスクの下にもぐりました。
4F女性従業員も恐怖のあまり声もでません。
そのすぐそばで僕もしゃがみ、揺れに耐えていました。
この揺れがもっとも体感的に大きかったです。
テレビでは震源が茨城県沖であると発表していました。
JRの線路をはさんでちょうど反対側にある九段会館で天井が落ち、けが人がでている報道もされていました。
しばらくして、2Fの男性従業員が人員確認に来て、2F女性従業員を引き取っていきました。
(こちらとしても、これ以上この非常時に騒がれると、他の人まで冷静に対応が取れなくなる恐れがあるので、ある意味助かりました。w)
その後、余震は続いていましたが、それほど大きな揺れはなくて幸いでした。
みなそれぞれの家族や友人に連絡を取り始めました。
この時点(16時半ごろ)ではまだ災害伝言ダイヤルは有効ではなかったようです。
ケータイは通じないので、会社の電話を使っていました。
テレビで徐々に被害状況や津波情報が出され、東京近郊の鉄道や交通情報も出始めましたが、いい話はありませんでした。
部内には非常用袋がなく、すべて総務で一括して保管していたので、部長は「総務部の対応を待つ」「無理に帰らないで社内で待機」と判断しました。
その判断を受けて、近所のコンビニに食料の買い出しに行くことが提案され、さっそく女性陣と部長は買い出しに行ってきました。
早い判断のおかげで、弁当を10個やパン類を買うことができました。
僕は買い出しには行かず、社内で待機していましたが、水が断水する可能性もあるので、給茶機に水を補充しておきました。
総務からもヘルメットや保存食の支給がなされ、各人安否確認を行いつつ、会社に待機することになりました。
テレビでは依然深刻な状況が報道されていました。
また、都心から徒歩で帰宅する人や、駅やバス停で並ぶ人たちの様子も映っていました。
車は渋滞でほとんど動けないようでした。
部内でも家族と連絡がなかなかとれないでいる人もいました。
翌日のことを考え、できるだけ休むように指示をし、ダンボールやイスで寝床を作って、みな休むようにしました。
時折、余震で揺れ、そのたびに起きてテレビをつけたりしました。
こうして眠れない夜を過ごしました。
3/12朝6時ごろ、私鉄・地下鉄の運行も徐々に回復されましたが、JRはなかなか復旧の連絡が入らないため、私鉄等で帰れる人から順に帰宅していく方向になりました。
8時前、地震による影響かわかりませんが、お客様から機器の故障対応をしたりしましたが、僕も帰宅することにしました。
10時ごろ、帰る方面が同じ従業員と一緒に、丸の内線淡路町から後楽園、南北線に乗り継ぎ、11時くらいに浦和美園まで行くことができました。
浦和美園駅では、タクシーやバス待ちで長蛇の列ができていました。
休憩のため、イオン浦和美園に立ち寄りましたが、1Fの食料品売場のみの営業で、近隣の住民や僕と同じように背広姿の人たちが大勢来ていました。
パン売場で焼きたてのパンを買い、ベンチで食べたあと、少し歩いて、浦和大学の手前でバス停からバスに乗って浦和駅へ移動。
浦和駅から徒歩で自宅に帰りつきました。
時刻は13時をまわっていました。
部屋は母がほんの少し直してくれたようですが、みなさん同様、物が散乱していました。
それらを片付け、掃除機を軽くかけ、とりあえず過ごせる状態にして、15時前、ようやく眠ることができました。
今日はJリーグ第2節でホーム初戦があったり、その祝勝会があったり、友達のケコン報告会があったりするはずでしたが、すべてキャンセル。
フットサル仲間の有志のでの飲み会(というか、安否確認を含めた慰労会ですね)も急遽開催されたですが、こんなことがあったばかりですので、親に余計な心配をかけたくもなかったので、泣く泣く辞退しました。
明日は家の食料や生活必需品の買い出しに出かけるつもりです。
はたして、買えるほど残っているかはわかりませんが・・・。
被災された方々へ、心よりお見舞い申し上げます。
今夜も揺れを体感できる余震が続いています。
被災地では大きな揺れになっているようです。
僕の会社の支店が津波に襲われた名取にあります。
地震後の第一報では従業員の安否確認がとれましたが、その後の津波被災後の確認がとれていません。
東京の従業員の御家族や親戚、友人等、仙台周辺を含む東北エリアにおられる方々の安否確認がとれていないようです。
また、茨城の土浦にも支店があり、従業員の安否確認はとれましたが、停電や断水が続いているようです。
心配ばかりがつのります。
安心・安全を確保して、早く元の生活に戻れるよう、祈っています。