
ローフス・ミッシュ氏(ナチス・ドイツのヒトラーの元護衛)5日、ベルリンで死去、96歳。DPA通信が報じた。以前から闘病生活を送っていた。自殺したヒトラーの遺体を目撃した最後の生存者だったとされる。
DPAによると、40年からヒトラーの護衛を務めた。ヒトラーが45年にベルリンの地下壕で愛人のエバ・ブラウンと共に自殺し、遺体が焼却された後、ソ連(当時)の捕虜として9年間、抑留された。
【MSN産経2013.9.7 08:53】
【AFP=時事】ナチス・ドイツ(Nazi)の総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)の元護衛で、第二次世界大戦末期のヒトラー最後の日々を目撃した最後の生存者、ローフス・ミシュ(Rochus Misch)氏が5日、ベルリンで心臓発作のため死亡した。96歳だった。ミシュ氏が書いた本の著作権代理人ミヒャエル・シュティーレ(Michael Stehle)氏が6日明らかにした。
ヤエル・カッツ・ベン・シャローム(Yael Katz Ben Shalom)監督のドキュメンタリー映画『The Last Witness』(2005)の中でヒトラーについて「いいボスだった」と語ったミシュ氏は、ドイツ降伏の数日前に自殺したヒトラーと地下壕で行動を共にした1人。
2005年にAFPが行ったインタビューでミシュ氏は、ヒトラーと、自殺直前に結婚した妻のエバ・ブラウン(Eva Braun)の死について
、「ヒトラーはテーブルに座ってうつ伏せに倒れ、エバは彼の隣に横たわっていた。私はそれをこの目で見た」と証言している
。「彼は廊下でさようならと言って、部屋に入って行った。邪魔をしないでほしい、と言ったのを覚えている」
■ソ連軍の捕虜になり抑留
ヒトラーは死ぬ覚悟のエバ・ブラウンを毒殺し、自分は頭を撃った。歴史家は、遺体は燃料をかけられて焼かれた、と信じている。 それは驚きではなかった、とミシュ氏は付け加えた
。「司令官たちは全員がヒトラーを避難させたいと願ったが、彼はだめだ、ベルリン(Berlin)に残ると言った」
その2日後、ソ連軍がベルリンの総統官邸を襲った1945年5月2日、当時27歳だったミシュ氏は電話交換手として働いていた地下壕から最後に逃れた人たちの1人だった。ミシュ氏はソ連軍の捕虜となり、カザフスタンとシベリア(Siberia)で1953年まで抑留された。
現在のポーランドのシュレジエン(Silesia)地方に生まれたミシュ氏はペンキ職人になり、その後ナチス親衛隊(SS)に加わって1940年からヒトラーの護衛をした。抑留から帰国した後は画家として働いた。2008年に出版した著作「Der Letzte Zeuge(最後の目撃者)」がベストセラーになり注目を集めた。シュティーレ氏によるとこの本の英訳が来月出版予定だという。
ネタ元:【翻訳編集】AFPBB News※掲載されたすべての情報は、記事作成時点のものです 。
フリードリヒ2世とヒトラーとイエズス会に関する不都合な真実を暴露
2011年5月の英国の新聞の最後のインタビューでヒトラーがイエズス会を消滅の危機から救った大恩人の肖像画を後生大事に拝んでたといふイエズス会・バチカン、そしてシオニストにとって非常に不都合な真実を暴露してしまった方で。
米国はヒトラーが確保していたフリードリヒ2世の遺体を移動させて埋葬させたこととかね。
日本版Wikiには詳細は書いてないから、読み解くのがめんどくさい。
ヒトラーに関しては見る国の視点でいくらでも変わるので、これが正解というのが分からない。
「私はヒトラーの秘書だった」 トラウデル・ユンゲ著書
「ヒトラーの死を見とどけた男」ローフス・ミシュ著書
映画「ヒトラー 最後の12日間」の元ネタとして数少ない著書なんで読んだのですが、ヒトラーと言うだけでアレルギーを持つ方多いですね。 正直あの頃の状況を読み解くと言うのは難解。 いくらでも書籍があるからどの立場で読み解くかで変わって来る。 宗教的、民族的要素も複雑に入って来るからまともに分かってる人なんていないと思うよ。 自分は技術的発展の要素が好きなので目にしたら読む程度ですがね。
安倍首相をヒトラー呼ばわりしてる韓国メディアですが、「では、じゃあ被害者面しているその韓国は、ドイツに蹂躙されてるどの国に韓国は該当するのか?」と問い返したら、黙ってしまったというエピソードがあることが出てたな。 その当時朝鮮はすでに日本の統治下でしたから。
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2013/09/08 01:43:19