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ハロウィンのブログ一覧

2025年06月26日 イイね!

四国初上陸旅/2日目丸亀城編

四国初上陸旅/2日目丸亀城編雨と霧の中で残念でしたが幻想的な松山城攻城だった前回ブログ

松山自動車で愛媛県を脱出し高松自動車道経由で香川県へ戻ります。

途中小腹が減ったのでSAで「じゃこカツライスバーガー」なるものを購入。
美味しかったけど火傷する程熱かった😡そしてちょいちょい見かける蛇口からミカンジュース。

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次の現存天守の『丸亀城』に向かいます。豊臣秀吉に信任された生駒親正によって慶長2(1597)年、讃岐の本城である高松城の支城として亀山に築城が開始される。

元和元年(1615)廃城~寛永20(1643)年再建~万治3(1660)年天守完成。高さ15mと日本一小さい天守。

大手門近くの駐車場に停め石垣の上の天守が迎えます。雨の中攻城開始です。

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お濠の先には大手二の門。天守が遠く見えます💦

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大手二の門を潜ると四方を囲まれた防御と戦略上に理由でつくられた桝形があり右に折れると大手一の門があります。門の上に櫓を備えた二階建ての櫓門と呼ばれる構造。

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整備(観光化)された道を進みます。キャラクターも当時の城主である京極氏と名産の骨付き鳥が😏

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高石垣(三の丸北石垣)高さ20m以上あり、隅角部は算木積と呼ばれ、長方形の大きな石を角石に用い、大面と小面を交互に組み合わせ小面の角石の横には角脇石を配している。

石垣下部は緩く、上にいくほど急な勾配となり「扇の勾配」と呼ばれ丸亀城の特徴です。

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三の丸は二の丸・本丸を鉢巻き状に取り巻く曲輪(くるわ)です。天守方面へ

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二の丸五番櫓跡

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二の丸跡はたくさんの桜の木がありました。ここから天守はもうすぐです。

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天守の全貌。三層三階櫓で本瓦葺、高さ15m。一階には雨風に強い下見板張りが施され。二階の唐破風。三階の入母屋破風・千鳥破風の装飾。


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かつて天守の北側は三の丸から二の丸に上る裏口通路であったため、防御を固めるため石落としあ矢や鉄砲で攻撃するために開けられた△や□の狭間が設けられています。趣ある天井を見て階段を上ります。

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漆喰が厚く塗られ、鉄砲の弾丸が貫通しないよう防御力を高めた太鼓壁。

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四隅に建てられた隅柱には添柱が建てられ、地震など生じる水平方向の歪み防止有効な燧梁(ひうちばり)がかけられています。

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最上階の3階は天守の中でも最も狭い空間。しかしなんか落ち着きます。
梁が素晴らしい🤩昭和の解体修理をした際南東隅の壁の中から祈祷札が発見され、そこには万治3(1660)年の年号が墨書きされていました。

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堪能して下ります。珍しい色の紫陽花が綺麗に咲いていました😲

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攻城で腹も減ったので讃岐うどんを食べ金刀比羅さんに向かいます。

ご覧いただきありがとうございます🙇
Posted at 2025/06/26 07:38:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅行 | 日記
2025年06月22日 イイね!

四国初上陸旅/2日目松山城編②

四国初上陸旅/2日目松山城編②

松山城は武将加藤嘉明が慶長7(1602)年より築城開始、約四半世紀かけ完成。

標高132mの勝山山頂に本丸、中腹に二之丸、ふもとに三之丸を配した連立した平山城。天守をはじめ現存する21棟の建造物が重要文化財。

階段を上るとこれが一階となります。3重3階地下一階の層塔型天守。日本で最後の城郭建築(桃山文化様式)

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百間廊下には歴代城主の甲冑や刀、古文書が展示されていれ歴史について学ぶ事ができます。展示の銃を狭間から出してスナイパーの気分を味わいます😏

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「長持」は衣類や蒲団、調度品等を入れておく収納具。三つ葉の葵は将軍かの下賜物、将軍家の子女の嫁入り道具等葵の御紋の使用が許された。

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石落とし。松山城の幕前では兜を被って写真が撮れます。

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天守の前に小天守にあがります。松山城の上棟式に使用された弓矢が展示。

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窓から外を覗くと雨ですが此れは此れで良いかも🥰

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天守に向かう階段の上ります。天守は戦闘のとき防衛の要として籠城。日頃は城主やその側近らが足を踏み入れることなく、生活の場ではないのでトイレも炊事場もありません。

しかし松山城は一重、二重、三重とも天井板があり、畳の敷ける構造になっていて床の間もある。また襖を入れるための敷居まである。勿論狭間もあります。当時の城主、松平勝善はここを何の用途にしようとしたのかわ定かではありません🤔

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天守最上階からは360度の景色が開け、松山市街を一望できるはずですが、幻想的(そう思わないと・・)な城郭を見て降ります。

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『仕切門』脇戸附の高句麗門で天守の北側に位置し内門との間が桝形となっていて天守・玄関多聞櫓によって防衛される仕組み。天明四(1784)年雷火で焼失、嘉永五(1852)年までに再建されたとみられる。

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帰りにに願いが届いたか少し霧がはれました。画像は残せませんでしたが築城主が松平家の手が加わっているため、現存12天守の中で唯一瓦に「葵の御紋」が付されています。

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このあと現存天守『丸亀城』へ向います。

ご覧いただきありがとうございます🙇
Posted at 2025/06/22 07:48:37 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅行 | 日記
2025年06月22日 イイね!

四国初上陸旅/2日目松山城編①

四国初上陸旅/2日目松山城編①しまなみ海道から道後温泉で食事・買物・観光を堪能した前回ブログ。

前日は23:30過ぎには寝落ち朝6時開始の風呂に合わして起床。


一番乗りでゆっくり入れ出る頃には混んできました。

風呂上り後、窓からの景色は路面電車の路線と街並みが雨粒が付いた窓から見えます。コンビニで買った朝食を食べ準備。

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ホテルから程近い松山城にはロープウェイを使います。一番近い駐車場に止められました。チケット売場横には「よしあきくん」と松山城の精巧な模型があります。

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ロープウェイは10分間隔で運行し3分で終点の長者ケ平駅着きます。

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「長者ケ平駅」から雨のなかの攻城ですが既にガスっています😩

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階段を上ると巨大な石垣。これは凄い😲見えるのは『巽櫓』です。

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本丸で一番高い17m石垣は。上には『北隅櫓』石垣から水が流れ落ちる。

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『待合番所跡』警備のために設けられ古文書では常時3人が詰めていたと記されています。

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『大手門跡』から進み先に見えるのは『太鼓櫓』、手前を曲がると『中ノ門跡』に其れを90度に廻ると『戸無門』へ

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『戸無門』(大手入口に現存する高麗門。当初から門扉がない。敵を誘い込む戦略的な意味合いで設置したとみられる)と左上は『筒井門』

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戸無門を潜り左に直角に曲がると松山城最大の櫓門である『筒井門』と右側には『隠門続櫓』は監視する目的の櫓。『筒井門』を裏から見ると左に隠門があり、筒井門の石垣の陰に隠された埋門形式の櫓門で、敵の背後を急襲する構えとなっています。

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『太鼓門西堀』『太鼓門』と裏側

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本丸広場に到着するも雨足が更に強くなり天守も霞んでいます。画像横にある井戸は築城時に谷だった場所を埋め立てる際、泉を掘り下げ石を積み上げて建てられたと伝わる。深さ44.2m・水深m。上屋は昭和27年に再建。

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微かな期待を胸に天手に近づきますが裏切られます😢

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天守観覧料を支払い入城。ガスった城も趣があると自分を納得させます😓

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『一ノ門』天守に通じる本壇入口を守る門。櫓や小天守に囲まれている。路面はご覧の通り足元が抜かるんでいます。手摺の付いた階段を上ると

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『二ノ門』薬医門(2本の主柱と控柱を建て門全体を一つの屋根で覆った門で格式が高い)の形式を持つ、『天守・三ノ門東堀』から射撃される構えとなっている。天明四(1474)年雷火のため焼失し嘉永五(1852)年再建。

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入口の『穴蔵』は地下一階です。穴蔵とは穀倉や米蔵と云う。内部は防腐力の強い樟材を使用し、床には素焼きの煉瓦を敷いて湿気を避けている。約二千俵が貯蔵可能で現在は天守の入口になっています。天井の梁が素晴らしい🤩

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文字数制限の為松山城編②へ続く ご覧いただきありがとうございます🙇
Posted at 2025/06/22 07:41:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行 | 日記
2025年06月20日 イイね!

四国初上陸旅/宿泊地へ移動と夕食編

四国初上陸旅/宿泊地へ移動と夕食編四国から瀬戸大橋で岡山県の現存天守『備中松山城』を攻城した前回ブログ

再度四国に戻る為に山陽自動車からしまなみ海道経由で愛媛県へ移動します。


雨の高速を通行中。小腹がすいたので福山SAで小休止します。

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小腹が空いたのでオヤツ感覚で尾道らーめんとお好み焼きを頂きます。SA食とはいえ侮れない美味しさでした。腹の充電完了😤

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しまなみ海道も霧で景色を拝めず。横浜ベイブリッジとかわりません😔

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微かな希望を胸にしまなみ海道の絶景ポイント亀老山展望公園へしかし生憎の雨で幻想的な景色でした。天気が良ければこんな感じで残念😩

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気を取り直し愛媛県松山を目指します。本来『道後温泉』は宿に着いてから移動を考えていましたが時間が押しているので直で向かう事にします。

道後温泉駐車場に車を停め先ずは夕食。地のものを食べれるお店を発見。郷土料理「七福神」さん

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先ずは乾杯🍺少し飲んあとなので減っています💦ホテルまで運転は旅の友がするので私は呑みます😤

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愛媛と云えば鯛めし。地域によって違いがあり宇和島鯛めしは、生卵が入ったタレに漬けた鯛を熱々ご飯に掛けかきこみますが最高に美味しい😋

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名物のじゃこ天とカツオのたたきも頂きましたがこれも美味。

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食後は日本最古といわれる道後温泉。2019年から保存修理工事を行っていた本館が2024年7月に再開しました。

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明治27(1894)年改築の木造三層楼の近代和風建築でシンボル。1994年に現役の公衆浴場としては全国初の重要文化財に指定された。

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アーケードでお土産を買います。平日の夜なので店じまいも多かったです。

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途中蛇口の看板を発見。愛媛と云えば蛇口からミカンジュースです。数ある中から『せとか』を選びましたが甘みが強く飲み終わったあとにほんのり苦味があり美味しかった。一杯しか飲みませんでしたが飲み比べもあります。

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お洒落な道後温泉駅はスタバがあり改札を入りプラットホームが良い雰囲気。

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坊ちゃん列車は普段は展示され土日祝日は運行するそうです。

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『坊っちゃん』のからくり時計は1994(平成6)年、道後温泉本館建設100年記念事業の一環として造られました。通常は2階建てが4階建てになり登場人物が出てきます。15分程待って見る事ができました。

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時間の都合て温泉は入れませんでした😔からくり時計横の足湯もベンチが濡れていて断念。

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しかし駐車場そばの無料足湯がありました。歩き過ぎで足は浮腫んでいます😩
今宵の宿に移動してチェックイン。部屋は8階駅近のビジホで大浴場もあり良かったです。

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此の日の反省会をして明日の行程を予習して就寝🥱

ご覧いただきありがとうございます🙇
Posted at 2025/06/20 22:34:55 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旅行 | 日記
2025年06月17日 イイね!

四国初上陸旅/備中松山城編

四国初上陸旅/備中松山城編四国香川県に上陸し『讃岐うどん』を二杯平らげ更に寄り道で本州の岡山県へ向うべく瀬戸大橋を渡った前回ブログ。

なぜ岡山か?日本に12ある現存天守の一つ『備中松山城』攻城の為です。移動距離と時間を算出すると行けると強行しました。長編ですがご了承ください🙇

本来は「城見橋公園駐車場」からのシャトルバス500円で「ふいご峠駐車場」へ向かいますが、平日は此処まで行けます。この間すれ違いが出来ないので係員さんが無線で連絡を取り安全に通行出来ました。

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攻城開始でいきなり下りです。天守まで700m20分程掛かります。高さがまばらの階段を登っていきます。、入口には杖レンタルがありましたが傘があるので断念。天気なら心強いアイテムです。

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下りスタートからの上り階段。城主の登城心得を胸に進みます😤

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城主の心得を参考に進みます。200mきてあと500m😤鎌倉時代に延応二年(1240)に砦が築かれました。

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石垣が見えてきましたが心得の中間地点にちょっと凹みます😔あと300m

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城名の由来は四つの峰の一つ「小松山」の山頂(標高約430m)を中心に築かれた城郭を指し、天守の現存する山城としては唯一の存在。整備されていますがこんな巨岩がゴロゴロしていたと思うと恐ろしい😱石垣が・・・

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大手門跡(東に向いて構えているので、進入が矩折りとなり、内部は踏面の長い石段と高い石垣で囲まれた桝形構造となり軍勢の勢力をそぐための工夫で実践向きとされる)~足軽箱番所(詰所の様なもの)

三の平櫓東土堀(四角い矢狭間と丸い筒狭間・国指定重要文化財)
大河ドラマのオープニングで使用されたらしいです。

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三の平櫓跡~三の丸を抜け黒門跡に来ました。

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四の平櫓跡を越え階段を左に曲がると本丸に到着。結構疲れてます😩

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やっとたどり着き天守に入ります。水分補給が必須ですが此処には自販機がないので上る前に買いましょう。

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天空の城塞と云われた『備中松山城』の天守(国指定重要文化財)木造本瓦葺き二層二階の建物。右に見えるのは本丸東御門(復元)は勝手口にあたる本丸内の唯一の引戸。

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入ると此処は一階ではなく接続廊下といい八の櫓と天守をつなぐ廊下らしい。

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上った先が一階で展示物があります。囲炉裏は籠城時の城主の食事と暖房用と云われ天守閣内に切り込みの囲炉裏があるのは全国でも珍しい🤔

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武者窓 正方形の角材の角を外側に向け並べ、外からは内が見えにくく、内からは広角に敵兵の動きを見る事が出来る。

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狭間 敵兵攻撃のための弓鉄砲用の穴。敵の攻撃を防ぐため外側は小さい穴、
壁が厚いため小さな穴では内側は広く見える範囲を広くする工夫をしている。

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いよいよ二階天守閣内に上る階段です。先には踊場が付き折れ曲がっていて敵が上がり辛くなっていて、大人一人程しか通れず踏板も狭くて勾配も急で防御有利に考えられています。

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階段をのぼると正面に城の守護神を祀った御社壇があります。

御社壇は天和三年(1683)当時の城主水谷氏が修築際に松山藩五万石の守護として三振の宝剣に天照好皇太神と水谷氏の守護神羽黒大権現等の神々を安置し安康を祈ったとされる。

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天井の造りや梁が素晴らしく感動ものです🤩

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武者窓からの景色に当時の想いを馳せます。

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堪能し下りると本丸東御門横の階段を上ると天守外側をぐるりと廻る事ができます。

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天守閣裏手にも形の異なる狭間が昔の方は背が高くなかったので此の高さでっ十分なのでしょうか? 更に進むと

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先には3枚目の画像・腕木御門(復元)木造本瓦葺き、棟門、開戸。二重櫓の正面脇にあり、本丸の裏門にあたる。

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流石天空の城は景色も最高でした🤩

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無事に攻城が終わり岡山を後にします。帰りは福山・尾道を経由してしまなみ海道に向かいます。

ご覧いただきありがとうございます🙇

Posted at 2025/06/17 07:08:55 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅行 | 日記

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「花粉か黄砂か車が埃だらけ😱朝からモデューロとN-WGNを洗車。これからハロ嫁と整骨院に行って解して貰います。今日も鼻水と目が痒い😩薬を飲まないとやっていられない。」
何シテル?   03/27 11:20
日々安全な運転者を交通社会に送り出す仕事を生業といております。 ドライブ・旅行・家族・日常ネタ等の備忘録や回顧録用としてアップしています。 2017...

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