
日産が追浜工場と湘南工場の閉鎖を発表しました。
追浜工場は小学校の社会科見学で行ったこともあり(見学で貰った「クルマのできるまで」という下敷きは結構気に入り、ボロボロになるまで使いました)、少し寂しい想いもありますが、工場従業員の再就職や土地の再利用を考えると一番妥当な策だと思います。
地方の事業所を閉鎖するのと首都圏では、労働者や自治体など「人・物・金」への影響力が全然違いますから。一方、お膝元に集う日産への依存度の高い協力会社の人々には大きな問題であると思います。その辺は市や県と協力して衝撃を緩和する措置を取って欲しいところです。
「おやっ」と思うのは「生産以外の研究開発やテストコースの機能は残す」という点で、これなんかは真っ先に厚木のテクニカルセンターへ統合したり、どこかのサーキットに移管すべきかと思うのですが・・・それに首都圏の工場を全て閉めてしまうと、本牧にある日産専用埠頭の価値が大きく毀損するはずで、それをどうするのかにも触れられていないのも不思議です。
カルロス・ゴーンによるリストラで閉鎖された村山工場の跡地も、バンク付きのオーバルテストコースなどは未だ残っているようですし、座間工場跡地も一部は売却したようですが、ヘリテージセンターや直営ディーラーとして利用している上、宝町や新興町などの湾岸地帯にはエンジン工場(※)やNISMOの工場なども点在しており、日産は余り拠点の集約や不動産の処分には熱心でないように思います、完全に売却したのは銀座の旧本社ビルくらいかも知れません(Art Forceシルビア(S13)発売の時は、1階のギャラリーまでわざわざ見に行きました。タイトルの画像は、その頃日産ギャラリーに置いてあった「Feel the Beat」という冊子から)。
※ 「エンジンミュージアム」は今年の夏までということですので、行くのならお早めにどうぞ。
元々日産社内には政治色の違う派閥が幾つかあり、また労働組合の強い日産を統治するのは並大抵の人間では難しく、日産とは縁の薄かったゴーン(ルノー)だからこそ、その辺を切り捨ててV字回復が出来たのでしょう・・・只、やり過ぎて今のようになってしまいましたが。
「令和の鮎川義介」が日産の復活には必要でしょう、いずれにせよ誰が経営しようが、ブランドがNISSANでもDATSUNでもPRINCEだろうが、「コストパフォーマンスの高い車」さえ造ってくれれば、我々ユーザーは構わないので頑張って下さい。
最後となりましたが、日産さんフォーミュラeのチャンピオン獲得おめでとうございます。
Posted at 2025/07/17 21:03:17 | |
トラックバック(0) | 日記