2011年05月02日
佐藤文康
この名前を知っている人は殆どアナウンサーの佐藤文康さんでしょう。
しかし、私が書くのはレーシングドライバーの佐藤文康氏です。
私が彼の名前をブログに書こうと思ったのは、昨日が彼の命日だったからです。
彼は83年の5月1日に富士スピードウェイでの練習中に事故で他界してしまいました。
旧コースの最終コーナーにシケインが出来たのは、この事故が契機となっています。
彼は幾多のレースに出ていたプロドライバーでしたが、GCやF2などの当時のトップカテゴリーと言われるレースでは多分勝っていないと思います。
しかし、耐久レースではめっぽう強いドライバーで、関係者間では有名でした。
彼が乗ると燃費がコンマ1良くなる。
ブレーキパッドが持つ。
そんな逸話の有るドライバーでした。
日本車のルマン遠征が、まだまだ種を蒔いている頃の時代ですから、
メディアにも華々しく採り上げられることもありません。
もう少し長生きしていれば、後のマツダの本格的参戦に加わっていたかもしれません。
本当に残念です。
私は彼のファンでした。
ある出来事からファンになったと言うのが正しいかも知れません。
それはまだ個人情報保護などがおおらかだった頃、私の愛読紙であるAutoSport誌の新年号には
各有名ドライバーの年賀状紹介が実住所表示のまま掲載されていたのです。
今も同様の企画は有りますけれど、ちゃんとモザイクが入ってますよね。
私は、その住所にファンレターならず、年賀状を送ったのです。
星野一義さんやら高原憲武さんにも送りました。中嶋悟さんはまだ駆け出しで、FJ1300をやっている頃
でしたが送っています。まさかF1にまで行くと思っていませんでしたが、先見の明と言えるでしょ。
そのまま梨のつぶてのドライバーも沢山居ましたが、まだ駆け出しの中嶋悟さんは肉質サイン入りでご返送戴きました。これは宝物です。FJ1300時代のサインですからね。
星野一義さんは印刷した物でしたが、ちゃんと送って戴ききました。このころ既に「日本一速い男」
でしたから沢山の年賀状を送っていたのだと思います。
なんの覚えもない、多分ファンの一人だろうと言う宛名に返信するのも、やっぱりトッププロの仕事なのでしょう。
さて、佐藤文康氏ですが、彼からの年賀状はきませんでした。
しかし、ある時大判の茶封筒が届いたのです。中身はTシャツでした。
彼のゼッケンで有る8が緑で大きく描かれ、六本木GANGANってデザインされていました。
これも大切な大切な宝物です。
ファンからの年賀状の返信をしないドライバーも居る。
しかし、彼はTシャツを送ってくれました。彼の真意は判りませんがやっぱりファンを大切に
思ってのことでしょう。
彼の事故が紙面に出たとき、読者の追悼投稿には私と同様にTシャツを送って戴いた話が書かれていました。どの位の数なのかは判りませんが、年賀状の返信以上に手間もコストもかかる訳で、それはなかなか出来る事ではないでしょう。
少し遅くなりますが、5/4はFSWに行きますので、改めて現地でご冥福を祈りたいと思います。
Posted at 2011/05/02 12:36:23 | |
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