
大変残念なお知らせ
多くの人が それぞれの思いで、この 知らせ に 接した事だろう。
高橋幸宏 さんが逝去 したのが、1月
坂本龍一さんが 悪性腫瘍 になったと公表したのが、2014年だった。
正直、その時から いつか この日がやってくるのは、心してたので、とうとうその日がきたか・・・
ただ、今日の訃報より先に 高橋幸宏 の その日 がくるとは、思っていなかった。
高橋幸宏 坂本龍一
YMO の 両名 が相次いで 鬼籍 となるという 悲しき2023年春
高橋幸宏さん の 訃報に 無言で 応えた 坂本龍一さんの tweet
坂本龍一 さん の 悲痛な胸のうち が、読み取れて 言葉がなかった。
その後、外苑の街路樹の伐採に抗議する 坂本龍一さんの報道を目にして、まだまだ、坂本龍一さんの 息が聞こえていただけに、
とうとう 力 尽きた 教授 に対して
糸井重里さん は
「そうか」
と、3文字 の 言葉 が、上がっていたが
その3文字が全てであろう。
そして、細野晴臣 さん の グレーの画像
細野晴臣さんが、坂本龍一 さん と、高橋幸宏 に 声をかけて、細野晴臣 さん 宅の こたつ で みかん を食べて 始まった YMO
こたつ で みかん が なければ ユキヒロ も、教授 の 今日までの歴史は 違っていただろう
お疲れ様でした。
有り難うございました。
坂本龍一さん死去「つらい。もう、逝かせてくれ」家族、医師に漏らす…凄絶がん闘病 音楽家のまま力尽く
4/3(月) 5:00配信
「世界のサカモト」と評された音楽家の坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが3月28日、都内の病院で死去した。71歳。東京都出身。葬儀は家族葬で執り行った。1980年代に3人組バンド「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)で世界的ヒット曲を生み出し、88年には米映画「ラストエンペラー」で米アカデミー賞作曲賞を日本人として初めて受賞した。晩年はがんとの闘いが続いたが、最後まで音楽作りに情熱を注いだ。
YMOで共に活躍したドラマーの高橋幸宏さん(享年70)が1月に死去してから3カ月。坂本さんが静かに旅立った。 葬儀は家族葬で営まれ、娘で歌手の坂本美雨(42)ら子供たちも見送った。お別れの会は本人の遺志により行わない。死因は明らかにされていないが、20年6月に直腸がんと診断された。両肺などにも転移し、ステージ4と公表していた。
特にここ半年は凄絶な闘病だった。亡くなる1、2日前には家族や医師に「つらい。もう、逝かせてくれ」と頼み込むほど。関係者は「弱音を吐かなかった彼がそんなことを言うとは…。よほど苦しかったのだろう」と思いやった。
14年に中咽頭がんと診断され、治療の末に寛解。だが、直腸がんと診断された20年6月には、治療しなければ「余命半年」と告げられた。手術では、最初にがんが発生した原発巣と肝臓2カ所、転移したリンパの腫瘍、さらに大腸を30センチも切除。両肺に転移したがんを摘出するなど、1年で6回の手術を受けた。その後は通院して投薬治療を続けてきた。
そんな状況下で全身全霊で取り組んだのが、昨年12月11日に全世界配信したピアノコンサートだった。同9月中旬に事前収録し、数日かけてコンサートに仕立てた。「最後になるかもしれない」と死を意識しながら、繊細な音色を奏でた。痩せた印象だったが、力強いまなざしで鍵盤と向き合った。「アレンジも選曲も時間をかけて慎重にやった」という13曲、約60分の演奏。「大きな達成感を得ていた」(関係者)というこの映像が、世界に届けた人生最後の演奏となった。
3歳でピアノを始め、東京芸大大学院を経て、78年に高橋さん、細野晴臣(75)とYMOを結成。79年にシンセサイザーを使った斬新な音楽が海外で受け、世界ツアーを2度成功させた。 個人でも「世界のサカモト」と呼ばれ、抜群の知名度を誇った。俳優としても活躍し、83年公開の映画「戦場のメリークリスマス」では、英ロック歌手のデビッド・ボウイさん(16年死去、享年69)と共演。男性同士のキスシーンも熱演し、話題となった。また、劇中音楽を手がけ、出演もした87年公開の米映画「ラストエンペラー」では、88年の米アカデミー賞作曲賞を日本人として初受賞した。
理知的でニックネームは「教授」。興味こそ原動力で、既成の価値観にとらわれず、やりたいと思ったことに全力で取り組んだ。 所属事務所は2日に発表した訃報を伝える文書に、坂本さんが好んだラテン語の一節を添えた。
「Ars longa, vita brevis」(芸術は長く、人生は短し)
「人の命は短いが、優れた芸術作品は死後も後世に残る」ということわざだ。
坂本さんの公式サイトでは英語でも訃報を伝え、英BBCや米CNNなどの海外メディアが速報。世界中から追悼コメントが相次いだ。「世界のサカモト」ならではのエピローグとなった。
≪「ラストエンペラー」でアカデミー作曲賞≫
坂本 龍一(さかもと・りゅういち)1952年(昭27)1月17日生まれ、東京都出身。3歳でピアノを始め、小2でバッハの音楽に傾倒する。78年11月にYMOとしてデビューし、83年に“散開”。88年、映画「ラストエンペラー」のサウンドトラックでアカデミー賞作曲賞だけでなく、ゴールデングローブ賞作曲賞、翌89年にグラミー賞最優秀オリジナル映画音楽賞も受賞。父は「伝説の編集者」と呼ばれた坂本一亀(かずき)さん。
細野晴臣「言葉にはできません」自身のラジオ番組1曲目を選んだのは坂本龍一さん死の当日
4/3(月) 10:26 Yahoo!ニュース
細野晴臣(75)が3日、インスタグラムのストーリーズを更新。がんで闘病中だったイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の盟友坂本龍一さん(さかもと・りゅういち、本名同じ)が、3月28日に71歳で亡くなったと前日2日に発表されたことを受けて「知らせはいつも不意に訪れる 言葉にはできません」と、沈痛な思いをつづった。
細野は東京のラジオ局インターエフエムの番組「Daisy Holiday!」(日曜深夜1時)でパーソナリティーを務めているが、2日放送回は、1月11日に70歳で亡くなったもう1人のYMOの盟友・高橋幸宏さんとのトークを再編集したものを放送。その1曲目には、1983年(昭58)にリリースした、YMO11枚目のシングル「Be a Superman」を選んだが、決めた日は坂本さんが亡くなった3月28日だったという。
細野は「今回の手作りデイジー 何も知らずに作ってました インスタ・ストーリーズも含めYMOの回になったのは偶然です でも何かを感じていたのかもしれない Be A Supermanを1曲めに決めたのは28日でした 楽しくも苦しい時代を思い出していました 知らせはいつも不意に訪れる 言葉にはできません」とつづった。
坂本さんの死を知らずに、その当日に「Be a Superman」を流すと決め、放送前に坂本さんの訃報が流れたことに、細野は複雑な心情を吐露した。
Posted at 2023/04/03 12:01:10 |
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