iPadの「ビデオ」コーナーに、21分強の尺をもつ新しい映像が加えられた。題名はないので、ぼくが勝手に「あの瞬間」と名付けることにした。
一連の黒沢元治さんの「ドラテク特訓もの」がズラリと並んでいる。先だって紹介した「みんカラ」友達のHawk Yamaさんのニュルアタック編も、いつでも鑑賞できるようにしている。そこへ、1月30日の夕方から新しいメンバーが加わってくれた。
「再生」するための三角マークを捺す。……いきなり高橋国光選手の若いころの表情がクローズアップされ、田中健二郎さんの懐かしい声が聞こえる。
*第2ヒートに臨むにあたってメカニックとやり取りする高橋国光選手
「これね、わたしも経験がありますが、いま高橋(国光)君が映っていますが、選手には選手の言い分がある、メカニックにはメカニックの言い分がある。例えば、このタイヤね、ゴムが柔らかいのが食いつきがいい。ところがあんまり食いつきがいいと、タイヤの温度が上がる……ご覧のとおりですよ」
どうやらスタート前のタイヤのセッティングをめぐって、コース上で国さんとスタッフが突っ込んだやり取りをしているところらしい。そばにゴムのとけかかったボロボロのスリックタイヤが転がっている。一瞬、赤いボディカラーに「YAZAKI」のロゴが認められる。黒沢元治選手のマシンだ。タイヤも「BRIDGESTONE」のマークがついている。
アナウンサー(磯部)の声が割って入る。
「バースト状態ですね」
即座に健さんが応える。
「はい。ちょうど30度ぐらいまで気温があがっている。このへんが非常に調整がむずかしいですね」
カメラは別のマシンのギアボックスをアップでとらえて、メカニックの調整する姿が緊迫感を盛りあげている。
「辻本さん、北野選手は、やはりミッション・トラブルですね」
アナウンサーは、もう一人の解説者に呼びかける。辻本征一郎さんであった。
「ええ、そうですね。5速ミッションのうち、セカンドとサードのギアが抜けるということで、第1ヒートは残り2周を北野選手はシフトレバーを片手でおさえて、ギア抜けをしないようにして走ったということです」
*運命の第2ヒートに備えてミッションを修理する北野選手のメカニック
それで北野選手がガクンと後退したのを、アナウンサーも納得したらしい。
「でもしかし、よく3位をキープしましたね」
という辻本さんのコメントを受けて、カメラは白いカラーリングのゼッケン⑥のボディを大写しに。そのシーンを背景にして、磯部アナウンサーと健二郎解説者とのやり取りがつづく。
磯部「いま一生懸命、メカのみなさんが点検整備をしていますけれども、この間はドライバーのみなさんは食事をしたりなんかして」
田中「しかしね、ドライバーたちでも、自分のクルマがね。これは北野(元)君のクルマだけれど、あそこは大丈夫だろうか、ここは大丈夫だろうかって、おそらく食事してもノドには半分ぐらいしか通りませんよ」
磯部「そうですか。これはマフラーの点検ですか」
田中「そうですね。馬力がちょっとあがらないということで、高原(敬武)君のメカが交換していますが、はたしてどうなのか」
ここまでで映像は1分を経過している。画質は予測していたほど悪くない。音声も特にクリアとは言えないまでも、聴き取りに不自由はない。が、何にもまして嬉しいのは、文字情報ではなく、色と音と動きが一つとなった動画情報である、ということだ。ぼくは37年前の富士スピードウェイにタイムスリップしている、その実感を、どう伝えればいいのだろうか。高橋国光、黒沢元治、北野元、高原敬武の各選手はもとより、このレースのさなかに多重事故によって逝ってしまう風戸裕、鈴木誠一選手の姿まで収められている……。
*No.10が風戸裕選手のマシン
*ゼッケン37は生沢徹選手
紛れもなく、1974年6月2日午後2時にスタートした富士GC第2戦第2ヒートを切り取った21分23秒のテレビ放映録画の一部に違いなかった。
ぼくが初めて『運命の第2ヒート』と題して、中部博さんの取り組みを当ブログで紹介したのは、半年近く前の8月28日のことだった。重複するが初めてこのテーマに触れる向きも想定されるので、改めてその書き出しの部分を引用したい。
* * * * *
中部博さんはモータスポーツを正確に見据える視点をもつ、鋭いノンフィクション作家であった。書き出しの数行で、すぐに読み手のハートを鷲づかみにしてしまいます。
――1974年の富士グランチャンピオン・シリーズ第2戦のテレビ中継録画番組の音声を録音したテープは、第1ヒートを終えてインターバルにはいっている。
中部さんは独自に入手した録音テープを、丁寧に書き起こしていた。解説者は田中健二郎さん(2007年、73歳で物故)。建部建臣アナウンサーの質問にこたえて、レースの面白さを楽しく語ることで、当時から評判だった。もう一人のゲスト解説者が、のちに日産レーシングスクールの校長となった辻本征一郎さん。以下、貴重な資料なので、中部さんの了解を得て、その記述を適宜、引用して、当日の模様を、コンパクトに再現したい。
磯部 「ヒートワンの結果でグリッドに整列しております。高橋国光選手がポールポジション。以下、黒沢元治選手マーチ74S、そして北野元選手、高原敬武選手、風戸裕選手、都平健二選手、米山二郎選手、生沢徹、鈴木誠一、漆原徳光、従野孝司、長谷見昌弘、津々見友彦、以下17台のマシンが、すでにポジションについております。まもなく第2ヒート、スタートです」
軽快なBGMがフェイドアウトした。
同時録音した富士スピードウェイの場内アナウンスがいかされていて、それは「スタート3分前です」といっている。
*スタート2分前のボードが示された
*レースクイーン・須田敏恵さん
*レースクイーンの高草純子さん
磯部「レースクイーンの高草純子さんが、いまスタート3分前を提示しました」
コース員が吹いたであろうホイッスルの音がする。スターティング・グリッドにいる人々に退場をうながす合図のはずだ。
この中部さんの記述には、詳しい前置きがあったのに、ぼくがピックアップする際にうまくイメージが伝えられないとして削除していた。その部分を、映像と照らし合わせてみると、生き生きと「その時」を再生させることができるようだ。
さらに、再生を続けよう。それは次のアップまでお待ちいただきたい。なお、ここに掲載しているTV録画シーンからの停止画面は、ぼく自身がスキャンしたもので、貴重な資料性をアピールするため、あえて掲載するものであることを断っておきたい。
なお、「秘められた映像」の関連URLも参照されたし。
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実録・汚された英雄 | 日記
Posted at
2012/02/02 11:17:21