![「建国の父」か「独裁者」か 其の壱 「建国の父」か「独裁者」か 其の壱](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/047/584/533/47584533/p1m.jpg?ct=fcdd70b15c05)
皆様、隣国の初代大統領をご存知でしょうか?
まっ、現大統領さえ分からない方には、知らなくて当然のコトですが…。
そもそも、隣国は朝鮮王国と言う王族が支配していた国であり、その腐敗した政治体制から、ロシアの南下政策に飲まれそうになったことで、隣国内には「日本に統治して貰おう」と言う声も有ったようです。
そこで、日本はよせばいいのに、豊臣秀吉が成し得なかった大陸進出の足掛かりに、隣国を無血併合。
その時に海外へ逃亡したパルチザン分子の中に、この李承晩が居たようです。
そもそも、日本の隣国併合前に米国へ留学しており、日本の隣国併合に合わせ、米国国籍を取得し、ハワイに住んでいたようです。
その後、中国の上海で隣国臨時政府を樹立するも、派閥争いに負け、失脚。
しかし、独立運動は諦めず、国際的に日本への糾弾が高まる中、隣国臨時政府代表と言う地位にまで出世。
そうして、日本の無条件降伏により、70歳になった李承晩は、GHQ統制下の隣国へ帰還。
しかし、日本の降伏後でも、国としての体を成していなかった隣国に、ソッコで政府を樹立する能力も人材も無いことから、政府樹立は難航。
しかも、半島の統治が、米ソに寄る南北分断が行われていた為、北の共産主義思想が次第に南下。
遂には、済州島に於いて、反乱軍が蜂起する事態に…。
米国留学から共産主義を毛嫌いしていた李承晩は、この反乱分子を徹底的に駆逐。
同国民同士が戦う、俗に言う「済州島四・三事件」を鎮圧。
その勢いのまま、隣国政府を樹立し、初代大統領に就任。
その後も、麗水・順天事件での反乱分子を鎮圧したり、聞慶虐殺事件を捏造し、市民を虐殺したりの大量殺戮を展開。
これ等、「共産狩り」とも取れる虐殺に怒った金日成は、南下を決意し1949年に朝鮮戦争が勃発。
予想だにしていなかった南軍は、指揮系統が乱れ、一気に最南端の釜山まで追いやられる事態に…。
こうなると、流石のGHQも放置は出来ず、仕方無く南軍を支援。
遂には、GHQによる仁川上陸作戦により、北軍の背後を取ったGHQにより、南軍は勢いを挽回し、今度は一気に、北軍を中国国境まで追い詰め…。
すると、これに危機感を覚えた四千年国は、米国の手前、国軍は投入できないものの、志願兵と言う形で四千年国民兵を半島に送り込み…。
その後は38度線付近で一進一退の攻防を繰り返した事で、休戦協定へ…。
ちなみに、李承晩は、徹底抗戦を訴え、この休戦協定には不参加。
その後は、隣国大統領に固執し、反体制派をいわゆる「赤狩り」で抹殺。
そうして、大統領選の4選を勝ち抜くも、最後は不正選挙でデモ隊と警察の衝突事件が発生した事で糾弾され、1週間で下野。
逃げるようにして、ハワイへ亡命。
65年に90歳で没…と言う略歴の持ち主です。
日本との関わり合いも少なからず有り、何と言っても竹島の領有権を主張した張本人で、米国に「頂戴よ~」と直訴した人物。
しかも、米国から「アホか?」と無視されたモノの、シレーっと後から「李承晩ライン」と言われる国境線を地図の上に引き、「ドクトヌンウリッタン(独島は我が領土)」と主張し、日本の漁民を撃ち殺した殺人犯なんです。
で、前置きが長くなりましたが、そんな李承晩の映画が、隣国で制作され、最近、封切りになり話題になっているようです。
その映画を見たと言う記者の記事が有りましたので、紹介を致しましょう。
映画のタイトルは「建国戦争」。
当初、上映は132カ所だったようですが、あまりの評判に、今では301カ所で上映されているとのコト。
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/photo/000/005/213/848/5213848/p8.jpg?ct=1212a7c41e54)
※ハングルは「2024年2月1日封切 大韓民国誕生-この秘密の門が開けられた 建国戦争」とあります
――建国大統領の李承晩と彼が建国した国で生きてきた国民との出会いが映画館で実現したのだ。
映画が上映される100分間、暗い館内では自責のため息やハンカチで涙を拭く様子が幾つも見られた。
記者もこの映画を見て何度も興奮し、目頭が熱くなった――
だそうです。(笑)
※其の弐に続く
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Posted at
2024/03/11 07:03:28